ブラジルW杯、日本代表総括

攻撃的サッカーの不正確さ

「日本は攻撃的サッカーでW杯予選突破、あるいは四強を目指す」。そんな表現をマスメディアの報道で良く目にしたし、一部の強気なプレイヤーは優勝すら視野に入れていた。だが、正直「攻撃的サッカー」なるものの意味は、余り良く判らなかった。日本は確かにボールを持つ時間帯は強化試合も含めてそれなりに長かったが、そのボールを持つ時間の殆どで攻撃はしていなかった。むしろ、ボールを奪われない様にスペースのある所で回していたのが目立つ。僕たち観客がイライラする時間帯である。ボール奪われまいとしているこの時間、よく考えると、行っているのは攻撃でなく守備である。ボールを持つということは、イコール攻撃では無い。
一方、オランダは5バックで今回は守備的サッカーをしてるという表現もマスメディアで目にしたが、グループリーグで10点取って、最も得点数が多かった国はオランダである。それも、スペインやチリを相手に。引いた布陣やカウンター攻撃が、イコール守備的なサッカーでも無いのである。
おそらく、サッカーのシーンの中で、最も得点が入る確率が高いシーンはフリーキックコーナーキックなどのセットプレーだろうが、流れの中では、高い位置でボールを奪った後のカウンター攻撃が最も確率が高いだろう。オランダは、この流れの中で最も確率が高い攻めをする為に、5バックにして深い位置のスペースを無くし、オランダにとっての高い位置でボールを回させることで、そこでボールが奪う機会を増やしているのだと思う。5バックは、守備一辺倒の戦術でなく、点を入れる為の戦術でもある。
おそらく、正しく用語を使うのであれば、日本はポゼッションサッカーを目指し、オランダはリアクションサッカーをしているのだ。そしてポゼッションサッカーのお手本であるスペインと共に、日本は敗れたのである。サッカーは相手より多く点を入れるか、相手より少ない失点で終えれば勝つゲームだ。我々は、ボールを持つことが相手より多く点を入れるか、相手より少ない失点で終えることに繋がるか、考えなければならない。オランダは合理的だ。5バックで危険な深い位置のスペースを無くせば相手より少ない失点で終える確率は高まるし、スペースのある高い位置に相手のボールを押し出してそこでボールを奪えれば得点の確率は高い。世界の多数派の国やクラブはこちらのサッカーを志向している。このサッカーをする代表的な監督はモウリーニョだ。いまオランダでリアクションサッカーをしているファン・ハール監督は、2010年のチャンピオンズリーグでは、バイエルン・ミュンヘンポゼッションサッカーで決勝に導き、対戦相手のモウリーニョ率いるインテルを「守備的だ」と挑発したのは記憶に新しい。前回W杯の岡ちゃんは、直前の強化試合のイングランド戦とコートジボワール戦で連敗後、アンカーを入れて守備を先ず固めるリアクションサッカーに切り替えて本番に臨んだのであった。一方のポゼッションサッカーは、考え方としてはボールを持ち続ければ失点はしないし、ポジションチェンジを連続させながら流動的にショートパスを繋ぐ、いわゆる「ティキ・タカ」によってゴールに近付き、ポジションチェンジの結果、マークがズレてスペースをこじ開けられれば得点の可能性が高い、というものだろう。だが、日本の今の実力ではボールを持ち続けることは出来ず、いつかはミスをして危険な位置でボールを奪われるという点が、どうも等閑になっている感は拭えない。

日本の実力では相手次第の戦い方にならざるを得ない

コートジボワール戦・ギリシャ戦ではボールを持てなかったが、コロンビア戦では持てて、日本らしいサッカーが出来た時間があった(だから惜しかった)。」そんな感想も幾度か耳にした。僕はこれにも違和感を持つ。コートジボワール、そしてギリシャも退場者を出すまでは、最終ラインを高く保ち、コレクティブでそして中盤からハイプレスに来た。だから本田も香川もボールをまともに持てずに苦戦した。コロンビアは既に予選突破を決めていて、バックアップメンバーが多い急造布陣であり、おそらく体力も温存したかったことから、無理に最終ラインを上げず、ハイプレスにも来なかった。中盤のプレッシャーが少なければボールは持てて当然。つまり、ボールが持てたか持てなかったかは、日本の良し悪しではなく、相手次第の要素なのである。
スペイン、あるいはFCバルセロナがどんな相手でもボールを持てるのは、そのポゼッションサッカーの内容が良いというより、イニエスタ、シャビ、あるいはメッシといったプレイヤーがどんな相手でもボールを保持できる実力があることが大きい様に思う。どんな相手でもボールを持てるプレイヤーが居なければ、どんな相手に対してもポゼッションサッカーをすることは出来ない。こう考えれば、日本らしいサッカーが出来るとか出来ないとかの議論がおかしいのは判るだろう。世界屈指のプレイヤーが何人も揃って初めて、その域に達するのであって、そうでない日本は相手次第でポゼッションできない時を想定しておかねばならない。その想定が今回のW杯では余り感じられなかった。再度オランダのファン・ハール監督と対比させるが、彼はポゼッションサッカーを基調に黄金時代のアヤックス、そしてFCバルセロナバイエルン・ミュンヘンを率いたが、オランダ代表では、ファン・デル・ハールト、ストロートマンと中盤の良いプレイヤーに怪我人が出ると、あっさり現実を見据えてリアクションサッカーに切り替えて本選に臨んだ。そして本選でも、リードされれば5バックからサイドバックのポジションを上げて、3-4-3に切り替えて中盤を支配に出たり、状況に応じた幾つかのオプションを的確に用いている。そんな起きうる状況への想定がどうにも今回の日本代表には感じられず、自分たちの、日本らしいサッカー教に固執していた様に思われた。

左サイドを止められると

ザック・ジャパンの強みは言うまでも無く、香川・長友・遠藤と良い選手が揃う左サイドである。2012年のコンフェデカップまでは、典型的にはこんなパターンでゴールを決めていた。遠藤から左サイドを上がる長友にパスが出て、相手ペナルティエリアの左側にまず前田が走る。それに前田と長友のマーカーが釣られて左に寄った所で、右利きの長友が右から抜いて中央に向かい、左サイドにいる香川と中央の本田とのパス交換で、全体に相手のプレイヤーが左に寄った所で、スカスカの右をフリーで走り込む岡崎が決める。
前田は、33試合Aマッチに出て10点しかゴールを決めないFWだったが、このスペース作りは、ラインの駆け引きと共に上手な所。それが、W杯本番で1トップが大迫になると、大迫の位置が特にコートジボワール戦では中央で低かった為に、中央にスペースが出来ず、長友も中央への切れ込みを研究されて、右側を切られっぱなしであった為、長友は中を諦めて、左サイドのタッチライン際を前に行くシーンが目立った。コンフェデでは前田か香川が出張ってる事が多かったスペースである。しかも、このスペースに入った後も、長友へのサポートが少なかった為に、長友は利き足でない左足でゴールから遠ざかる回転の長いクロスを上げざるを得ず、高さに劣る日本の前線ではこのボールを脅威に繋げられなかった。左サイドのタッチライン際から、前田・香川・長友が繋いで崩す様なコンフェデカップまでは良く見たシーンが、今回全く見られなかったと言っていい。
加えて、大迫が下がり気味であることで、相手の最終ラインもかなりラインを上げられた為、相手はコレクティブになれた。前の章で相手がコレクティブだったからボールを持てなかったと書いたが、日本が相手をコレクティブにさせてしまった側面もある。スペースの裏を狙ってくる足の速いFW相手だと、DFはラインを上げれないものだ。そうすると自然に中盤にスペースが出来て、戦いやすくなる。残念ながら大迫はそのタイプのFWでは無かった。狭いスペースで勝負する柿谷も同じ。大久保が呼ばれたのはその辺のスペース作りに特色があり、かつ2列目も出来るからだと思うが、強化試合のザンビア戦でのゴールは見事だったものの、Aマッチ60試合6得点の大久保は、Jリーグで確かに好調ではあったが、前田と同じかそれ以上に決定力に課題がある。
コートジボワール戦とギリシャ戦で、長友を中に入れさせない守備をされたことと、左サイドでスペース作りが出来ない状態が続いた為、コロンビア戦では1トップを大久保に代え、機能しない左サイドを前に本田は右サイドに寄り、全般にくさびの縦パスを増やす工夫をしてきた。青山が先発したのはこの狙いがあったからだろう。コロンビアがハイプレスに来なかったとはいえ、この変化は効いていた様に思う。この変化をなぜ試合中に出来ないのか、相手次第で柔軟に対応を変えることは日本の大きな課題である。しかし、それ以前に日本の強みだった左サイドでどう戦うのか、FW選定の時点でそこがブレていて、この変化が必要な状況を作り出してしまった感は否めない。
大迫は素晴らしいプレイヤーである。ただ、スペースを作り出すタイプでは無い。そして強化試合のオランダ戦における印象的なゴールも、ドイツ2部で取った6ゴール中5ゴールも、右サイドを起点としたゴールだ。こう考えると、比較的ボールを持て、スペース作りの必要が小さく、右から攻めたコロンビア戦、つまり彼が先発落ちした試合に、最もフィットするFWに見える。一方、スペースが無くて左から攻めたコートジボワール戦とギリシャ戦では、最終ラインの裏を取ってスペースを作れる大久保が、3人の1トップ候補の中で最もフィットしていた様に思える。ザッケローニの1トップ選択は逆の方が良かったのでは無いか。もっと言えば、その大久保がフィットする攻め方をするなら、前田をコンフェデカップ以降落とした理由が見えて来ない。日本の持病である決定力不足を補う為の、左サイドのティキ・タカだったし、そこに前田はフィットしていたと思うのだが、本番を前にすると、より決定力がありそうに見えるFWをつい選んでしまい、元々の作戦や練度が犠牲になる。そんな罠にどうも日本は陥った様に思えた。

結局1トップは誰が良かったのか

コロンビア戦、右サイドに寄った工夫は良かったと書いた。だが、それでうまく行かなくなった側面もあって、それはAマッチ79試合39得点と、抜群の決定力を誇る岡崎が不発になることである。確かに1点決めたのは岡崎だったが、前後半通じて、右サイドの岡崎の所で潰されるシーンが目立った。岡崎は大久保以上にラインの裏のスペースに走り込むのが特徴のFWで、マインツでは1トップを務めて、今年のブンデスでPKを除いた得点ランクでは3位にあたる15得点を叩き出したが、そのゴールの殆どは裏に走り込んで、長いパスを受けて決めたものである。コロンビア戦の1点はまさにその形だ。岡崎は、香川と比べると足元が上手く無いから、スペースの無い右サイドの低い位置でボールを貰うと、ミスマッチになる。岡崎のゴールは、左サイドで崩して右にスペースが空いた時に決めたものが多く、右から攻めようとすると香川ほどには機能しないのである。
結局、今のメンバーで誰が1トップに向いていたかを考えると、ポゼッションサッカーをする前提ではくさびになれる大迫や、狭いスペースで活躍出来る柿谷というのは理解出来るが、試合始まってハイプレスに来られてスペースが無く、比較的長めの縦パスを打たざるを得なくなった時に活躍出来るのは、裏に抜け出せる岡崎だったと思われる。岡崎はブンデスでまさにその役割で15点取ったのだし、特徴とするオフザボールの動きによって相手のラインを下げさせる効用も出たであろう。そして右サイドには大久保か清武。本番ぶつかってみたら、そういう選択肢が最善では無かったか。

トルシェジャパンの既視感

実際、岡崎1トップというのは、ギリシャ戦でごく短い時間行われた。だが、不発に終わっている。本番で突然やってみて不発なのはある意味当然だ。あれだけ強化試合したのに、1トップの候補はポゼッションサッカーが出来る前提でしか試されていなかった。そうでない局面を想定して、違うフォーメーションを試すことをなぜしなかったのか。前に書いた、ザッケローニの、パワープレイすら選択肢から排除する旨のインタビューからすれば、このチームはポゼッションサッカーしか出来ないと「選択と集中」をしたのかもしれない。だが、そうであれば結果論だが、やや雑な意志決定だったと言わざるを得ないだろう。そしてこれに対して既視感に陥るのは、日韓W杯、ノックアウトラウンドに進んだ後のトルコ戦で突如としてアレックスをFWに起用して不発に終わったトルシェという監督がいたからである。アレックスを選んだのは左のファティフの裏を狙って起点を作る意味では理解出来るが、試合でのテストは記憶する限り全くされていなかった。もう少し熟成していれば、このフォーメーションはうまくいったかもしれないと期待させるシーンはトルコ戦で何度もあったが、残念ながら結果は出なかった。
今回のW杯でも同じ過ちがプレーバックされた様に思う。コートジボワール戦、ギリシャ戦を通じて、自分たちの基調とするやり方が通用しない時のオプションは殆ど実行されなかったし、オプションとして実行された内容は岡崎1トップにせよ、吉田を上げてのパワープレイにせよ、自分たちのサッカーとは異なる内容だからか、余り強化試合でテストされなかった内容だった。一方で、ザッケローニが強化試合で何度も試した3-4-3は、攻めの時は片方のサイドが上がって実質4トップに近くなり、退場者を出した後のギリシャの様な引いて守る相手には、横幅を拡げてスペースを作る意味で有用だと思われるが、一度も使われなかった。ドリブルが得意な斎藤学も、こういうスペースが無い時のオプションとして呼ばれたのだと思うが、プレー時間はゼロに終わった。この相手や状況に合わせたサッカーのバリエーションとその準備状況は、W杯直前に5バックを試して、うまく行くと本番でもそれを基調に使いつつ、従来の3-4-3や4-3-3もシーンによっては併用してくるオランダとは大きな差があったと言わざるを得ないだろう。ポゼッションサッカーで世界に挑み、そして通用しないと急ごしらえの布陣を試す。我々はジーコジャパンとトルシェジャパンの時代を学んだのだろうか。負けは負けだ。だが、次に同じ過ちを繰り返さない負けであって欲しい。

監督の現実性

今回のW杯、オランダの弱点が守備なのは誰の目にも明らかだった。ヤープ・スタムフランク・デ・ブールと当代屈指のDFが守った2000年代初頭、多少小粒にはなったがそれぞれリーグを代表するDFだったマタイセンハイティンハの前回2010年W杯と比べると、エールディビジの若いメンバーで占められる今回のオランダの守備陣は如何にも軽い。
弱点があるならまずそこを埋めるべきだ。人格に毀誉褒貶はあれど、世界屈指の戦略家であることは間違いないオランダ人監督はそう考えたのか、前のガーナとの親善試合から伝統的な3-4-3や4-3-3を捨てて、5バックという超守備的なフォーメーションを試し、そしてW杯初戦のスペイン戦にそれを用いて来た。前回覇者であり、現世界ランク1位のチームを相手する上で、現実的な選択肢をしたということだろう。オランダの3人のセンターバックは概ねセンターに陣取って真ん中のスペースを消していたが、ボールがセンターにある時は一人余り気味にマンマークに付き、サイドに有る時はラインディフェンスをするのが基本的なディフェンスの型だった。そしてサイドにある時はボールとは逆サイドのDFのポジションは多少高めでスペインの余ったウィングのマークに付くことが多かった為、ボールがサイドにあると4バック、センターなら5バックに見えた。この守備は概ね効いていて、スペインは狭くスペースに乏しいセンターでボール回しをさせられていた。スペインが逆転された後、フェルナンド・トーレスとペドロを前線に入れて、イニエスタのポジションを中盤に戻したのは、これを嫌ってスペースを欲したからだろう。しかし、弱点をうまく埋めたオランダを最後まで崩すことは出来ず、逆にリードした後は堅実にラインを下げたオランダにつられて、スペインの陣形は間延びし、縦一発から何度も失点や危ないシーンが繰り返された。オランダの戦略の勝利である。
そういえば、もう一つアジアに守備が弱点の国がある。そもそも守備の枚数が足りなくて、カウンターやセットプレーから簡単に失点することが多い。更に前線の高さも弱点で、終盤負けている時のパワープレイが難しく、コーナーキックショートコーナー一辺倒だ。オランダ人監督風に考えるならば、比較的守備が安定していた2010年の時のように、アンカーという形でDFの枚数を増やして4-1-4-1で戦うか、あるいは枚数増やさないまでも遠藤に長谷部なんていう常識外れに攻撃的なドブレピボーテを守備的な選手に入れ替えるのが合理的だ。特に後者については、今日のオランダもこのポジションはナイジェル・デ・ヨングジョナサン・デ・グズマンと守備的な選手を2枚揃え、攻撃的なイメージのあるブラジルだってパウリーニョルイス・グスタヴォと守備的な選手が2枚なんだから、日本だってピボーテの1人を守備的にしたって罰は当たるまい。でも、その守備の弱い国を率いるイタリア人監督は、もっとも守備が得意に見えた細貝というピボーテを落として、前線の選手を増やす選考を行い、そして前線には背の高いハーフナー・マイクや豊田といった選手は選ばれなかった。FIFAランクの低い国が攻撃的に行くことも、短期決戦でパワープレイをしない前提というのも、どちらも恐ろしく強気だ。そんな風に思っていたのだが、ある記事でイタリア人監督が後者の選考について語っているのを見つけた。曰く、就任後パワープレイについては幾度と試したが、日本人は子供の頃からのボールを大事にする文化が捨てられず、それは出来ない事を理解したので、その選択肢は捨てたとのこと。確かに負けている終盤、せっかく背の高い選手を前線に入れたのに、MFがボールをこねながら大事にビルドアップし、全くその背の高い選手にボールが行かないシーンを何度か見た気がする。
イタリア人監督は、オランダ人監督とは全く考え方は違うが、同じように現実的なのだ。埋まらない弱点は埋めようとせずに選択肢から切り捨てる。日本はこのW杯、負けている後半30分であっても、左サイドの長友と本田と香川でビルドアップする積りなのだろう。確かに、日本人選手の優れたスタミナを考えれば、慣れないロングボール入れて戦うより、そっちの方が確率が高いかもしれない。そして、遠藤や青山といった攻撃的な選手がドブレピボーテの一角で使われ続けるのは、この2名だけが縦に長いロングボールを入れられる勇気をもった、ある種ボールを大事にする文化から外れた選手だからなのだろう。もっと大きな枠組みで言えば、そもそも日本は余りセンターのゾーン守備が得意ではないから、そこを埋めることは捨てて、ドブレピボーテを2枚とも攻撃的にしていたという可能性すらある。3点取られても4点取れるサッカーをやろうってのだ。闘莉王の様な高さはあるが鈍足の選手を頑として入れないのも、DFにはラインを上げてポゼッションに貢献できる能力を最重視したからで、個の守備力や、ジーコ時代から得意としたコーナーキックからの背の高いDFのヘディングという得点パターンは捨ててもいいと考えたからなのかもしれない。戦略が取捨選択である以上、偏りは必要だ。その結果として、この守備の弱い国は、明日から相当スペクタクルな試合を見せてくれることだろう。

歯痛には抗ヒスタミン薬仮説

わたし喉が余り強く無いので、のど飴箱買いしてバカバカ、いやペロペロ舐めてたらいい年こいて虫歯だらけになったでござる。それで伝手を辿って歯科医にオフィス近隣の歯科を推薦して貰い、自由診療で1年がかりの口内大工事を行っているんだが、最終盤まで特に問題無く進行していた。それが、最終の型どりでーす、なんて先生が仰った直後、西新橋の邪悪な味の蕎麦屋さん「港屋」で脂分たっぷりのスープすすって、ゴマを噛んだ時に左上の4番がぐきっと行ってやな感じ。隣の3と5は抜髄済で、4も神経ギリギリとは言われていたが、これまでレジンの仮歯ながら、何ともなかったのにズキズキと痛み出す。
歯の痛みって余り経験したこと無かったんだけど、これが噛んだり温かいものを食べたりすると、脳天に突き抜ける痛みが走る。音を上げて次回予約の際に先生に左上4番がやばいんですが、と伝えてみたところ、

「セメントも問題無く入ってるし、これで温かい刺激で痛みが出る様だと抜髄するしかありません。」

とのこと。ここ両隣が抜髄済だけになるべくやりたく無いので、色々と調べてみた。歯痛なるものは、歯髄すなわち神経の所まで虫歯が進行したり細菌が入り込んだりして炎症を起こすものが典型的な様だが、今回は既に治療済みの歯であり、上述のぐきっと行った時に象牙質が割れて神経が露出したとしても、セメントで接着されているから、ものの数分で細菌が入り込んで炎症を起こし、それが痛みに繋がるという確率は低い様に思われる。他にどんな原因が考えられるかだが、痛みの原因は歯髄以外には、象牙質・歯周組織・歯肉・歯槽粘膜・咀嚼筋・神経障害・心因性と色々とある様だが、どれも細菌感染やら潰瘍の形成やらを要する為、突発的に歯が痛くなった原因には当たらない様な気がした。ますます疑問が深まって調べると、最近の学説では歯髄炎の原因は細胞でなく神経では無いか、という事になってる様だ。

 従来はムシ歯が深く進行して、そこに巣食うさまざまな菌が象牙細管を通して歯髄内に侵入し、歯髄に感染して、そこに炎症を起こすのだと考えられてきました。しかし、最近の学説では、歯髄炎を起こす主役は、細菌ではなくて、どうも“神経”のほうだと考えられ出しました。もちろん、これは神経の研究の成果の結果なのですが、歯髄の炎症には神経細胞に含まれている「神経ペプチド」というアミノ酸からなる一連の物質が作用する結果ではないかといわれ出したのです。
 神経ペプチドというのは、脳の中に広く存在し、ホルモン様な働きをするだけでなく、神経伝達物質として作用をするもので...これらは一般に血管拡張を引き起こし、毛細血管の透過性を亢進させる性質があるらしいのです。
 実は、ムシ歯菌の毒素とか冷水や熱いものの刺激が歯髄に伝わると、もちろん痛いわけですが、痛いだけでは済まなくて、刺激によって神経ペプチドが出現するのです。これがまず局所的に血管を拡張させ、血管の透過性を亢進させるわけです。つまり炎症が起こることになります。血管透過性が高まると血液成分が血管から外へ出て(炎症性滲出)、その結果間質圧が高まるわけです。なぜ間質圧が高まるかといえば、歯髄は硬い象牙質に囲まれているから、歯髄自体は腫れることができなくて、圧がこもってしまいます。
出典:たかはし歯科医院

なるほど。スギ花粉アレルギーに悩まされる半生を送ったわたしには、こちらの説明は大変判りやすい。何らかの刺激が加わると神経ペプチドが出て、血管拡張を引き起こし、歯の内圧が高まって痛むと。これは週末に酒を飲んだ際に激しく歯が痛んだこと、そして週明けに常温のコーヒーを飲んだらやはり歯が痛んだことで確信に変わった。アルコールもカフェインも血管拡張作用があるからだ。温かいもの食べると痛むのも、温かいと血管拡張するから整合的である。
先生に歯痛を訴えたら標準的措置としてロキソニンは処方されるだろうが、ロキソニンは痛みを緩和するもので、炎症を抑えるものでは無い。この炎症そのものを断てる方法は無いだろうか。論理的に考えれば、この神経ペプチドの作用を阻害すれば良さそうである。一般的な抗アレルギー剤の作用機序と同じ原理だ。現状を説明する仮説としては、ぐきっと行った時に歯髄が物理的刺激を受けて炎症を起こし、神経ペプチドが少しでも出て血管拡張すると、内圧が閾値を超えて痛みが出る状態になっており、前は問題無かった噛んだ圧力や温熱による刺激でも閾値を超えてしまう、というものである。この神経ペプチドの作用を一定期間阻害すれば、炎症が徐々に収まり、噛んだ圧力や温熱程度の刺激では閾値を超えない前の問題無い状態になって、抜髄しなくても済むという算段である。
歯髄炎に関連しているとされる神経ペプチドは、専門的に言えば、サブスタンスP(SP)とカルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)と言われてるものが挙げられる。これらは検索してみると片頭痛を初めとした痛み全般の原因物質とされている様であり、更にそれに係る論文を見ていたら、痛みの研究そのものが、そもそもなぜどうやって痛むかも含めて、まだ解明途上のフロンティアの様に思えた。道理で歯髄炎の原因が何かというのにも新しい学説が出たりしてる状態で、定まっていない訳だ。とはいえベストエフォートとして、この学説に基づいた措置をするとして、後者のCGRPというもののの受容体拮抗薬は片頭痛の治療薬として何個か有るようだが、これの入手は自分が片頭痛持ちで無い以上手持ちは無く、ナラトリプタンという薬のゾロは3000円程度で個人輸入できるが副作用があり、また、このCGRPという物質そのものが炎症を起こす作用でなくて、逆の抗炎症作用をもつ可能性すらあるという論文が見つかるという、あやふやな状況の様なので、こちらは一旦後回しにした。
一方、前者のSPはと言えば、手持ちのスギ花粉症薬のクラリチンでも効きそうな勢いである。確かにクラリチンを毎日飲んでた春先は痛みを感じなかった。ツイッターやブログで歯痛という単語の時期的出現率を調べて、有意に春先が低ければクラリチンでも良さそうという仮説を持ち得るが、期間指定しての件数表示という機能は無いことが判って、話は振り出しに戻る。この、前者のSPなるものは、ヒスタミン、ロイコトリエンB4などを遊離させて、血管拡張や血管透過性亢進を起こす、という機序の様で、ヒスタミンとロイコトリエンB4というものの作用を阻害すれば良い筈だ。クラリチンヒスタミンの作用を阻害するが、ロイコトリエンB4には効かないようである。両方効くのはと調べると、アゼプチンという第二世代抗ヒスタミン薬が見事カバーしており、かつこれはエーザイからスカイナーALという名前でOTC薬として出ている。これは素晴らしい。麻布十番トモズにGOして、のど飴じゃなくてスカイナーALを箱買いだ。そんな訳で、歯痛を止める為に抗アレルギー薬を買ってきた。痛みとアレルギーは、人の認識としては全く違うものだが、作用機序としては双方とも炎症を経る点で似たような所がある。ちなみに薬剤師さん曰く、売れてない薬とのことだった。頑張れエーザイ

午前中にスカイナーAL飲んでみたけど、とりあえず今は熱々の紅茶をすすりながらも特に温熱刺激による痛み無く駄文を書けている。頑張れわたし。頑張れヒスタミン受容拮抗薬。

6/2追記:上記のまま痛みは引き、数日歩く振動が歯に響く不快感が残ったが、今はこの歯で噛んでも、熱いもの食べても、アルコール飲んでも全く大丈夫である。途中歯科に行った時、レジンの仮歯取ったら、冷水がえらいしみたので生活反応はあり、炎症で神経が死んだ訳でも無さそう。どうやら抜髄の危機は去った様だ。もし、薬理の研究をしている方が、このネットの片隅に来る様なことがあったら、是非細菌感染を原因としない歯髄炎にヒスタミン受容拮抗薬が本当に効くか、それとも単なる経時的な回復に過ぎなかったのか、検証して欲しいと思う。でも、このスカイナーALという薬は飲んだら眠くなって大変だった・・。クラリチンやアレグラ万歳だね、その点は。

STAP幹細胞が本当に有っても、社会的インパクトは大きく無い。

今日の笹井さんの会見、アイドルタイムに少しだけ見て、会見の為に用意されたペーパーも読んだ。責任逃れだとか官僚答弁だとか色々な意見がある様だが、正直僕には枝葉末節に聞こえる。重要なのは、

1)多能性と増殖能を併せ持つSTAP幹細胞は本当にあるのか
2)またそれは社会に多大なインパクトを与える様なものか

この二点だ。小保方さんの採用・任命責任も含めて、組織人としての態度みたいなものは、仮にその批判が正しかったとしても、大した価値は生み出さない言いがかりみたいなもので、こういうのは週刊誌にでも任せておけばよろしい。ちなみに、2)については殆ど答えは出ている。STAP幹細胞が仮にあったとしても、iPS細胞にインパクト的に及ぶものでは無さそうだ。iPS細胞の山中さんが3月に出したステートメントにそれは端的に表れている。要約すれば、こんな感じだ。

  • iPS細胞と比べてSTAP幹細胞が有利とされたのは二点で、それは発がん性が低いことと、誘導効率が高いこと
  • しかし、遺伝子導入方法の改善によりiPS細胞の発がん性は低下している
  • 誘導効率も当初は0.1%だったが2009年段階で20%にまで向上した上、昨年には100%に成功した報告まで出ており、10-20%とされるSTAP幹細胞に劣るものではない
  • iPS細胞は30年の歴史があるES細胞と互換性が高く、臨床研究や治験への応用性が高い

出典:iPS細胞とSTAP幹細胞に関する考察

つまり、仮にSTAP幹細胞が存在したとしても、先行するiPS細胞を覆す様なインパクトがあるものでない。ただ、山中ステートメントの最後にあるが、「未来の医療、たとえば移植に頼らない体内での臓器の再生、失われた四肢の再生などにつながる大きな可能性のある技術」ではある。後段については、STAP現象そのものがイモリが刺激によって欠損部分を再生させる能力を持つことから着想された研究であることを皮肉っている様にしか思えないが、iPS細胞とは違う、限定された分野への応用可能性を持つに過ぎない、と理解すれば良いだろう。
その上で、1)だが、今回の笹井さんの会見は二点を除き極めて明瞭で、良く理解出来た。STAP幹細胞懐疑派の主な根拠は、

  • 多能性マーカーとされるOCT4-GFPの発現をもって小保方さんはSTAP細胞作成に成功しているとしているが、これは死細胞の自家蛍光か、あるいは単にOCT4-GFPが発現するだけで、多能性の獲得はしていないのではないか
  • ES細胞が意図的かは別として混入していたのではないか
  • 分化したT細胞がリプログラミングされた証拠であるTCR再構成がSTAP幹細胞には見られないから、STAP幹細胞は多能性が無いのではないか
  • STAP細胞は分化した細胞が多能性を獲得したのでなく、もともと体内に含まれている多能性を持つ幹細胞を選別したに過ぎないのではないか
  • 多能性だけを持つSTAP細胞が増殖能まで併せ持つSTAP幹細胞にうまくコンバージョンされないと、実際の医療応用の可能性は低いのではないか

といったものだったが、最後の二点を除けば、それなりにしっかりとした回答が成されていた。
まず一点目は、OCT4-GFP発現については死細胞の自家蛍光ではないことはデータ操作不能なライブ・セル・イメージング他で確認され、かつ胚盤胞の細胞注入実験によりES細胞では起こりえない特徴的な多能性の表現型が示されていることから否定していた。二点目は、STAP細胞ES細胞よりかなり小型の特徴的な細胞であるから誤認は有り得ず、かつ前述の通り多能性の表現型も異なる為、混入はないことから同様に否定。三点目の、TCR再構成が見られないことについては、生後すぐの脾臓由来の細胞にT細胞が含まれる可能性は元来低く、TCR再構成が見られなかったとしてもこの論文では重要ではない(!)とのことである。よって、今の実験結果からして、STAP現象があったという仮説が最も合理的、というのが笹井さんの会見の趣旨であって、これは高校の生物は得意中の得意だった程度の素人にも極めて良く判る説明であった。
一方、四点目についての是非は良く判らなかった。だが、多能性獲得でも選別でも、結果として成功すれば多能性を持つ細胞のそこそこ効率的な獲得方法を見つけたとは言えるのだとは思う。そして最後の五点目はペーパーに触れられず、会見でも良く判らなかった上に、STAP幹細胞でなく"STAP現象"という言葉を笹井さんが使っていたことからして、STAP細胞からSTAP幹細胞へのコンバージョンの難しさと、それに伴う実際の医療応用の可能性の低さは大きな弱点なのかもしれない。
あと、もう一つ今回知った中で重要だと思ったのは、生後3週齢以降のマウス細胞ではSTAP細胞にならない場合が多いということだ。若い個体の細胞なら多能性を獲得する確率が高いが、成熟した個体はそうでは無い。これがもしヒトにとっても同じだとしたら、臨床医療への応用可能性は低くなるだろう。ごく若い個体の細胞でしか多能性が獲得できないのだとしたら、上に述べた様な社会的インパクトは更に小さくなる。
そんな訳で、STAP現象があるという仮説には大変ワクワクしたし、笹井さんを初めとした理研のチームには是非その謎を解き明かして欲しいとも思ったが、それを解き明かしたからと言って社会的インパクトが大きいかと言うとそうでも無い研究だという思いはますます強くなった。とはいえ研究ってのは社会的インパクト(≒カネ)と必ずしも直結しないものだから、企業的な発想で、儲からないからそれをもってダメだとぶった切る話ではない。
また、冒頭に少し触れたが、同じく企業的な発想で、二度と小保方さんの様な人が出ないように、コンプラとかダブルチェックとかの強化や採用・昇進の厳格化を行うのは愚の骨頂だと思う。研究者はワクワクする謎を解くのが仕事なのであって、ミスやチートに目を光らせるのが仕事なのでは無い。無謬性を問う余り、雑用をより増やしてしまうのは、角を矯めて牛を殺す様なものだ。ここは、大胆な仮説の過ちは許容しつつも、小保方さんの様なチートは判り次第きっちり一発退場させて自浄作用を働かせるということで良いんでは無かろうか。少しでも人事に携わったことのある方なら判ると思うが、どんなにスクリーニングしても、採用とか昇進ってのは一定確率で間違えるので、その責任を問いだしたら組織から責任者が消えて無くなる。大事なのは、ゴミを見つけたら直ちに掃除する自浄プロセスなのである。そして採用とか昇進の間違えを減らそうとすると、大人しい優等生が増えて、とんがった人材を扱いにくくなる。その意味で、大胆に若手を登用して、競わせるという笹井さんの方針が使い捨てだと批判されていたが、僕はこれあんまり違和感無くて、機会を与えてみてダメだったら取っ替えるのが結局成果を出すには一番良いと思う。残念ながら、今回はたまたま凄いババを掴んじゃったけれども、その実は若い頃から頭角を現した優秀な研究者だったと聞く笹井さんらしい若手への機会の与え方だと思う。
STAP現象は有力な仮説に戻った。若手が機会を掴みかけて、その未熟さなのか、邪悪さなのかで自滅した。でも、何にも出てこないよりはマシだ。理研チームは、沽券にかけても是非この仮説をもう一度理論にまで再構築し、今回明らかになった多能性を取り戻す為の若さの壁をも飛び越え、凍傷で指を失った登山家の傷口を酸処理して、うまく誘導したら指が生えてきたレベルの臨床応用にまで至って欲しいものである。

セッティングが産んだマスターズ覇者

アリスター・マッケンジーが、なぜあそこまで(オーガスタ・ナショナルGCを)マニキュア風コースに作ったのか、理解出来ない。」全英オープンを5度制したオーストリア人プレイヤーであり、かつセントアンドルーズのオールドコースホテルが保有するデュークスコースを代表作とするゴルフコース設計家のピーター・トムソンは、マスターズの舞台であるオーガスタ・ナショナルGCをそう評したと聞く。
極端にグリーンを硬くした今年のオーガスタのセッティングを見て、全英のグリーンの様だと感じ、僕はふとこの評論を思い出していた。全英の舞台は、マニキュア風コースの正反対であろう、あるがままの地形を活かしたリンクスコースである。グリーンがここまで硬いとリンクスコース同様にスピンが効きにくくなるが、この硬さの背景は、このリンクスコースのクラシックな要素を取り込み、スピンとランニングの有利不利の差を縮めて、プレイヤーに選択肢を提示したいというものだったのだろうか。それとも単にグリーンの難度を上げて、近年目立つ二桁アンダー中盤の優勝スコアに対抗したかっただけだろうか。
今年のマスターズ、他を圧するロングドライブを持ち、2打目を高さで勝負して止めれるバッバ・ワトソンと、全英的なランニングアプローチに習熟したシニアなプレイヤーとが、結果として上位に目立った。後者のシニアなプレイヤーの活躍については、マスターズ委員会の狙いが、もしリンクスコースの要素を取り込むことであれば、その狙いは渋く達成できたと言えるだろう。ただ、ゲーム全体を通しては、とにかく前者のバッバ・ワトソンが無双した印象が強かった。時折370ヤードなんていうロングドライブをぶっ放し、二打目をショートアイアンかウェッジでビシビシ止めてくるバッバ・ワトソンは圧倒的に有利だった。オーガスタ・ナショナルも2002年に300ヤード、2005年に更に200ヤードと距離を伸ばす改造をして、ロングヒッターに対抗しようと努めてきた。でも、今回のマスターズは、改造余地が無くなってグリーンを硬くしてスコアを抑えようとしてみたら、逆に超ロングヒッターにはより有利になったでござる、という図に見えて仕方無い。バッバ・ワトソンは、同様にグリーンの硬い全英ではこれまで良い成績を残していないから、マスターズのこの結果は興味深いものがある。風なのかラフなのかフェアウェイの硬さなのか、それらの組み合わせによる偶然性なのか、何かスコアを左右する要素が、全英とは大きく違っていたのだろう。
全体的なプロプレイヤーの飛距離向上トレンドはコースにとっての悩みの種だ。でも、昨年の全米オープンの舞台メリオンは7000ヤードを切る短い設定だったが、優勝スコアは1オーバーに止まった。これはプロプレイヤーの飛距離向上への対抗策はコースの距離延長だけでは無いことを示した格好になった。が、ある種のお祭り的なマスターズが、極端に難しい全米オープン的なセッティングになるのも違和感が有る。今年の結果を踏まえて、オーガスタ・ナショナルは来年どういうセッティングで臨むのか。一つの偶然として処理して、再度硬いグリーンとするのか、元に戻して二桁アンダー中盤の優勝スコアを許容するのか、あるいはフェアウェイをもっと絞って別の難度を上げるのか。中期的には、コース改造やルール変更の様な大技も有り得ることだろう。その辺りを眺めていれば、米国のゴルフコース設計への考え方の潮流もうっすらと感じられるんじゃないだろうか。
僕個人としては、超ロングヒッターの無双を呼ぶセッティングはつまらなく感じる。ロングドライブが技では無いとは言わないが、それが余りに有利になりすぎた、というのが今年だった様に思う。もともとグリーン周りに落としどころが限られるオーガスタ・ナショナルだから、中距離ヒッターでもグリーンにうまく落とせば止めれる硬さに戻した上で、フェアウェイとラフのバランス変更なのか、グリーンにうまく落とせる難易度の調整をした方が、超ロングヒッターの有利さが修正され、マスター達のお祭りに相応しい技の見せ合いに近付くんじゃ無かろうか。

桜 × iPhone5s

今年の3月は春らしくなくずっと寒いと思っていたら、突然地球は暖まり、桜が咲いた。命とは生か死かのデジタルな存在であって、花は咲くことで花になるのだ。
そして人間には二種類ある。スマホで桜を撮る人と撮らない人である。でも、桜を撮らない人はかなり少数派だろう。それをSNSに投稿することで自己承認欲求を満足させたり、それを陰でdisられたりするか否かは別として、何か心動くものを見ると記録してしまうのが人間だ。この衝動が無ければ、おそらく文字は発明されず、歴史も発生していなかっただろう。人間とは記録する生き物なのである。
僕はご多分に漏れずスマホで桜を撮る人である。でも、昨年までは桜が咲いたなと思ったら、通勤鞄の中に入れたコンデジを出していた。それが今年からは通勤鞄からコンデジがレギュラー落ちして、高価なRX100ですらベンチメンバーという辛苦艱難を味わっており、桜を見るとポケットからiPhone5sを出してパチリパチリと撮っている。以前のエントリでも書いたが、5sは5以前のiPhoneと比べると飛躍的に画質が向上しており、記録用途なら最早これで十分と思えるからだ。ただ、画角は広角で単焦点である為、背景に余計なものが入りがちだし、単調な遠景になりがちだ。その辺り、ギリギリまで寄った上でデジタルズームを駆使しして補う必要があるが、工夫次第でまずまず意図した構図が出来あがる。長い写真史の中で、ズームレンズが主役だった時代は短く、長らく単焦点レンズが主役だったのだから、これ位でブー垂れてはいけないのである。
桜は美しい。でも桜餅はさして美味しくない。美しいからと言って、なぜ食べようとまで思ったのか。きっと桜餅を発明した人は「食べちゃいたい程かわいい」を実践したのだろうが、たぶん変態だったんだと毎年思う。そんな春が今年も来た。
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デルフト島で。

ボロ船

バスは桟橋に着いた。窓から吹き込む薫風が止まり、すぐに車内は熱帯特有の熱気が優勢となった。のんびりとバスを降りるタミル人達について、バックパックを背負って暗い車内から外に出ると、カッと昼の太陽が照りつけた。そこに海風が僕を包む。陽光と海風、そして背中に食い込む重いバックパック。僕は旅をしている。
 デルフト島までは10kmと少しの航海だが、外洋に出る。那覇から慶良間に行く様な感じだろうか。僕はコーズウェイを進むバスの中で、デルフト島までの船を、日本でもよく見る立派なフェリーか、あるいはホルムズ海峡の密貿易船みたいな高速モーターボートでは無いかと勝手に想像していた。過去幾多の秘境に行ったが、船と言えば立派なフェリーか、高速モーターボートか、あるいは十数人も乗れば一杯の小舟にしか出会わず、さすがに三番目の小舟は無いなと思ったからである。しかし、視界に入ってきたのは、小舟よりはマシだが、到底外洋に出れるとは思えないボロ船であった。僕は少し動揺して、このボロ船で外洋を安全に航海出来るものなのか、高速で頭の中のストレージをイメージ検索した。南米の秘境ガイアナからスリナムに行く川を渡るフェリーでも、比べものにならない位立派だった。アフリカで乗ったザンジバル行きのフェリーは言うに及ばず。唯一引っ掛かったのは、南洋のトラック島で見た、ヤップ島に向かうという船である。あれも、これで外洋に出るのかという漁船に毛が生えた位の大きさで、しかも船室にも甲板にも人と荷物がぎっしりと乗っていた。それで2日とか3日の航海をすると聞いて、幾ら秘境好きでもちょっと嫌だなと思った記憶がある。
 あの記憶と記録双方に残る様なボロ船で、太平洋の孤島であるトラックから同じく孤島のヤップに行けるなら、10kmそこそこの航海は楽勝なのかもしれない。そんな風に前向きに考えると、僕は板一枚のタラップを渡って、船内に頭を突っ込んだ。突っ込んだはいいけど、船室は暗かった。明暗差に目が慣れなくて何も見えない。僕はしばらく頭を突っ込みっぱなしで、瞼をしぱしぱさせながら、目が慣れるを待った。じわじわと船室の中が見えてきた。僕は、タミル人が船室を埋め尽くしてるのを確認すると同時に、そのタミル人全員が珍しい東洋人にじーっと注目していることも確認した。ここに入る隙間は物理的にも精神的にも無さそうだ。珍しい東洋人は、首を振って甲板の客となった。
 船が出た。行きは追い風・追い潮であった。ボロ船とはいえ喫水は高く、甲板でも水をかぶることは少ない。水平線上に平たい島が幾つか見える。地殻の造山活動によって出来るのではなく、古い珊瑚が積み重なって出来る熱帯の石灰質の島は、性質上起伏に乏しくなる。この辺の島はみなその様な成り立ちなのだろう。そして、珊瑚の欠片が積み重なった真っ白なビーチが見える。デルフト島にもそんなビーチがある筈だ。僕は特にビーチを求める旅人では無いが、さすがに熱帯の島に行ってビーチに行かないというのは片手落ちだろう。帰りの船の時間を考えると、そんなに長くは居れないだろうけど、ビーチの木陰で何をしようかなと、甲板で考えながら海風に吹かれていると、妙に楽しくなってきた。何羽かの白い海鳥が船の横をゆっくりと飛んでいった。遠くの島のビーチと海鳥だけが、この青い海と空の中で白さを際立たせていた。
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  • ボロ船は甲板までぎっしりと埋まり、よく見るとバイクまで積まれている。みんな暇そうだ。

接岸

デルフト島の桟橋は簡単なもので、いやそれが余りに簡単すぎて、船が接岸できるスペースが無かった。ボロ船は桟橋に接岸している別の船に接岸し、僕はその"別の船"の甲板の縁を、平均台を渡る時の様に両手を拡げてバランスを取って、歩いて、そして最後ジャンプして、"接岸"した。ここがデルフト島だ。野生馬とバオバブの木とかわいらしいビーチがあるという以外は何も判らないデルフト島である。もちろん港に観光案内所などは無く、ざっくりとした島内全体像の図だけが港の建物に書かれていた。でも、タミル語で書かれたそれは、さらに潮風にやられて全く用を為さない上に、現在地表示が無くて自分がどこにいるのかすら判然としなかった。どうしよう。いや、これまでも大抵どうにかなった。小さな港を出てみると、簡単なレストランみたいなの一軒だけある。そういえばお腹が空いてきたので、ここで少し食べがてら、どうデルフト島を巡るのか、レストランの人に話を聞きながら決めてみようではないか。
 フレンドリーなレストランの人に話し掛けたら、実に話は簡単だった。一人なら、そこにたむろっている男が運転するスクーターの後ろにしがみついて島内を移動する。二人以上なら、同じくそこにたむろっている男が運転するピックアップトラックの荷台にしがみついて島内を移動する。それだけだった。秘境はたいへんシンプルなのだ。そして、ここのレストランのカレーはなかなか美味しい。食べた後、僕はチャイを頼んだ。インド系であるタミル人地域ということもあって、僕は何となくヒンディー語に影響されて、"チャイ"と言ったのだが、これは通じなかった。そうだ。南インドタミル語で紅茶は英語みたいにティーと言うのだった。中国から陸路、あるいは北部中国から直接お茶が伝わった地域は、北インドやアラビア、ロシア、日韓の様に概ね"チャ"の発音を用い、客家やオランダ人など海の商人達がお茶を伝えた地域、例えばマレーや南インドスリランカ、そして西欧は、概ね客家語に準じてティーとかテーとかの発音を用いる。その意味で、インドやスリランカは紅茶大国だけど、北と南でたぶん伝わり方が違うのだ。そして南のくくりの中でも、タミル語でお茶がティーなら、一方のシンハラ人地域のスリランカではテーと言う。フランス語と似た発音だ。僕は、コロンボの場末の屋台で紅茶を飲む度に、おフランスと同じかと苦笑していた。そして、仲の悪いタミル人とシンハラ人は、お茶の発音においても仲の悪い英仏の様に、微妙に別れているのである。
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  • 辺境のレストランだが、割に美味しい。お米がジャポニカ種なのが目を惹いた。

薄白いラグーン

デルフト島の民に案内されたバオバブの木は、マダガスカルの写真で良く見る、幹ばかり太くて枝葉が発達しないバオバブの木と違って、幹は確かに太いが、ふさふさと枝葉を伸ばしたものだった。実に普通の木だ。でも、これが島内の見所と紹介される以上は、デルフト島にも、スリランカ全土においても珍しいものなのだろう。種子が何らかの形でマダガスカルから海を渡ってここに根付いたのだろうか。そういえばオーストラリアでもバオバブは生えているから、インド洋を渡って根付く種があったのだろう。
 バオバブの太い幹は、乾期と雨期がはっきりした気候において、乾期を生き抜くために水を蓄えられる様に進化した形である。従って、低灌木しか生えないような、乾期と雨期がはっきりした気候の中でも、乾燥した部類の地域に特化した種だと思われ、他の木が生えれる程度に湿潤だと、見るからに光合成量が少ないバオバブは、普通の木との競争に負けてしまいそうだ。デルフト島があるスリランカ北西部は、起伏に乏しく、モンスーンが吹く時期に雨が降りにくい気候だ。むしろ風が止む10-12月あたりに、雲が流れにくい為だと思うが雨が多い。この、スリランカの他の地域と比べると、雨の降る時期が限られるデルフト島の気候が、うまくバオバブの生育要件に合致したのだろう。遠いマダガスカルから種子が流れ着いて、偶然この島の気候にフィットして育った。でも、バオバブが属するパンヤ科は雌雄同株・両性花らしいが、受粉を媒介する昆虫や動物はこの地に居なかったのだろう。結果としてこの木は、子孫を残せずに、永劫とも思える時間を、偶然にも孤独にこの地で生きている。
 そんな物語を反芻しながら、しばらくバオバブの木陰で過ごした後、僕は強い陽光の下に這い出た。この尋常ならざる偶然の産物であるバオバブの、実に尋常そのものの形状を最後鑑賞しよう。そう思って遠巻きに眺めてみたら、近くにラグーンが拡がっていることに気が付いた。ここは島の内陸部だが、窪地の地面の高さが海面下になると、海水が石灰質の土地から染み出してくるのかもしれない。寄ってみると、水たまりの様な水深のラグーンである。珊瑚の成れの果ての白い砂地の上に、乾燥に強い芝生の様な草が薄く生え、大地は薄いグリーンだ。そしてその先のラグーンの水底は、もちろん白い砂地。だから、湖面はそれを反射してキラキラと白に近い薄いグリーンに輝いていた。薄白いラグーンだと僕は思った。石灰質の白い砂の堆積具合と、海面との微妙な関係によって、この様に浅く、底面の色を反映するラグーンが出現するのだろう。実にはかない、偶然の産物だ。そんな浅いラグーンには、生き物の姿は見当たらなかった。水に触ってみると、水よりお湯に近い温度である。浅いから太陽光でここまで暖まってしまうのだ。そもそも石灰質の大地には、薄く生えてる草以外の命に乏しい。栄養に乏しく、太陽に照らされれば高温になる石灰質の白い砂は、生き物には余り適しておらず、そこに薄く水が張られても同じだってことなのだろう。でもそのお陰で、この一様に薄白い風景がもたらされているのだ。
 この後、帰りの船を待つまでの間に行った、島一番とされるかわいらしいビーチは、石灰質の白砂のビーチであった。でも、そこより僕は遙かにこのラグーンの風景に惹かれた。白いビーチは割とどこにでもあるが、薄白いラグーンはそれ程どこにでもあるわけでは無いからである。デルフト島は薄白いラグーンを抱えた島だ。そしてそのほとりには、孤独なバオバブの木が偶然にも生きている。
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  • ラグーンと空そして草地が、薄いグリーンからブルーへの無限のバリエーションを提示している。

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  • 見た瞬間に、「これわww」と言ってしまったボロ船。これで外洋に出る。そしてバックパックは片掛けなのだ、タミル人達は。

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  • 甲板の客となる。ぎっしり載っている。いい天気。

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  • 近隣の島が隠し持つ白砂の、そしておそらくは手つかずのビーチ。

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  • この地域でもディンギーと呼ぶのか知らないが、帆掛け船が行き交う。帆があざやかに映える。

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  • 船に接岸して、船経由で陸に向かうという雑なオペレーションを履行する図。こんな所で落ちる訳にはいかない!

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  • これが港を出た所のレストランだ。デルフト・イン・ホテルという名前だが、聞いてみたら実際に泊まれるらしい。この島に泊まった外国人はレアだろうから、看板の電話番号に電話してみるのもいいだろう。

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  • この人が有名なバオバブなんだけど、イマイチ普通の形である。

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  • 木漏れ日はナイスなシャワーの様に割と盛大に降り注いでた。

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  • おや、ラグーンらしきものがある。

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  • 野生馬がラグーンの近くで戯れる。この地に住むデルフトの民が、馬を利用するという方向に行かなかったのはなぜだろうか。

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  • 浅く、そして薄白いラグーンだ。

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  • 何というか、何とも言えない風景だ。薄白いラグーンに薄いグリーンの草地、その向こうには濃いグリーンの木があり、青い空がそれを包む。

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  • ラグーンを見終わった後、オランダ支配時代の砦、通称ダッチフォートを見に行った。ジャフナのダッチフォートは今ひとつだが、デルフト島のダッチフォートはなかなか迷宮っぽくてよろしい。

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  • ダッチフォート近くの古い病院。看護婦さんが暇そうに歩いていた。熱帯の病院に、ガーナはコルレ・ブー教育病院にある、野口英世記念室の風景を思い出した。

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  • 病院の建物はなかなか瀟洒である。

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  • 軽いデコトラ。トラックならぬデコレーショントラクターである。

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  • ビーチでの楽しみ方は白人よりスリランカ人の方が知っている様に見える図。

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  • スリランカ海軍が運営するビーチサイドカフェ。「艦これ」ならぬ「艦カフェ」。

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  • 白い砂地の上で犬がのんびりと休んでた。デルフト島は、大体全般にこういう島だった気がする。