旅行記

デルフト島で。

ボロ船 バスは桟橋に着いた。窓から吹き込む薫風が止まり、すぐに車内は熱帯特有の熱気が優勢となった。のんびりとバスを降りるタミル人達について、バックパックを背負って暗い車内から外に出ると、カッと昼の太陽が照りつけた。そこに海風が僕を包む。陽光…

デルフト島へ。

ベルベル人に会わなければモロッコに行ったとは言えない━━いつかそんな事を言ってた友達がいた。僕はそもそもモロッコに行った事無いけど、地中海沿いに住むアラブ人とアトラス山脈を越えた半砂漠に住むベルベル人━━語源は多分バーバリアンのそれと同じだ━━…

ターンベリー アイルサコース

伝説のターンベリー 二日目はターンベリーホテルGCのアイルサコースである(エイルサ、とも)。今回一番楽しみにしていたリンクスコースだ。米ゴルフマガジン誌のランキングでは世界18位であり、2012年のスコットランド・リンクスランキングで1位。今年は少し…

イマジネーション VS 再現性

初日のリンクスは、エディンバラ近郊のグレンGCとその東隣のノースベリックの2ラウンドから始まった。ノースベリックの小さな町の東コースと西コース、という趣だが、グレンは1ラウンド61ポンドの安めのリンクス、ノースベリックは95ポンドとまずまずのお値…

カリフォルニアロールとゴルフ

ゴルフの全英オープンは、いわゆるリンクスと呼ばれる茫漠たるゴルフ場で行われる。リンクスは、日本人の目からすると特殊なものに見える。ただ、知っての通りゴルフはあちらのリンクスが原点である。英国で育まれ、米国で大きく羽ばたいたスポーツだ。「日…

遥かなるナガランド

ナガランドはインパールのすぐ北にある。 大きな地図で見る 世界三大悪路 それは、悪路だった。トヨタ製の4WDは、いつしか毎時40kmを超えなくなり、そしてその上限は直ぐに早足で歩く程度になった。それでも身体はよく宙に舞い、そして左右に揺れた。踏ん張…

遙かなるワハン回廊、或いはクルディスタン

最初は、アフガニスタンのワハン回廊に行きたかったのだ。自分認定の、世界三大回廊の親玉である。アルメニアとナゴルノ・カラバフを繋ぐラチン回廊は2001年に行った。ナミビアとザンビアを繋ぎ、アンゴラとボツワナを隔てるガブリビ回廊と、アフガニスタンと…

Day-8 遠い隣国スーダン。

今日はエジプトを発って、晴れてスーダン入りの日である。エジプトの恐怖の道路横断ともこれでオサラバだ。交通マナーの悪い国は多々あれど、これ程道路横断に気を遣う国は珍しいのでは無かろうか。90年代の中国も随分とスリリングだったが、まだ中国は車線…

Day-7 石の都

朝はルンルンで目が覚めた。本当にルンルンを買っておうちに帰ろうとしている若かりし頃の林真理子を瞬間最大風速で上回るルンルンっぷりだったと思われる。なにせ宿の名前は、Le Paris Hotel。ラクダ臭いカイロで何と花の都パリだ。名前通り、一人2000円と…

Day-6 歴史との対話

カイロに戻り、また安宿に逗留した。かのサファリホテルやスルタンホテルでは無い。カイロのサファリホテル、バラナシの久美子ハウス、サンパウロのペンション荒木、メキシコシティのペンションアミーゴ、シェムリアップのタケオゲストハウス辺りから、選ぶ…

Day-5 超現実からの帰還

白砂漠でのキャンプは、浅めの眠りではあったが、快適に過ぎた。ベンチレーションが悪そうな旧式のテントだったので、どうなる事かと思ったが、砂漠の湿度が低すぎて結露しないのだろう。それとも、経年変化で痛んでいてナチュラルにベンチレートしてたのか…

Day-4 エジプトのアラスカ

朝が明けると、宿が手配してくれた砂漠ツアーへの迎えが来ていた。ガイド兼ドライバーの名前はハムディーと言う。車は勿論ランドクルーザーである。辺境を旅すれば、舗装道路を進むときはハイエース、未舗装道を進むときはランドクルーザーと世界の相場は決…

Day-3 砂漠へ。

大晦日にカイロに着いて、安宿に泊まり、新年のカウントダウンは夢の中で迎えた。ここエジプトより7時間早く日本は新年を迎えており、エジプトのVodafone Egyptはカイロで3Gサービスを提供し、かつアフリカ大陸でほぼ唯一の海外パケット定額対象国という事で…

Day-2 灰色の男の世界

エティハド航空の機体はA330だった。ニークリアランスや食事のパンの質など、僅かな部分でエミレーツには及ばないと感じたが、十分満足できる水準である。大昔のノースウェストや大韓航空とは比べるべくもない。機内の映画はVODだった。見たい時に好きなのを…

Day-1 失われたスーダンビザを求めて

今年の年末は強行休暇をする事にした。仕事は忙しく、オン・ザ・ビーチ的にゆっくり休める状況では無いのだが、この夏も、昨年の年末もその前の夏もそんな感じで休まなかった。なので、このままでは偶然にもプロジェクトの間とかで暇にならないと、一生休めな…

北東北写真紀行

[NIKON D90 + AiAF Nikkor 24-85mm F2.8-4D] 三連休は、ふらっと当日思い立って秋田に向かい、八戸から帰ることにした。その間の宿は家を出てから考えることにした。北東北だから昼は暑いが夜はしのぎやすくなっているに違いない。最悪、クルマの中で寝ても…

ホイアン

ハノイを離れて中部のホイアンに向かうことになった。夜汽車で行って、飛行機で帰るいつものパターンである。ディーゼル2連、客室は4人コンパートメントである。ヨーロッパで言えば、二等寝台相当と思われる。ホイアンには鉄道駅は無いので、中部最大の産業…

ハノイ

ゴールデンウィークはカレンダー通り休めることになって、慌ただしく旅に出ることにした。イランや南インドに最初は狙いを定めたが、エアチケットが20万の余もする。さすがに5日間では勿体ない気がして、半額以下のベトナムに行き先を変更した。勿体ないとは…

ボロブドゥールへ。5日目:キャバクラゴルフ

今日は旅行の最終日である。早朝起きると、支配人が「サム ソート オブ ハード デイ」で残念だったな、と声を掛けてきた。exactly、という感じだが、僕が、せっかくの自分のホテルをほぼ寝て終えたことを不憫がった支配人は、ジャカルタのトランジット時間に…

ボロブドゥールへ。4日目:アマンジオ | Amanjiwo

さて、アマンジオである。ボロブドゥールを見終えた僕は、アマンジオに電話した。空港への送迎サービスが付いているのがアマンリゾートだが、僕は空港で無くてボロブドゥール遺跡に既に居るので、ここに迎えに来いという要望である。そしたら、遺跡近くのマ…

ボロブドゥールへ。3日目:アプローチ トゥ ボロブドゥール

日記自体は3日目だが、便宜上2日目の夜から始めることとする。ジョグジャカルタに着いた後の話は、ジャカルタの赤坂見附の話とは懸け離れているからである。 さて、ジョグジャカルタに到着後、特に宿を取っていなかった僕は、空港のカウンターに聞くことにし…

ボロブドゥールへ。2日目:人間の尊厳

朝起きたら微妙にお腹はユルかった。やっぱり昨日のサテが効いたのだろうか。マレー・インドネシア圏は4回目だが、お腹については4回連続当選、そろそろ副大臣も見えてきた頃合いである。ま、これを気にして旅行は出来ぬ。 [Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-2…

ボロブドゥールへ。1日目:ジャカルタ安宿街

発狂しそうに忙しいのでシルバーウィークも突発的な仕事に備えて日本に居ようかと考えていたが、本当に発狂してもつまらないので旅に出た。行く先はインドネシア、旅の始まりはジャカルタである。今日はラマダーン最後の日でもあって、旅先を選んだ一つの興…

トンローの屋台街

暑くなってきたのでタイ料理に溺れたくなった。思い出す味はトンローの屋台街である。BTSのトンロー駅(Thong Lo)のほど近く、スクンビット・ソイ38にある。このソイの入り口が夕方になると屋台街になるのである。手持ちの「地球の歩き方」や「Lonely Planet」…

草津の風景

これまで草津にはかなりの回数行った。だが、泊まったことは無い。大学時代から社会人初めにかけて、車中泊か交代で夜中も走ることを前提とした、通称“修行ドライブ”をよくしたが、お金が無かったから、草津みたいな無料で24時間の外湯がある所を、よくお風…

向島旧赤線地帯を往く

向島には、むかし赤線があった。向島は花街で有名で、芸妓の居る料亭も多かったが、その近隣の玉の井というエリアは私娼窟が集まった娼館街だった。往時は、この玉の井に500件もの娼館が存在したと言う。それが東京大空襲によって丸焼けになり、たまたま近隣…

4日目。カラカス→コロ

さすがに一晩寝ると、ドキシサイクリンも抜けて、極めて快調である。抗マラリアタブレットも二日酔いみたいなもんである。そこで朝7時、夜明けとともにリベンジを期して観光に繰り出した。生意気にもカラカスの町には地下鉄が走っておる。標準軌、第三軌条の…

3日目。ボゴタ→カラカス

Aviancaの機内食は比較的美味しく、ブラジルで食べたような豆のスターチと煮込んだ肉だったが、これはナイスだった。基本バックパッカー的旅行に出るならエコノミークラスしか選択肢は無いのだが、僕の数あるエコノミークラス機内食経験の中でもAviancaのこ…

2日目。LA→ボゴタ

いつも通り寝坊して、昼からホテルのメインダイニングで朝飯を食った。昨日の晩にイタリアンに行ったばかりなのに、どうにも朝からハンバーガーは無理で、またパスタを注文する。果たして出てきた代物は、アルデンテでは無かったが、味付けは悪くなかった。…

1日目。成田→LA

今年も12月は忙しかった。師とまで偉そうな身分でもないのに、走ってばかりいた。昨年も忙しかった。その前は、ハプニングに追われ、さらにその前はディールが佳境だった。2004年は仕掛った話は幾つかあったが、比較的ましだった気もする。ただ、その前はや…