郵政問題に垣間見える思惑

 「かんぽの宿」問題については、金融的視点で見ると、「オリックスの出した109億円以上ではどこも買わない」というのが金融系blog界でもコンセンサスだし、僕もニュースを見た瞬間にそう思った。高く売りたいなら、譲渡先見直しはイラショナルな判断である。しかし、政治の世界というのは面白いもので、国会議員の方に、個々に接すると、高い知性と志を備えていて、信頼できると思うことが多いのだが、マスコミを通じて聞こえてくる総体としての政治家の言動や判断となると、何ともイラショナルな印象を受ける時がある。要は、個々の事象への理性的な判断より、党派的・政治的判断の方が優先されるという事なのだろう。
 「かんぽの宿」問題も、「東京中央郵便局建て替え国辱発言」にしても、経済的にはオリックスに売却し、郵便局は建て替えた方が良いのは鳩山氏もよく理解しているだろうし、部下の官僚からもそういうレクチャーは山ほど受けていることだろう。むしろ、なぜ後出しじゃんけんをトップが行ったかの意味を考えた方が面白い。1つの有力説は、麻生首相が昨年末から郵政民営化見直しに言及しつつある事との繋がりである。この麻生発言自体は、勿論来るべき衆院選に向けて、特定局長とか職域とかの郵政票の民主党流出阻止を狙ったのは明らかだ。鳩山氏は、内閣の一員として、首相と歩調を合わせ、郵政民営化のダークサイドを強調するパフォーマンスを行ってみた、という話である。加えて、「かんぽの宿」を落札しようとしていたのが、小泉政権下で総合規制改革会議長だった宮内氏がトップのオリックスだったから、余計に格好の餌食になった、という解説がこの説に大抵セットになっている。僕も、オリックスがそこまで嫌われているかはともかく、郵政票狙いというコンセプトは大枠外していないと思う。東京中央郵便局問題に対する、米国流の資本主義への追随で情けない、という彼の発言のトーンにも、アンチ規制緩和小泉改革見直し派への擦り寄りが強く感じられるからだ。
 もう1つ有り得るのは、彼個人のいずれ来るポスト麻生政局への布石である。前回の総裁選は、2位与謝野馨、3位小池百合子、4位石原伸晃、5位石破茂という順番だったが、2位から4位の政治家は揃って小泉改革に重要な役割を果たしている。与謝野氏は政策を司る政調会長のポジションで郵政民営化を進めたし、小池氏は言わずと知れた郵政解散の「刺客」の顔、石原氏は小泉政権下で行革担当相を務めている。安倍晋三が制した06年の総裁選に立候補を試みた鳩山氏にとってみると、郵政民営化をくさすパフォーマンスで国民の関心・支持を集められれば、即ち次期総裁選における「小泉改革見直し派」の勢力も、その中における自らの地位も、双方高められる構造である。また、鳩山氏は石破氏と同じ平成研究会所属だが、平成研究会自体は小泉政権下で非主流派であり、「抵抗勢力」とされた議員が多い。よって、「小泉改革見直し派」の軸で鳩山氏が目立てば、派内で石破氏を抑えて派の候補になれる可能性も高まってくる。また、政治評論家が指摘する通り、「選挙に勝てる顔」という観点では小池氏の可能性が最も高いだろうが、バリバリの小泉派である彼女の目を潰すには、党内の選挙向けの方向性を「小泉改革の見直し」に振るのが一番であろう。
 真相は本人にしか判らないが、余りに言動が目立ったので、外から重ねた邪推はこんな所である。鳩山氏の思惑から離れ、この2つの問題を個人的に評価するなら、東京中央郵便局建て替えは、日本郵政の財務を良くして、国の債務返済に充当する為に建て替えるのも一つの見識だし、別に建物自体が赤字を垂れ流している訳では無いから、経済合理性から少し離れて貴重な建物を保存するのも一つの見識だろうと思う。三信ビルとか、旧第一勧銀西銀座支店とか、古い時代を伝える建物がここんとこの不動産バブルで軒並み壊されてしまったから、国が100%保有する会社の建物を残すこと自体は不自然では無い。ただ、「かんぽの宿」は、赤字事業だし、建物や事業に無形的価値がある訳では無いので、こちらはさっさと売る方が、合理的な判断なのは間違い無い。合理的な判断より現在優先されている党派的・政治的判断の価値は本当に有るのか、というのは当然問いかけるべき疑問だと僕は思う。
 さて、これらを踏まえて、もう少し大きな視点で考えてみると、小選挙区制になり、比例代表が併用され、かつ郵政解散を経て党本部の力が増すと、政治家の間で、より党派単位での思考が強まった感は無いだろうか。中選挙区もカネがかかるとか派閥政治が横行したとか、悪い点は有ったが、同一地域から複数候補が当選する緩さが、最悪無所属でもある程度戦えるという政治家側での覚悟を引き出していた側面は有ったと思う。小選挙区で、かつ比例復活がある制度だと、かつてより個より党を優先せざるを得ない。その時に党と構成員が政治的思想に基づいて結集していれば、小選挙区はうまくワークするのだと思うが、今の日本の政党は自民か反自民かの軸しか無いから、党派優先の判断は単なる権力闘争になってしまう。もしかすると、理念(政策)無き2大政党制よりは、理念無き多党併存の方がマシなのかもしれない。こういう時、理想主義者なら、選挙を重ねる内に理念で党が再構成されていくと期待するだろうし、現実主義者なら現状を前提にましな制度を考えるのだろう。これも双方一つの見識だと思うが、僕はどうも後者の様である。