大雪山遭難と刑事責任
大雪山の遭難事件そのものについては、大変痛ましい限りであり、悲しい事件だと思うが、マスコミの論調の通り、ガイドやツアー会社がどこまで責任を負うべきかと言うと、微妙な感じがしている。こういった悲惨な出来事が起きると、誰かのせいにしたいのは当然の人間の心情だし、今回その対象はツアー会社以外には有り得ないのだが、果たして刑法上の罪にまで問うべきなのだろうか。
業務上過失致死罪が今回の対象だが、この罪は一般的に予見可能性と結果回避義務の双方が構成要件となる。猛犬を放し飼いにしている人は、この猛犬が人を噛むことを合理的に予見できたに関わらず、飼い紐に繋ぐという回避義務を尽くしていない為、罪に問われる可能性が出てくるのである。また、以前エントリに書いた福島大野病院事件では、産科医は前置胎盤の剥離手術を始めた段階で大量出血死を招く危険は予見する筈であるが、それであっても結果回避義務として手術をすべきで無いとすると殆どの医療行為は出来なくなる上、そもそも医療において結果を正確に予測することは困難であり、かつこのケースで、より適切だと豊富な臨床例に基づいて言える代替措置があったとも言えないため、回避義務違反はなく無罪となった。
これをツアー会社に当てはめてみると、予見可能性は十分にあって、山の天気が時に牙を剥く事は当然に明らかだが、結果回避義務違反はどうだろうか。前述の猛犬の件は、「放し飼い」と「飼い紐に繋ぐ」という2つの選択肢は、全ての面において繋いだ方が良いに決まっているため比較にならないが、本件の場合は、ガイドは天気予報を判断の基礎として、午後からの天気回復に賭けて行動している。つまり、ガイドは日程通りの進行を安全無視で進めた訳でないので、単純な安全案か安全軽視案かという、猛犬を繋ぐか放つかみたいな比較考量では無いのである。どちらかと言うと、天気予報は午後から晴れると言ってるけど安全を見て避難小屋に連泊する案か、天気予報の通りであれば安全であろうという見込みのもと、日程通りに客を届ける必要性から出発する案との比較考量なのである。その時のツアー客の大勢が、どちらを選好したかは判らない。今回はシニアな方が多かったので前者が多かったかもしれないが、時間に制約のある務め人が参加者に多ければ後者もそれなりに支持のある案だろう。また、このパーティは歩みが遅くて大丈夫かと思った、とコメントした別の登山者が居たが、この人も悪天候の中出発している所を見ると、避難小屋に止まる方がむしろ少数意見なのかもしれない。この広い大雪山系において、どれ位の人が当日悪天候を考慮して出発しなかったか、その辺を見ないと、「豊富な臨床例に基づいた適切な代替措置」を取らなかった、とは言えないと思われる。
また、携帯電話が繋がったのに直ぐに救援を呼ばなかった点も一つ過失の可能性がある。この場合は、呼ぶ呼ばないだけで見れば呼んだ方が良いに決まっているのだが、ここんとこ受益者負担という美名のもと、呼ぶと高額な救援費用を自治体からチャージされる可能性があり、天気回復に賭けていたガイドが、参加者がみな保険に入っているかどうか判らない状況で、安易に救援を呼ばなかったのも合理性無しとまでは断言できない。また、そもそも山岳保険でカバーされるのは数百万円がせいぜいという記事もあり、今回の様なヘリを動員した大規模な捜索活動の費用はおそらく賄いきれないと思われる。
こう書き連ねてみると、罪に問おうと思えば問える範囲であるが、ガイドが難しい状況の中で異常な判断をした訳でも無い様に感じられる。ガイドの方が1名犠牲になっていることも、そのガイドの中では合理的な判断を積み重ねた証左の様にも思われる。しかし、この所の厳罰化に伴う検察の動向を鑑みると、個人的な予想だが、検察は業務上過失致死で立件までは間違い無くやって来ると思う。その結果、ある程度被害者感情は癒されるかも知れないが、社会的には山岳ガイド界に萎縮効果を呼ぶだけであろう。そんな無茶無茶な判断をした訳でも無いのに罪に問われるなら、萎縮するのが普通である。
まず業務上というからにはガイドは業務じゃないという建て付けにガイド業が変化するのかもしれない。刑法上の業務とは、「社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であって、生命身体に危険を生じ得るものをいう」が、例えば生命身体に危険を生じ得る様な出発の可否に関するアドバイスはせず、参加者の多数決に任せるとか、ガイドで無くて、交通手段のアレンジとやや経験が多い同行者の派遣という体裁を取るとか、そういうある種くだらないリスクヘッジが増えるのだろう。また、悪天候ならすぐビバークになることも増えるに違いない。これは別に悪いことでは無いが、天気回復の見込みとか、天候悪化の程度とか、ある種の山のプロの見立てより、一律に事故の予見可能性の方が優先されると、ガイドの価値そのものが小さくなるのでは無いだろうか。また、余波としてガイド業の衰退が起きたりすると、個人で山に入ることが増えて、プロフェッショナルアドバイスが得られず、より危険な状況を作り出す可能性もある。検察が考えるべきことでは無いが、僕はむしろこの危険性の方が気になっており、これこそが萎縮効果の最たるものではないかと考えている。
企業の取締役には幅広い裁量が判例上認められていて、M&Aの失敗で莫大な損失を出しても、短期の運転資金で不動産買った挙句にリファイナンスが出来ずに会社をこかしても、取締役が結果責任を株主や債権者から問われることは無い設計になっている。これは、逐一結果責任を問われていたら、企業がリスクテイクしなくなり、社会全体の発展に影響がでるからで、この萎縮効果ゆえに、取締役の免責に合理性があることになっている。今回、医師についても、医学上一般的な選択肢の中での裁量が認められ、結果責任を問われない判例が出たのも、この延長線上の話である。山岳ガイドもプロフェッショナルな仕事だと思うが、これでもし山岳ガイドは結果責任が問われるとすると、その差は何によるのだろうか。萎縮効果の社会的インパクトが取締役や医師より小さいというのが理由であれば、それはフェアと言えるか微妙なラインである。
そんな訳で僕は単純には罪には問えないのでは無いかと考えているのだが、一方で本件についてのマスメディアの論調は、事件直後から犯人探しに終始している感がある。ぱっと見、毎日新聞だけが「どこまで罪に問えるのか」という趣旨の記事を書いていたが、全般にツアー会社の責任を問う声が多い。僕は、本当に重要なのは、防寒着とか日頃のトレーニングとか、起こり得るリスクに対応した個人の備えと、救援を躊躇させず、またモラルハザードも起こさせない保険とかの体制整備であると思う。それが、今回特定のツアー会社が悪かった様な話で終わってしまうのは、余りに事故の損失とその後の改善の便益が見合っていないと感じられる。
ちなみに、僕は登山はそれ程しないが、ボリビアからチリへ4WDでアンデス山脈を越えたことがあって、旅の途中から標高5000mを超え、これはバックパッカーからアルピニストの世界に入ったと思ったものだ。この辺りは寒流の影響で乾燥した高山気候なのだが、その時は、たまたま年に数度という猛吹雪に巻かれてしまい、乗っていた年代物のランクル70がスタックしてしまった。それで、クルマを下ろされて、何kmも避難小屋まで猛烈な吹雪の中岩場を登らされたり、もっとひどいことにはスタックしたクルマを押したりする羽目に陥り、期せずしてリアルなアルピニストの世界と、もう一つ死のとば口をも垣間見ることになった。
当時、日本人旅行者が数名とヨーロッパ人旅行者が10数名が一緒におり、誰もがアルピニストで無くバックパッカーだったが、危機に陥った時は、ヨーロッパ人旅行者の備えの良さが目立った。普通のブルゾンにスニーカーとか、旅行の延長線上の装備しかない日本人パーティに比べ、ヨーロッパ人グループは、みないざとなると登山靴やらパタゴニアとかの本格的な登山ウェアやらをバックパックから出してきていた。僕は、たまたま寒がりなこともあって、ゴアテックスのアウターにフリースのインナー、それに化繊の肌着にタイツまで持っていた上、靴も最初からダナーのトレッキングシューズだったし、いざとなったらビバーク用のウルトラライトツェルトや携帯GPSまで持っていたが、他の日本人パーティは軽装で、もう少し吹雪がひどかったらやばかったのでは無いかと思う。それでも、僕はクルマを押した時に、空気が薄くて脳内の酸素が切れ、気が付くと雪の中に突っ伏していたりした。気が付かなかったらどうなっていたかとぞっとする。
この一例だけを全てに適応する積もりは無いが、個人としてリスクに対するセルフマネジメントはヨーロッパ人の方が考えているし(アメリカ人とは言わない)、日本人はやや楽観的な所がある気がするのである。マラリア汚染地域でも、日本人よりヨーロッパ人の備えの方がやっぱり良い。この辺り、安全な社会の代償な気がするが、こと夏山のリスクについては、今回のマスコミ報道によって十分リスクが周知されたと思いたい所である。