ボロブドゥールへ。2日目:人間の尊厳

 朝起きたら微妙にお腹はユルかった。やっぱり昨日のサテが効いたのだろうか。マレー・インドネシア圏は4回目だが、お腹については4回連続当選、そろそろ副大臣も見えてきた頃合いである。ま、これを気にして旅行は出来ぬ。
Package girl
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • 少女達はバイクに詰め込まれて、軽やかに街を走る。

 さて、ジョグジャカルタへのフライトは午後であるからして、今日の午前中は観光するのである。そんな気合とは裏腹にジャカルタというのは見るところに乏しい街だ。地球の歩き方は、独立記念モニュメントとか、国立博物館とか、頑張って観光地をピックアップしていたが、Lonely Planetはあっさりギブアップしていて、Things to doのコーナーが削除されていた。街の紹介にmusicとかnight lifeとかしか掲載していないのである。思わず唸ってしまう位の潔さだ。
Trial of artificial earthquake
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • 人工的に地震を起こす実験中。これを受けてスマトラが動いた。

 ま、ジャカルタだけを責めても仕方なくて、これは近代無く成立した大都市には世界共通の悲惨である。折角の近代を戦争で焼いてしまった東京だって、海外のガイドブックがお勧めするアクティビティは、築地・浅草・六本木ヒルズ・屋形船てな所で、実に貧困だ。我々は気付いてか気付かずにか、貧困な街に生息しているのだ。
 結構苦労して、僕はこの見どころ乏しい街から、コタなる旧市街散策を選定した。安宿街の近くからコタまで、専用レーンのある専用路線バスが出ている。信号には引っ掛かるものの、専用レーンなら渋滞は無いから、スペーシャスな街ならわざわざ地下鉄を高いカネ払って作ることは無い。ジャカルタにはこの専用路線バスが複数路線あって、コタに行く途中のハルモニという所が、韓国語でお母さんという意味とは無関係に3路線が交わる交通の要所となっている。ま、赤坂見附みたいなもんだ。
Aboveground train
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • こんな風に専用路線バスはセパレートされた道を疾走する。

 コタはバタヴィアと呼ばれたオランダ統治時代の中心地で、南米の田舎程度にはコロニアル調の建物が建っている。ただ、結構な部分がホテルになったりカフェになったりせず、普通に朽ち果てつつあり、ある種勿体ない。そういえば、クライファートダーヴィッツを産んだ南米のオランダ植民地である秘境スリナムも中心地は朽ち果てつつあった覚えがある。スリナムは、オランダ人の他、東インド・マレー・西アフリカ・中国等からの移民で出来た国で、ブラジルみたいに混ざらず、それぞれの民族がそのままの文化を守っている珍しい国である。僕は、オランダ語は片言以下なので、当地では英語が通じない人には、オランダ語より多少ましなマレー語で話し、お腹が空いたらナシゴレンを食した覚えがある。
Dutch Indonesia
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • オランダがインドネシアの空にその存在を主張する一方で、、、

Decayed
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • もう一つのオランダは朽ちていく。

 それはともかく、その後は臭いだけで何も無い魚市場と、機帆船が沢山停留してマレー民族が広い範囲に拡散した海洋民族だったことを思い出させ、多少は興味深い波止場に行ったが、そこで時間切れを迎え、帰ることにした。炎天下をそこそこ歩いて疲れたので、コーラを買って飲み、またコタから専用路線バスに乗り込んだ。
Separation
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • 運河の跳ね橋。もう使われていなかった。

 さて、炭酸飲料には利尿効果があると言うが、僕は大の方も結構利するのではと思っている。コーラを飲んでしばらくして、例のインドネシア赤坂見附ことハルモニに着くころ、朝からユルかったお腹がゴロゴロ鳴り出した。ハルモニから安宿街の駅までは3駅10分、普通なら我慢できると思ったのが大失敗、今はコーラの炭酸が腸を内側からガンガン広げ、刺激しているという普通じゃない状況なのである。
Back of an Asian
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • アジアの背中。

 忍耐は1分保たなかった。赤信号で停車した時に、僕はハイジャック犯もかくやという勢いで運転手に詰め寄り、ドアを開けろと叫んだ。何語だったかは覚えていないが、「ドアを開けろ、このクソ野郎!」位は言ったのだろう。勿論、専用路線バスは地下鉄みたいに駅があるので、途中下車は全く想定されていないのだが、真に切羽の詰まった迫力が開かずの扉を開かせた。何事も気合ということの証左である。開いた瞬間外にまろび出たが、そこは片側3−4車線の巨大道路が交差する中央分離帯、まさに246と外堀通りが交差する赤坂見附である。周りにトイレがある気配無く、僕は意を決して、その中央分離帯の植木の物陰で爆弾テロを実行することにした。バスの乗客を巻き添えにせず、なぜ急に日本人が駆け出して行ったのかという些細な疑問だけを彼らに残した、秘かな自爆テロである。果たして人間の尊厳は守られたのか守られなかったのか、どちらだったのだろうか。
Groan for summer
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • ※写真と本文は関係ありません。

 この事件、事後になって考えると、日本でも丸ノ内線に乗れば、赤坂見附の次は国会議事堂前だが、インドネシアでもハルモニの次は大統領府前であり、一駅無理に我慢していたら、多分僕は大統領府を仰ぎ見て不敬なことをすることになっていた。そういう意味では、僕は自ら生命の危機を未必の故意で救っていたのかもしれない。僕も陸上移動を好む旅行者だから、トイレじゃない所で用を足したことが過去無いとは言わない。うっかり出てきたサソリ君と緊迫のにらめっこをしつつ踏ん張った記憶もある。しかし、こんなコンクリートジャングルの中で実行したのは初めてである。
Tropical daydream
[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • 市場の痩せ猫、と言うか負け猫。その後、自分が負け猫みたいな気分になったが。

 さて、これに匹敵する事件はその後は起きる筈もなく、ホテルで荷物をピックアップして空港に向かった。Good Airlineという触れ込みのライオンエアーだが、オペレーションは恐ろしく混乱しており、チェックイン後に何回もゲートチェンジが起きたのはエキサイティングだった。その度にゾロゾロと人々が新しく指定されたゲートに大移動をするのである。違う便を待っていた人の群れも右往左往していた。ローカルの乗客も、地上係員も、最終的にどのゲート番号になるのか、誰も知らずに彷徨っている。こちらも必死でアナウンスが流れるとリスニングをするが、アナウンスで言ってる事と、出発案内板の表示と、無線レシーバーを持った係員に確認した内容がそれぞれ違う始末である。多分、10人単位でゲートチェンジに付いていけず、置き去りにされた客が出たと予想される。そんな大混乱の末に、ライオンエアーは普通に2時間遅れてジャカルタを飛び立った。さらば、ジャカルタ。この都市のことは一生忘れないだろう。
We love here

[Nikon D90 / AF-S VR Nikkor 18-200mm F3.5-5.6G]

  • 涼しい木陰に人が溜まっている。昆虫観察の世界である。こういう構図の時は、安レンズのディストーションが気になりますなぁ。