イカれたアウディとイカれたドライバー

 アウディオールロードクワトロという車に乗っている。1ヶ月前からエンジン始動時に異音と振動が出ていて、数ヶ月前も同じ症状でアウディのアフターセールスセンターに持ち込んだら、パワステオイル切れだったんだけど、こんな短期間で再発ということは、オイル切れじゃなくて、オイル漏れだろうと想像していたら備後だった。いや、ビンゴだ。織田備後守信秀の話をしたい訳では無い。信長じゃなくて父の信秀を語らせたら、僕は結構なもんだと自認しているが、余りその機会が日常生活においては与えられないのが残念なところだ。ところで、広島県の人は、ビンゴと聞くと、本能的に備後に脳内変換されて、笑いを噛み殺すという仮説を持っているが、実際はどうなのだろうか。ちょっと聞いてみたい。
「あなた、広島県生まれ?」
「安芸の産ですがビンゴです。」
みたいな。
 それで、アフターセールスセンターに預けたら、エンジンオイル漏れだのカムカバーがどうとか、シャフトのブーツ切れとか、頭の血管ブツ切れになりそうな位の不具合が大量に発掘されて、全部直したら85万円です!と高らかにアリアを歌い上げたファックスがサラリと送られてきた。85万円はともかくとして、ふと冷静に我が身を振り返ると、右膝というサスペンションが少し前から痛み、ド近視というヘッドランプ不良で、どこぞのカバーは中学時代に措置が終わってるが、愚痴漏れは最近多発している。高額な資金を投ずるのであれば、それは自分の車の不具合修理よりも、自分自身の不具合解消に使うべきでは無いか、という忘れられがちな真実に、車の修理をきっかけに気付いたので、とりあえず値切って自分自身の不具合解消資金を捻出することにした。相当頑張ってみたら、不要不急なものを削ったり、パーツ再利用したりとかで、なんとか30万以下には抑え込むことに成功した。それでも、前に乗ってたいすゞのミューという車は5年落ちを35万円で買ったから、ちょろっとした部品代と工賃が別の車の本体価格に相当するという恐ろしい状況である。
 オールロードクワトロは、速いし、ウェットコンディションでも安定しているし、ゴルフバック4つが余裕で積めるし、普通車駐車場でも車高調節機能を使って下げれば入れられるし、極めて優等生ないい車だけれども、残り50万円余のいつかは直さなければいけない爆弾を抱えてしまうと、維持コストの点で、次は国産車が良いという気がしてくる。ただ、最近の国産車はツマらない車が多くて、選択肢に乏しくて困る。クルマが売れないと言うけど、当たり障りの無いユニクロみたいなクルマばっかり作るから売れんのだと。車は服とは違って相当高価だから、「高いユニクロ」という有り得ないバリュープロポジションに陥っているのが買う気が起きない原因だと思われる。むしろ、MUJIとかH&Mみたいな個性の立ったクルマが作れれば(初代bBとか)、そこそこ売れると想像するが、そういう価値観の人から見ると、今の国産車ラインアップでは、ムラーノとか、インプレッサWRXとか、月間数十台しか売れてないけどCX-7とかがギリギリ許せる範囲だ。デザインと維持コストはなぜ両立せんのかのう。
 あと、久しぶりにミューのことを思い出したけど、虚栄と迎合に満ち溢れた金融業界では、国産に限らず尖ったレア車を持つことは、自分の心が強くあれば、他人の困惑度合いを楽しめるという利点もある。当業界は、何故かあほみたいにドイツ車のシェアが高く、そろそろ公取が動くんじゃないかと思う位の状況である。なので、いい車ですね、と言っとけば概ね外れない車種を乗っている人が多いし、むしろ、そう言われる車だからその車を選んでいるという感じだ。村上春樹が、「やがて哀しき外国語」というエッセイの中で、プリンストン大の教授コミュニティは保守的で、教授はcorrectな(正しい、標準にかなった)振る舞いを期待されていて、煙草の銘柄や新聞もcorrectじゃないものを選んでいると眉をひそめられ、労働者のビールであるバドワイザーなんて飲んでると公言できないし、日本では親しみやすいと思われる「週刊少年ジャンプを読んでる教授」なんてのは存在が許されない、と書いていたが、投資銀行の殆どはプリンストンと同じ東海岸の会社で、本国のアイバンカーの10%位はプリンストン卒だと考えれば、そんな雰囲気に影響されて日本のアイバンカーがcorrectな車を選ぼうという心境になっていてもおかしくは無い。そんな中、僕のいすゞミューは、ゴルフ接待とか、仲良くなった他社の人とスノボに行ったりとか、お互いの車を認知する機会において、相手の車を安易な言葉で褒め慣れた人々のコメントを本当に詰まらせる存在だった。まぁBMW乗ってる人がいすゞミュー見て、「いい車ですね」と言ったら嫌味にしかならんし、僕と同じ代のミューは日本全国で4年で229台しか売れなかったという、作り手である日本人にも全く理解されなかった車だから、常人には褒める所は見つけられなかっただろう。
 ちなみに、一人だけ僕のミューにちゃんとコメントしてくれた同じ業界の人が居た。それは、「お前は本当にドイツ車乗りたくて乗ってるのかと。他の人乗ってて、モテそうだし、馬鹿にされなそうだから、消去法で選んでるだけなんじゃないかと。人生が車選びに出てるなwww、みたいな根源的な問いを僕がその人に突きつけて遊んでる気がしたし、それは乗ってる本人の個性と相当程度のシナジーがある」ということであった。そんな僕もミューを捨ててアウディに乗り、右膝を憂う年頃になったのがちょっと悔しい。こんな風に書くと威勢がいいけど、現実にはコメントに詰まってる人を救う為に毎回ミューに乗ってる理由をドギマギしながら説明してたし、それに飽きて、飽きた自分を倦んで、僕も安易な選択に流れつつある。