Day-3 砂漠へ。

 大晦日にカイロに着いて、安宿に泊まり、新年のカウントダウンは夢の中で迎えた。ここエジプトより7時間早く日本は新年を迎えており、エジプトのVodafone Egyptはカイロで3Gサービスを提供し、かつアフリカ大陸でほぼ唯一の海外パケット定額対象国という事で、あんまり日本と変わらない形でtwitterも出来た。なので、カイロで夕ご飯を食べる時分には、既に僕のタイムラインは“あけおめツイート”で埋め尽くされていて、気分的には既にお屠蘇気分だった事もあって、改めてこちらで一日が7時間長い31時間目の大晦日の終わりを待つ気にはなれなかった。
Basic Food
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • この後何度も食べたエジプト基本の御献立。麺入りご飯、羊肉、豆のスープ、ピックルス。

 新年目覚めて直ぐにバスターミナルに向かった。エジプトで絶対にやらないといけないのは、日本で失敗したスーダンビザの取得だが、これには日本大使館からの添え状が必要だというのが、街の人の聞き込みからの情報である。そして、日本大使館は三が日をきっちり休むので、1月4日からの業務開始である。という事は、4日からは否応なくカイロに居なくてはいけないので、先にカイロ以外の観光をする事にした。目指すはリビア砂漠。カイロの西に広がる砂漠である。地球の歩き方には7時と8時にバフレイヤ・オアシスなる砂漠の中心地に向かうバスがあると言うが、8時のバスに乗ろうと7時過ぎにはバスターミナルに着いたのだが、何とUpper Egypt Busというバフレイヤ・オアシスをカバーするバス会社のバスチケットはSold outとのこと。Lonely Planetには記述が無かったが、地球の歩き方には、もう一つムニーブという小さなバスターミナルでも8時にバフレイヤ・オアシスに行くバスがあるらしい。速攻でムニーブにタクシーを飛ばした。こちらのバスも一杯だと、後は旅行代理店を朝一に行って、当日出発のツアーを組んで貰うしか無くなり、お金がブンブンと飛んでいくことになる。
Senkyaku-Banrai
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 男達の乗り合いバスならぬトラクター。

 ムニーブなるバスターミナルは、橋の下のきったない所であった。アラブからアフリカに来た心持ちでバフレイヤ・オアシス行きを探すと、こちらもUpper Egypt Busである。路線独占かと不可思議に思いながらチケットの有無を聞いてみると、1回目は無いとの返事、2回目の確認では有るとの返事だった。ますます不可思議に思いながら、チケットを手に入れると、そこに暫く座っていろとのこと。周りを見渡すと白人旅行者がちらほら見えるので、おそらく間違いは無いだろうと思っていたが、果たして8時半過ぎにUpper Egypt Busの大型バスが現れた。ただ、座席は9割方既に埋まっている。このバスはどこから乗客を乗せて、ここムニーブに来たのであろうか。
 更に不可思議に思いつつもバスに乗ると、車掌はチケットを見て、ちょっと待ってろと言う。アラビア数字で書かれた座席番号を解読すると、そこには既に人がちんと鎮座している。周りの人に聞くと、うーんと既に占有者がいる席を見て、そして空いているから最後部の席に座っていたら、と言う。果たして、暫く待たされた挙げ句に車掌から最後部の席に座ることを許された。エジプトのバスシステムは全くもって不可思議である。
decorative bike
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • パキスタンのデコトラっぽいデコバイク。モテに全く繋がらない、男の悪趣味の一つでしょうなぁ。

 さて、ほっとしたのも束の間、急にお腹が痛くなってきた。ジャカルタ赤坂見附のオープンスペースで下半身を晒すという剛を働いた事がかつて有った様な気がするが、何にも悪いことをしていないのに、便意は急に訪れる。何やらエジプトは旅行者の間では下痢で有名らしく、エジプトに行くと言ったら、会社の同僚の女性からは真っ先に下痢に気をつけてと言われたし、トラベルサイトで見てみても、ツアー参加者の9割が下痢になったとか、添乗員は下痢を避けるべく日本から持ち込んだものしか食べて無かったとか恐ろしげな事が書かれており、このエジプトの下痢を称して「ファラオの呪い」と言うらしい。この事前情報を得ていたので、僕はマラリア予防薬を、高価で信頼できるマラローンを買ってはいたものの、抗生物質でもあるドキシサイクリンに変更していた。抗生物質を毎日飲んでいれば、細菌はイチコロだろうし、事実ドキシサイクリンを飲んでいた頃は殆ど旅行中に下痢をしなかった。なので、下痢の訳が無い。そう信じている。昨日も長距離移動を考えて、暴飲暴食はしていない・・筈だ。
DSC_2736
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 中世を現代が追い越す。エジプトはずっとそんな感じだったな。

 しかし、何故かバス出発直後からお腹が痛いのである。ジャカルタで公共交通機関がトラウマになったのだろうか。しかし、ジャカルタの時は、直前に炭酸飲料を飲んでいたが故に、通常一般の人間の括約筋能力では耐えられなかったのだが、今回はノーマルな状態である。よって、何とか脂汗はかきながらも、ストッパを飲んで耐えられる範囲であった。この緊張感溢れる膠着状態が1時間に及ぼうとする頃、バスが停車し、僕がトイレに行きたい事を知っていた車掌がトイレ休憩だと告げた。しかし、トイレ休憩と言っても、砂漠のど真ん中に停車したというだけである。どうも、そこはトイレ休憩の名所らしく、地面の各所に地雷が露出している。進むにはカンボジアの地雷除去人の慎重さが必要だ。マインスイーパで言えば、6とか7とか高い数字が出ているのに、周りのどこかをクリックせざるを得ない緊張感を要する。僕は剛胆にも地雷原を進み、そしてやはりオープンスペースで下半身を晒す事になった。
Egypt tomb
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • バフレイヤ・オアシスにあった遺跡の中の壁画。発掘ままでなく、再彩色している。基本撮影不可だが、バクシーシ払えば撮影可。ちなみに、考古局にあったミイラもバクシーシ払って撮ったのだが、冷静に考えると、処置に困る画像である。

 多少気分は落ち込んだが、再びバスは砂漠を爆走する。ふと目を凝らすと、隣を鉄路が走っている様に見える。はて面妖な。この先はオアシスしか無い筈だ。盲腸線以下の輸送密度しか無い地域で鉄道が成立する訳が無い。実は、砂漠でもエジプトは携帯が繋がり、GPRSでスローだがデータ通信も行える。僕は興趣が湧いたので、iPhoneの地図を起動した。それを見ると確かに鉄道の様である。その鉄道の先を辿っていくと、終点に“Iron Mining City”という輝ける表示を発見した。鉄鉱石の運搬鉄道という事だ。そして、この“Iron Mining City”の近くにバフレイヤ・オアシスがある様である。サハリンの北端オハ行き軽便貨物鉄道も交渉すれば乗れると聞くから、鉄分の濃い旅行者はこの鉄鉱石運搬鉄道をヒッチハイクする事でバフレイヤ・オアシスを目指すのも一興であろう。
From Black Mountain
[NIKON D90 + TAMRON A13 11-18mm f/4.5-5.6 Di2]

  • ホテルの裏山にヒーヒー言って登って撮った、バフレイヤ・オアシス全景。かなり広いオアシスである。

 さて、バフレイヤ・オアシスはカイロから4時間半といった所だが、到着すると宿からの迎えが来ていた。宿は、International Hotspring Hotelという所で、温泉有りというのに興味を持って予約してみたのだが、ドイツ人の旦那様と日本人の奥様がやっている宿とのことであった。世界最強の温泉好き国家ツートップをオーナーに揃える豪華布陣である。僕はこれまで余り日本人宿というのに泊まったことが無くて、世界50カ国300泊はしている筈だが、実はこれが初めてである。一度、タンザニアザンジバルで有名な日本人経営の宿に予約をトライした事は有ったが、この時は残念ながら一杯で、ノルウェー人の修道女が経営している宿に転進した記憶が有る。さて、その女将さんに色々と聞いてみると、どうやらムニーブに来たバスは、最初に行った大きなバスターミナルが始発だが、チケットの枠が別々なので、一方で一杯でも片方は空いているという事が起こりうるらしい。ムニーブ発のバスの記述が無かったLonely Planet、記述は有ったが別のバスが同時に出る様な書かれ方だった地球の歩き方、双方間違いの様である。
Sunset at Black Mountain
[NIKON D90 + TAMRON A13 11-18mm f/4.5-5.6 Di2]

  • オアシスに日が沈む。低湿度無風状態なので吸い込まれそうな透明度。

 温泉はプールの様に宿の真ん中のパティオに据えられていたが、真っ赤なお湯が溜まっていた。鉄鉱石の鉱山が近い事もあって、鉄分多めと見える。僕は水着を持ってきていなかったので、足湯としたが、確かに温まるお湯であった。砂漠の国に来て、温泉に入れるとは思っていなかった。温泉には火山が付きものだが、火山があるプレートの境目であれば、造山活動で山も出来て、海の近くに山があれば雨が降るから砂漠は出来まい、という事である。もしかしたら、ここは冷鉱泉であって、厳密な意味での温泉では無いのかもしれない。温泉で温まった後は、バフェでのディナーに赴いた。ブルキナファソタンザニアでも出会ったが、アフリカや南米で、家族で来るヨーロッパ人宿泊客が多く、かつ余り大きくない宿に特有のディナーの雰囲気である。別に正装している訳では無いし、単に短パン・Tシャツ・サンダルじゃないだけの気がする。でも、それだけで砂漠の中にしてはちゃんとした格好となって、大声をあげず、談笑しながらゆっくり食べるのもマナーが良い。アメリカ人には何故か出せない良い雰囲気だと思われた。ふと気付くと、今日は正月である。アエーシという白いもちもちした現地のパンを食べながら、何となく餅を思い出した砂漠の夜となった。
Sunset at Black Mountain

  • 空気が澄んでいる砂漠なので、夕日も澄んだ色だった。