麻布十番・ビストロ コティディアン

 かつて、実は日本の洋食は余り美味しくないのでは無いか、と書いた。ミシュランの星が一杯付いて浮かれた割には、ということである。東京には、2000〜3000円も出せば、まずまず満足できるお店が沢山ある。ここは本場の欧州と余り変わらないかもしれない。一食3万円のグラン・メゾンも驚くほど一杯ある。だが、多くのグラン・メゾンは、確かに絶対的には美味しいのだが、相対的には同価格の欧州のグラン・メゾンに及ばないと感じる。僕の限られた欧州三ツ星体験に、昨夏パドヴァのLe Calandre(レ・カランドレ)が加わったが、ここもその味には圧倒され、それは日本の洋食勢三ツ星が及ぶものでは無かった。そして、食べて飲んで1万円位の真ん中の層、内装はシンプルで雰囲気はガヤガヤしてるけど、幾皿かはグラン・メゾンに迫るレベル、というお店は極めて乏しい。イタリア語でトラットリア、フランス語でビストロ、そんな風に呼ばれるお店の中のトップレベルということである。グラン・メゾンは、沢山あっても行ける機会は限られる。多くの人々が愛し、もっと分厚くあるべき層が、洋食は薄いのである。寿司や天ぷら、焼き鳥、或いは中華みたいな分野では幾つも諭吉以内の良店を思い付くのだが、それに匹敵するコスパのビストロを、と言われると困ってしまうのが正直な所だ。
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  • ポール・ボキューズのサイン入りメニュー。料理の方向性は随分違うけれども。

 目黒のAntica Trattoria Nostalgica(アンティーカ・トラットリア・ノスタルジーカ)は、小林シェフがやってた時分にしか行っていないが、その意味で実に素晴らしいトラットリアだった。この「外さないレストラン」というカテゴリは食べて飲んで1万円以下、男同士でも行ける気取らない雰囲気、というのが条件であり、これは文句なくイタリア代表だと思った。さて、それならフランス代表のビストロはどこだろうか。コンビニ弁当をデスクで詰め込む毎日を過ごしながら、これを長い間考えてきた。別に1カテゴリ1レストランという訳でも無いので、麻布十番のQUAND L'APPETIT(カラペティ・バトゥバ)も好きだし、フレンチなら東京で最もフランス人が住む町と思しき神楽坂からラ・マティエール辺りは外せない等々、うじうじしていたのだが、突如としてガンと殴られる様な料理を連食し、一押しのお店が出来たので、まずそこを紹介することにする。麻布十番のbistrot quotidien(ビストロ・コティディアン)である。
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  • やや強めの塩と香辛料が肉の味を際立たせる。日本だって同じだ。山葵が無ければ刺身は成り立たない。

 まず、味は濃い。日本人は味付けが濃いことと味が濃いことを明瞭に区別すべきだ。味付けが濃いというのは、しょっぱいとか酸っぱいとか脂っこいとか、そういう話だ。一方、味が濃いのは、素材の味が濃厚に引き出されているということだ。淡麗辛口は一つの価値観だが、味と味付けを間違えると、我々は得てして水っぽい料理を量産することになる。京都の名店に行けばそれが良く理解出る。京料理が味が薄いというのは間違いなのだ。ほんまもんの京料理は、味付けは薄めだが、味は目眩がするほど濃厚だ。僕は京都のちゃんとしたお店で、料理を薄いと感じたことが無い。さて、このレストラン、印象として結構濃い料理なのは間違いない。実際味付けも薄くないのだが、味の方が実に濃く、上にも書いたがガンと殴られる様な風味だ。フレンチはこうあるべきだ。でないとワインと共に食べる料理では無くなってしまう。
 あと、ここは、パテみたいな半生肉も美味しいが、一つだけ特に褒めるなら、焼きの技術の高さだと感じている。魚であっても肉であっても、羊でも鶏でも、実に上手い具合に焼けていて、中はジュウシィであるのに、外はカリッと、という王道がしっかりと実現されている。夜のプリフィックスは3,800〜5,800円のお店だから、そう素材にはお金は掛けられない筈だが、それでいてあの味の濃さを出せるのは、焼きの技術が高く、一番味が濃く出る頃合いを知っているからに他ならない。
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  • 焼きの技術が高ければ、肉はシンプルに焼くだけで料理になる。

 内装はシンプルだ。だが、味と共に接客も人を唸らせるものがあり、予算から想像した失礼を心の中でお詫びした。僕が行った2回では、1人のメートル・ドテル・ソムリエが担当してくれたが、料理の説明からワインの知識まで、嫌味無くプロフェッショナルだった。プロフェッショナル性は得てして傲慢かつ近寄りがたい雰囲気を作り、判っていない客は萎縮してしまうものだが、この人の説明は簡潔にして十分であり、色々選択肢の内容は聞けたけど、最初の方は何だっけ?みたいな混乱も全く呼ばないのは見事であった。声のトーンも独特の哀愁を帯びて心地よいものだった。古い映画でヒロインの心証描写の反映として何回も出てくるヒスパニックの老ウェイターみたいな雰囲気を醸しだしていた。その声の魔術によって、出来て1年の新しいレストランながら、昔からある老舗の様な、クラシックな良い雰囲気を何故か作り出していた。
 絶賛してみたが、こういう気軽に行けるお値段で、かつ特に味が気に入ったお店に出会うのは、幸福なことでもあり、不幸なことでもある。なぜかというと、美味しいけれどもここより2000円高いお店に行った時、この2000円の差の価値があったのか、そう考えてしまう面倒を背負い込み、素直に楽しめなくなるからである。舌が肥えるなんて実際ろくなことでは無い。
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  • 金柑のコンポート。美味しかったが、焼きと比べると少し感動は小さいかもしれない。あくまでバランスの話だが。しかし、雰囲気壊さない様にささっと撮った写真が多く、今日は構図が甘くて申し訳無い。