デトロイト・デット・シティ

国境の南

デトロイト市が破産申請した。デトロイトと言えばモータウンとか色々ネタはあるが、まず地理オタク的には、地形が堪らない事をいの一番に挙げておく。デトロイト市は、カナダと国境を接する唯一の大都市であり、かつカナダに行くのに、南方に向かう米国で唯一の場所である。デトロイト側を挟んだ向かい側のウィンザー市はカナダなのだが、ここがエリー湖とセントクレア湖に突き出した半島になっているからである。デトロイトの、"South of the border"には、そう、カナダがある。


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この地図上で、デトロイト市の市域が赤いシェードになっているが、この北辺が8 Mile Roadである。エミネム主演の映画、8 Mileの舞台背景となる道だ。道路一つ隔てると治安が劇的に変わるのはアメリカの常ではあるが、その究極はここかもしれない。

人種的断絶

下記の地図はデトロイト地域の人種分布であるが、青が黒人居住エリア、赤が白人エリア、黄色がヒスパニックを意味する。青いエリアは概ねデトロイト市、8 Mile Roadを挟んで北側が赤に変わって白人居住エリアになり、ここはデトロイト市外である。市の真ん中にぽっかりと白人エリアがあるが、ここはHamtramckという別の市で、南アフリカに囲まれたレソトの様に、或いは広島市に囲まれた府中町の様に、デトロイト市に囲まれた別の市で、ここはポーランド人移民の街との事である。


[出典:Wikipedia]

 直線的な8 Mile Roadが人種間のバイナリーな断絶のラインになっているのが判るだろうか。これは、もともとこういう分布で無かったと思われる。下記に2000年と2010年のデトロイト市の人種構成を示すが、最も大きな人口流出は当然ながら最も大きな人種グループである黒人であるが、流出のペースが一番速いのは白人で、この10年で実に3分の1が流出している。黒人も24%が流出しており、逃げれる者からデトロイト市を逃げている様子が過去10年でもうかがえる。結果として2000年には95万人居た人口が、2010年には70万そこそこまで減少した。デトロイト市は最盛期には180万人の人口を有していたから、この減った人口の多くが白人だったのだろう。

2000年時点のデータになるが、デトロイト市は81.55%が黒人であり、その世帯収入のメジアンは3万4千ドル。一方、8 Mile Roadを挟んだ北側のオークランドカウンティは、82.75%が白人であり、平均世帯収入のメジアンは7万6千ドルである。道を隔てるだけで収入が倍以上になる。そして、そこから10年、逃げれる者からデトロイト市を出たなら、更にこの格差は拡大している事であろう。ロシアと中国の国境は、アジアがいきなりヨーロッパになり、何もかも変わる国境でなかなか趣があるが、国内の市境でこれ程までに風景が変わる所は、世界広しと言えども、ここ位かもしれない。この収入格差を端的に示した図が下記である。


[出典:city-data.com]

 紫になればなる程世帯収入が低く、黄色になればなる程世帯収入が高い。南側のデトロイト中心部ほど収入が低く、それを収入が高いエリアがドーナツ状に取り囲む。北部の黄色が集中している所がこの辺りで最も裕福なエリアだと思われるが、ここはWest Bloomfield Townshipという自治体で、人口6.5万人、5万人以上の市町村の中で全米6番目に世帯収入が高いそうである。2007年データでは、世帯収入は$113,191にのぼる。Wikipediaに拠れば、ユダヤ人の大コミュニティで知られると同時に、小さな町ながらミシガン州で3番目に日本人の多い自治体だそうである。

破産申請が何が起きるのか

それでデトロイト市の破産で何が起きるのだろうか。法的手続きは、余り馴染みの無い連邦破産法9章を元にしており、調べてみると地方自治体の債務整理手続きを定めた条項とのことである。これによって債務者は、債権者への支払を停止し、訴訟を免れ、契約の解除を判事に求める事が出来て、最終的には債務期限の延長、債務の元本・利息の削減といった債務再編に繋がる様なので、民間企業で行われる連邦破産法11章の地方自治体版だと考えれば良いのだろう。具体的には、デトロイト市は破産申請に先立ち、総額110億ドル余りの債権を持つ債権者に対し、債権放棄と引き換えに20億ドルの新証券を受け入れるよう求めており、この負債の内訳に、約20億ドルの無担保債券や、より多額の公務員の年金・医療費が含まれる様だ。という事は、要はこの手続きが成功すれば、5分の1以下に借金が減るという事である。
 では、借金が減れば救われる市の財政状況なのかと。まず借金は市のバランスシートに1$=100円換算で大体1兆円載っており、他に何らか簿外なのか関連債務なのかが有るのか、総額1.8兆円という報道もある。市の人口が71万人だから、1兆円として一人あたま140万円。1.8兆円なら250万円だ。ちなみに、日本の一人あたり国債は12年度末で778万円である。

うわ・・・デトロイトの借金、少なすぎ・・・?

そして日本、借金に強すぎ・・?何やら不安になったが、取り敢えずデトロイトが四天王最弱な事は良く判った。次に支出の状況を見てみたい。

[出典:http://www.detroitmi.gov/]
 まず、全米有数の市の財政資料が、懐かしいEXCEL2003以前の標準色遣いで、かつインフォグラフィックの匂いが欠片もしない、余り意味の無い立体パイチャートである事に、デトロイト市のIT投資、人件費の苛烈な抑制への想像を禁じ得ないが、そこは武士の情けで置いておこう。支出の中で、債務再編して助かりそうなのは利払と元本返済である。利払費用は支出全体の8.1%で、金額にすると126億円。また費用で無いのでこのパイチャートに載っていないが、元本返済が別途97億円ほどある。債務が2000億円に再編されると、利払費用も何分の1かに激減するだろうから、100億円以上の支出削減になる。加えて、元本返済を当面猶予して貰えば更にプラスだ。デトロイト市の歳入と支出は概ね均衡しているので、歳入さえ維持できれば、一応債務再編によって財政は黒字になる。連邦破産法申請は、暗いニュースに聞こえるが、終わりの始まりでなくて、再生の始まりなのだ。それは民間企業も同じである。終わりの始まりはもっとずっと早く始まっていて、法的整理の申請は再生の始まりを意味するのである。だが、一旦黒字化するにせよ、歳入が維持できればという前提が、この人口流出ペースではかなり怪しい。債務再編による利払費用の削減は、支出全体の7%とかの話であるから、税収入の減少へのバッファーに乏しい。人口流出に応じて、その他のオペレーティングな費用も削らねば、早晩また市の財政は赤字になるだろう。これを避けなければ、根本的な解決、真の再生にはならない。

大阪府警デトロイト市警の4倍

そのオペレーティングな費用の中で、最も大きな支出は、全体の50%以上を占めるPublic Protection、つまり警察と消防である。金額にすると1$=100円換算で675億。日本は警察が県、消防が市の管轄なのと、このPublic Protectionという費目には引退した警察官や消防士の年金も入る様だが、日本の費目にこれらの退職給付費用が全額入っているのかは判然としなかった為、なかなか平仄を合わせた比較ができないが、best guessという事で、デトロイト市とほぼ同じ70万人内外の人口である島根県の警察費用と、岡山市の消防費をピックアップしてみよう。

島根県財政支出

[出典:島根県ウェブサイト]
岡山市財政支出

[出典:岡山市ウェブサイト]

 うむ。何かと田舎だとネタにされる島根県ではあるが、グラフ作図能力はデトロイト市を遙かに凌いでいる。いや、そんな話をしたいのでは無かった。気を取り直すと、上記の通り、島根県の警察費用は約221億円。岡山市の消防費は約76億円なので、合計した人口70万人あたりの警察・消防費用は300億弱である。デトロイトは人口あたり2倍以上の警察・消防費用を使っている事になる。要は治安が悪すぎで、これが市の予算を食っているのだ。だが、絶対額としては費用は多いものの、全米で2番目に治安の悪いデトロイト市において、日本で5番目に治安が良く、刑法犯認知件数÷人口で出した犯罪率が0.72%に過ぎない島根県の2倍程度の予算で良いかと言われれば、おそらくは十分では無いだろう。日本の都道府県で治安が最も悪いのは大阪府であるが、せいぜい犯罪率は2%。その大阪府の警察費は2600億。デトロイト市のpublic protectionの費用全額が警察費だとしても、4倍の予算規模である。確かに、大阪府の人口はデトロイト市の12倍強ではあり、これだけ人口が多いと実は刑法犯認知件数は14.6万件と、デトロイトの8万件強より多かったりするのだが、大阪府の犯罪の8割は窃盗、つまりスリ、置き引き、ひったくり、コソ泥の類なのである。殺人・強盗・放火・暴行等の凶悪・粗暴犯で比較すると、大阪府は概ね7000件に対し、デトロイト市は4万件弱とあっさり逆転して5倍以上、人口対比で見たら恐ろしい差異になる。よって、凶悪犯罪の抑止の観点からすると、デトロイト市警察の予算が大阪府警の4分の1以下というのは、全く釣り合わない。これは、大阪府警が肥大化しておかしいのではなく、デトロイト市警がコストカットで縮小しすぎて、凶悪犯罪に対して手が回っていない、という事なのだろう。これは人ごとでは無くて、もし、将来のある時点で、借金漬けの大阪府が、財政再建団体に陥って、単年度収支均衡を目指さざるを得なくなれば、デトロイトの様に間違い無く警察費もカットされるだろう。その時、犯罪件数はどうなるのか。予測はかなり容易である。
 ややシリアスな方に脱線したが、債務整理に加え、今デトロイト市が取り得る最良の可能性は、引越の補助金やら税制優遇、或いは何らかの強制力を用いて、公共サービスを提供する範囲を狭め、警察・消防費を圧縮していく事だと思われる。2010年時点で、デトロイトの市域139平方マイルのうち40平方マイル以上が空き地(60,000区画)だという話なので、これが歯抜けなのが問題なのだが、可能な限りまとめていければ、減る人口に対応したコストカットが出来るのでは無かろうか。それが出来ないとなると、広い市域により薄い予算を張る事になり、薄い警察力→犯罪の増加→人口の流出→税収減→より薄い警察力、というスパイラルが止まる気がしない。その場合はきっとデトロイトは、犯罪者が死に絶えるまで、何十年か掛けて荒野に戻るのだろう。
 従業員をリストラ出来る企業と違って、国は国民をリストラ出来ない存在だが、デトロイトは市民じゃないにせよ、市が市の領域・土地をリストラしないと保たなそうなのは、一種凄まじい状況である。それでリストラして空いた土地はどうするのか。ひまわりでも植えとけば明るい感じの雰囲気になって良いんじゃないでしょうか。