デルフト島へ。

 ベルベル人に会わなければモロッコに行ったとは言えない━━いつかそんな事を言ってた友達がいた。僕はそもそもモロッコに行った事無いけど、地中海沿いに住むアラブ人とアトラス山脈を越えた半砂漠に住むベルベル人━━語源は多分バーバリアンのそれと同じだ━━の2つを包摂してモロッコという国は成り立っている。そして、世界で最もアグレッシブなカーペット売りとして知られるベルベル人は、旅人にとって欠かすべからざるアトラクションなのだろう。
 この年末年始、急遽チケットが空いていたスリランカに行く事になった時、僕はふとこの言葉を思い出していた。"タミル人に会わなければスリランカに行ったとは言えない"。もしかしたら、スリランカもそういう国なのかもしれない。この国は主流派民族のシンハラ人と、少数民族のタミル人からなる。スリランカ北部に住むタミル人は、長らくタミル・イーラム解放の虎というエキゾチックな名前の武装組織を作って独立戦争を繰り広げてきた。民族紛争が激化する一方のアフリカと違って、こちらは2009年にようやく平和が訪れ、2014年初頭に至ってタミル人地域に訪れる事が容易になってきていた。今行くなら、これはタミル人にも会っておくべきなんだろう。友人のかつて発した言葉が僕の中で時をかけて複雑に反響した結果、僕は船に乗っていた。タミル人地域でも、その果ての果てであるデルフト島に向かう船だ。デルフトはオランダ人が付けた名前で、タミル人はそこを "Neduntheevu"、これをカタカナで書くのは極めて難しいが、おそらくネデュンシーブと呼ぶ。

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 タミル人地域の首都的なジャフナから、デルフト島への船が出るクリカデュワン(KKD)まではバスで行った。このジャフナからクリカデュワンまでの道は、英語で"causeway"と言い、日本語ではニュアンスまで伝わる適切な訳語が見つからないが、敢えて一言で表すなら土手道としか言えない美しく、長い道が続いている。島と島を繋ぐ浅いラグーンに土を盛って作った道だ。香港の銅鑼湾、いわゆるコーズウェイ・ベイはかつての湾に沿って土を盛った防波堤が作られたのにちなむ。その防波堤の上に走ったのが高士威道(Causeway Road)なのである。そういえば、無意識のうちに僕は幾つものコーズウェイを通ってきた。有名なヴェネツィアのそれも通ったし、沖縄本島から平安座島に向かうコーズウェイも美しかった。波高き日本にコーズウェイは少ないが、探せばまだある。思い出すのは、中海。江島から大根島にかけてのコーズウェイだ。日本海から南下するなら、ダイハツ・タントのCMで、その急勾配が有名になった江島大橋で江島に渡り、その次にある道だ。江島大橋で中空を走り、このコーズウェイで中海の海水面に近い所を走るのは一興である。それこそ、喫水の高いタンカーから、低いカヤックに乗り移る様な感覚だ。海に近い視点は独特の旅情を旅人にもたらす。世界のコーズウェイを意識して写真を撮り溜めるのもいいかもしれないな。僕はそんな事を思いながら、バスからラグーンを見つめていた。
 デルフト島はスリランカの地図を見れば明らかだが、北部の果ての島だ。長らく紛争を抱えていたという点からして、日本で言えば帰ってきた北方領土みたいなものだろう。だから、そこに関する情報は少なくとも日本語では殆ど無く、英語でも乏しかった。なぜそんなデルフト島に行こうと思ったかは直感であった。「地球の歩き方」には北部の都市ジャフナのチャプターで、この都市から美しいデルフト島への拠点になる、との一文だけが載せられ、デルフト島が何でどう行けばいいのかは一切触れられていなかった。ロンリー・プラネットには、バスと船を乗り継げばデルフト島に行け、そこは珊瑚で出来た島で、古いバオバブの木と野生の馬とかわいらしいビーチが迎えてくれる、との簡単な表記があった。ネット情報にそれ以上のものは無かった。でも、なぜか僕はそこに惹かれていた。地球の歩き方が、簡単にしか触れていない最果ての地は、過去結構良かったからかもしれない。オマーンの、砂漠のフィヨルドことムサンダムや、エジプトの白砂漠。ボリビアはウユニ塩湖の更に先の高地にあるラグーナ・ベルデも、ウユニより良い位だった。スリランカへは短い旅程ではあったが、かつて巡った辺境の記憶が僕を最果ての島へ駆り立てていた。
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  • 限られた旅程ゆえ、コロンボから北部のジャフナまでは飛ぶことにした。スリランカは国土が小さい上に内戦が続いたので、国内線が驚くほど発達していないが、コロンボ−ジャフナは毎日フライトがある。スリランカ軍謹営のヘリツアーというエアライン。中国製のプロペラ機が唸る。

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  • Kovilという、王か豪族かが作った、トラヴィダ様式のヒンドゥ寺院である。タミル人のランドマークだ。

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  • キーリマライという聖なる泉で、チョーラ王朝の姫がインド亜大陸から訪れたらしいが、タミル人地域の主要都市ジャフナとその近郊は、恐ろしいほど見るものが無い。有馬温泉の虫地獄レベルが延々と続くがっかり観光地地獄。

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  • 人間は考える葦であり、かつ海で遊ぶ動物である。

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  • ジャフナをクリカデュワンに向けて出発すると、すぐに風景はラグーンの中を進むようになる。

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  • ラグーンに、こんな低灌木が生える草地が混じる。乾期と雨期がはっきりと分かれたサバナ気候であることを示す植生だ。ここは、北のインド亜大陸から吹いてくる乾いたモンスーンの影響下にある。

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  • 陸地と海のギャップが大きいアーキペラゴー(多島海)の風景も美しいが、陸地と海がフラットなラグーンの平たい風景も独特な美しさを持つ。ふと前者に志摩の海を思い出し、後者に茨城の北浦を思い出した。

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  • 草でなく、小さなマングローブの様な塩性湿地に生える海漂灌木に見える。それが、さきほどのフラットなラグーンの風景に対し、もこもこしていて小さなアーキペラゴーに見えてくる。

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  • ついに、Causewayの始まりだ。島と島の間の浅瀬を埋め立てた土手の上をバスが走る。細い1次元の道の他は、2次元360度が海の情景。

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  • 島が終わって海が始まる所に、島んちゅが海に出る道具が無造作に置かれている。

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  • 海の中の道、としか言えない。

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  • それぞれの杭に海鳥が羽を休めて、バスを見つめる。

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  • 海を越えた次の島で女が下りて、森の中に消える石灰質の道を歩き出した。

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  • 島が終わり、また次の島に続く海の中の道にバスは向かう。

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  • 古い、古いバスの機関が唸りを上げた。

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  • 悠久の昔に珊瑚だった石灰質の砂地に、小さなマングローブと草が生え、独特のラグーンの光景を形作る。

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  • 果てしなく続く高士威道(コーズウェイ・ロード)。