デルフト島で。

ボロ船

バスは桟橋に着いた。窓から吹き込む薫風が止まり、すぐに車内は熱帯特有の熱気が優勢となった。のんびりとバスを降りるタミル人達について、バックパックを背負って暗い車内から外に出ると、カッと昼の太陽が照りつけた。そこに海風が僕を包む。陽光と海風、そして背中に食い込む重いバックパック。僕は旅をしている。
 デルフト島までは10kmと少しの航海だが、外洋に出る。那覇から慶良間に行く様な感じだろうか。僕はコーズウェイを進むバスの中で、デルフト島までの船を、日本でもよく見る立派なフェリーか、あるいはホルムズ海峡の密貿易船みたいな高速モーターボートでは無いかと勝手に想像していた。過去幾多の秘境に行ったが、船と言えば立派なフェリーか、高速モーターボートか、あるいは十数人も乗れば一杯の小舟にしか出会わず、さすがに三番目の小舟は無いなと思ったからである。しかし、視界に入ってきたのは、小舟よりはマシだが、到底外洋に出れるとは思えないボロ船であった。僕は少し動揺して、このボロ船で外洋を安全に航海出来るものなのか、高速で頭の中のストレージをイメージ検索した。南米の秘境ガイアナからスリナムに行く川を渡るフェリーでも、比べものにならない位立派だった。アフリカで乗ったザンジバル行きのフェリーは言うに及ばず。唯一引っ掛かったのは、南洋のトラック島で見た、ヤップ島に向かうという船である。あれも、これで外洋に出るのかという漁船に毛が生えた位の大きさで、しかも船室にも甲板にも人と荷物がぎっしりと乗っていた。それで2日とか3日の航海をすると聞いて、幾ら秘境好きでもちょっと嫌だなと思った記憶がある。
 あの記憶と記録双方に残る様なボロ船で、太平洋の孤島であるトラックから同じく孤島のヤップに行けるなら、10kmそこそこの航海は楽勝なのかもしれない。そんな風に前向きに考えると、僕は板一枚のタラップを渡って、船内に頭を突っ込んだ。突っ込んだはいいけど、船室は暗かった。明暗差に目が慣れなくて何も見えない。僕はしばらく頭を突っ込みっぱなしで、瞼をしぱしぱさせながら、目が慣れるを待った。じわじわと船室の中が見えてきた。僕は、タミル人が船室を埋め尽くしてるのを確認すると同時に、そのタミル人全員が珍しい東洋人にじーっと注目していることも確認した。ここに入る隙間は物理的にも精神的にも無さそうだ。珍しい東洋人は、首を振って甲板の客となった。
 船が出た。行きは追い風・追い潮であった。ボロ船とはいえ喫水は高く、甲板でも水をかぶることは少ない。水平線上に平たい島が幾つか見える。地殻の造山活動によって出来るのではなく、古い珊瑚が積み重なって出来る熱帯の石灰質の島は、性質上起伏に乏しくなる。この辺の島はみなその様な成り立ちなのだろう。そして、珊瑚の欠片が積み重なった真っ白なビーチが見える。デルフト島にもそんなビーチがある筈だ。僕は特にビーチを求める旅人では無いが、さすがに熱帯の島に行ってビーチに行かないというのは片手落ちだろう。帰りの船の時間を考えると、そんなに長くは居れないだろうけど、ビーチの木陰で何をしようかなと、甲板で考えながら海風に吹かれていると、妙に楽しくなってきた。何羽かの白い海鳥が船の横をゆっくりと飛んでいった。遠くの島のビーチと海鳥だけが、この青い海と空の中で白さを際立たせていた。
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  • ボロ船は甲板までぎっしりと埋まり、よく見るとバイクまで積まれている。みんな暇そうだ。

接岸

デルフト島の桟橋は簡単なもので、いやそれが余りに簡単すぎて、船が接岸できるスペースが無かった。ボロ船は桟橋に接岸している別の船に接岸し、僕はその"別の船"の甲板の縁を、平均台を渡る時の様に両手を拡げてバランスを取って、歩いて、そして最後ジャンプして、"接岸"した。ここがデルフト島だ。野生馬とバオバブの木とかわいらしいビーチがあるという以外は何も判らないデルフト島である。もちろん港に観光案内所などは無く、ざっくりとした島内全体像の図だけが港の建物に書かれていた。でも、タミル語で書かれたそれは、さらに潮風にやられて全く用を為さない上に、現在地表示が無くて自分がどこにいるのかすら判然としなかった。どうしよう。いや、これまでも大抵どうにかなった。小さな港を出てみると、簡単なレストランみたいなの一軒だけある。そういえばお腹が空いてきたので、ここで少し食べがてら、どうデルフト島を巡るのか、レストランの人に話を聞きながら決めてみようではないか。
 フレンドリーなレストランの人に話し掛けたら、実に話は簡単だった。一人なら、そこにたむろっている男が運転するスクーターの後ろにしがみついて島内を移動する。二人以上なら、同じくそこにたむろっている男が運転するピックアップトラックの荷台にしがみついて島内を移動する。それだけだった。秘境はたいへんシンプルなのだ。そして、ここのレストランのカレーはなかなか美味しい。食べた後、僕はチャイを頼んだ。インド系であるタミル人地域ということもあって、僕は何となくヒンディー語に影響されて、"チャイ"と言ったのだが、これは通じなかった。そうだ。南インドタミル語で紅茶は英語みたいにティーと言うのだった。中国から陸路、あるいは北部中国から直接お茶が伝わった地域は、北インドやアラビア、ロシア、日韓の様に概ね"チャ"の発音を用い、客家やオランダ人など海の商人達がお茶を伝えた地域、例えばマレーや南インドスリランカ、そして西欧は、概ね客家語に準じてティーとかテーとかの発音を用いる。その意味で、インドやスリランカは紅茶大国だけど、北と南でたぶん伝わり方が違うのだ。そして南のくくりの中でも、タミル語でお茶がティーなら、一方のシンハラ人地域のスリランカではテーと言う。フランス語と似た発音だ。僕は、コロンボの場末の屋台で紅茶を飲む度に、おフランスと同じかと苦笑していた。そして、仲の悪いタミル人とシンハラ人は、お茶の発音においても仲の悪い英仏の様に、微妙に別れているのである。
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  • 辺境のレストランだが、割に美味しい。お米がジャポニカ種なのが目を惹いた。

薄白いラグーン

デルフト島の民に案内されたバオバブの木は、マダガスカルの写真で良く見る、幹ばかり太くて枝葉が発達しないバオバブの木と違って、幹は確かに太いが、ふさふさと枝葉を伸ばしたものだった。実に普通の木だ。でも、これが島内の見所と紹介される以上は、デルフト島にも、スリランカ全土においても珍しいものなのだろう。種子が何らかの形でマダガスカルから海を渡ってここに根付いたのだろうか。そういえばオーストラリアでもバオバブは生えているから、インド洋を渡って根付く種があったのだろう。
 バオバブの太い幹は、乾期と雨期がはっきりした気候において、乾期を生き抜くために水を蓄えられる様に進化した形である。従って、低灌木しか生えないような、乾期と雨期がはっきりした気候の中でも、乾燥した部類の地域に特化した種だと思われ、他の木が生えれる程度に湿潤だと、見るからに光合成量が少ないバオバブは、普通の木との競争に負けてしまいそうだ。デルフト島があるスリランカ北西部は、起伏に乏しく、モンスーンが吹く時期に雨が降りにくい気候だ。むしろ風が止む10-12月あたりに、雲が流れにくい為だと思うが雨が多い。この、スリランカの他の地域と比べると、雨の降る時期が限られるデルフト島の気候が、うまくバオバブの生育要件に合致したのだろう。遠いマダガスカルから種子が流れ着いて、偶然この島の気候にフィットして育った。でも、バオバブが属するパンヤ科は雌雄同株・両性花らしいが、受粉を媒介する昆虫や動物はこの地に居なかったのだろう。結果としてこの木は、子孫を残せずに、永劫とも思える時間を、偶然にも孤独にこの地で生きている。
 そんな物語を反芻しながら、しばらくバオバブの木陰で過ごした後、僕は強い陽光の下に這い出た。この尋常ならざる偶然の産物であるバオバブの、実に尋常そのものの形状を最後鑑賞しよう。そう思って遠巻きに眺めてみたら、近くにラグーンが拡がっていることに気が付いた。ここは島の内陸部だが、窪地の地面の高さが海面下になると、海水が石灰質の土地から染み出してくるのかもしれない。寄ってみると、水たまりの様な水深のラグーンである。珊瑚の成れの果ての白い砂地の上に、乾燥に強い芝生の様な草が薄く生え、大地は薄いグリーンだ。そしてその先のラグーンの水底は、もちろん白い砂地。だから、湖面はそれを反射してキラキラと白に近い薄いグリーンに輝いていた。薄白いラグーンだと僕は思った。石灰質の白い砂の堆積具合と、海面との微妙な関係によって、この様に浅く、底面の色を反映するラグーンが出現するのだろう。実にはかない、偶然の産物だ。そんな浅いラグーンには、生き物の姿は見当たらなかった。水に触ってみると、水よりお湯に近い温度である。浅いから太陽光でここまで暖まってしまうのだ。そもそも石灰質の大地には、薄く生えてる草以外の命に乏しい。栄養に乏しく、太陽に照らされれば高温になる石灰質の白い砂は、生き物には余り適しておらず、そこに薄く水が張られても同じだってことなのだろう。でもそのお陰で、この一様に薄白い風景がもたらされているのだ。
 この後、帰りの船を待つまでの間に行った、島一番とされるかわいらしいビーチは、石灰質の白砂のビーチであった。でも、そこより僕は遙かにこのラグーンの風景に惹かれた。白いビーチは割とどこにでもあるが、薄白いラグーンはそれ程どこにでもあるわけでは無いからである。デルフト島は薄白いラグーンを抱えた島だ。そしてそのほとりには、孤独なバオバブの木が偶然にも生きている。
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  • ラグーンと空そして草地が、薄いグリーンからブルーへの無限のバリエーションを提示している。

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  • 見た瞬間に、「これわww」と言ってしまったボロ船。これで外洋に出る。そしてバックパックは片掛けなのだ、タミル人達は。

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  • 甲板の客となる。ぎっしり載っている。いい天気。

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  • 近隣の島が隠し持つ白砂の、そしておそらくは手つかずのビーチ。

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  • この地域でもディンギーと呼ぶのか知らないが、帆掛け船が行き交う。帆があざやかに映える。

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  • 船に接岸して、船経由で陸に向かうという雑なオペレーションを履行する図。こんな所で落ちる訳にはいかない!

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  • これが港を出た所のレストランだ。デルフト・イン・ホテルという名前だが、聞いてみたら実際に泊まれるらしい。この島に泊まった外国人はレアだろうから、看板の電話番号に電話してみるのもいいだろう。

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  • この人が有名なバオバブなんだけど、イマイチ普通の形である。

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  • 木漏れ日はナイスなシャワーの様に割と盛大に降り注いでた。

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  • おや、ラグーンらしきものがある。

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  • 野生馬がラグーンの近くで戯れる。この地に住むデルフトの民が、馬を利用するという方向に行かなかったのはなぜだろうか。

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  • 浅く、そして薄白いラグーンだ。

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  • 何というか、何とも言えない風景だ。薄白いラグーンに薄いグリーンの草地、その向こうには濃いグリーンの木があり、青い空がそれを包む。

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  • ラグーンを見終わった後、オランダ支配時代の砦、通称ダッチフォートを見に行った。ジャフナのダッチフォートは今ひとつだが、デルフト島のダッチフォートはなかなか迷宮っぽくてよろしい。

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  • ダッチフォート近くの古い病院。看護婦さんが暇そうに歩いていた。熱帯の病院に、ガーナはコルレ・ブー教育病院にある、野口英世記念室の風景を思い出した。

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  • 病院の建物はなかなか瀟洒である。

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  • 軽いデコトラ。トラックならぬデコレーショントラクターである。

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  • ビーチでの楽しみ方は白人よりスリランカ人の方が知っている様に見える図。

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  • スリランカ海軍が運営するビーチサイドカフェ。「艦これ」ならぬ「艦カフェ」。

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  • 白い砂地の上で犬がのんびりと休んでた。デルフト島は、大体全般にこういう島だった気がする。