名将と個人技

サッカーW杯は、日本以外であれば大体オランダとアルゼンチンを応援してきた。前回あれは1998年のフランスだったか、この組み合わせが実現し、荒れた試合でオルテガが退場の挙げ句に、最後ベルカンプの凄い一発が決まってオランダが勝ったのをよく覚えている。

川島→川口

今回準決勝がその組み合わせとなり、過去2エントリで触れてきた、現代屈指の名将であるファン・ハール監督が、強敵アルゼンチン相手にどう戦うのか、ずっとワクワクしていた。この大会でのファン・ハールの采配は冴えている。メキシコ戦での、リードされてからの5-3-2から攻撃的な4-2-4への変化は、変な比喩になるが居飛車穴熊からの右銀急戦への変化の様な、鮮やかさがあった。コスタリカ戦でのキーパー交代には、地力に劣るコスタリカが、PK戦持ち込みを狙って準備してくることの裏を、見事にかいた知性と胆力を感じた。あの時、延長に入ってもオランダが交代枠を残していることについて、解説の岡ちゃんは、いぶかしげに「形を崩したく無いんですかね」と、やや批判的なトーンでコメントしていた。そして、オランダベンチにキーパーを代えそうな動きが出たら、岡ちゃんは息を飲み、その後苦笑いしていた様だった。監督を長く務めた自らの想像を遙かに超えた交代策だったんだと思う。その様子を液晶画面越しに感じながら、僕は、前回W杯の決勝トーナメントのパラグアイ戦を思い出していた。あの時岡ちゃんが、PK戦に入る所で川島から川口なんて交代をしていたら、実際どうなってただろうか。同じくPK戦になったアジア杯のオーストラリア戦で、最初の2本をあっさり止め、有利になったその後の3本はコースさえ当たらなかった、ここぞという所しか働かないベテランキーパーには、そんな想像をかきたてる存在感がある。

始まりはアルゼンチンペース

今回のオランダとアルゼンチンは結構似たチームである。

  • 世界屈指のウィング
  • 世界有数の1トップ
  • いつもの代表と比べると華麗さに欠ける中盤に小粒な最終ライン。それが故のリアクション気味のサッカー
  • 守備はほんとに堅い

違う所は、オランダはいつも通りに死の組に入り、アルゼンチンは珍しく楽な組だったこと位だろうか。
さて、開始からオランダが交代カードを切るまでは全般にアルゼンチンペースだった。アルゼンチンの最終ラインはイタリアの様に深く、ロッベンが最終ラインを抜け出して長い距離を走ることは殆どなかった。オランダは5バックなので、中盤が薄く、かつ華麗なテクニックを持った選手がいない為、アルゼンチンはコレクティブにならなくても、チェックして潰せていた。ファン・ペルシーやロッベンを目がけたパスは、いつもより最終ラインが深いために、いつもより長い距離を蹴ることになり、それは精度を欠いたり、最終ラインの裏の追いつくスペースが無い為にタッチラインを簡単に割ったりして、全般に通じていなかった。この様にアルゼンチンは、オランダのカウンター狙いの5バックに釣られない様に、深いラインでカウンターをまず潰していた。それでも4バックゆえに、FWとMFがオランダよりも1名多く、そしてオランダがいつもよりはコレクティブでなかった為、中盤は五分以上の出来だった。序盤は、こんなアルゼンチンの狙いが的中していた様に思う。
これでオランダの攻撃は殆ど封じ込まれてしまったが、アルゼンチン側もディマリアがいない影響が大きく、メッシがいつものウィングでなく、日本代表で言えば本田の位置でゲームメイクをしていた為、中盤は支配すれど、余り効果的な攻撃は出来ていなかった。アルゼンチンは、オランダの様な縦ポン一発を余り使わない。とりあえず中盤のメッシに預けるか、右サイドを抜けるラベッシに預けるかの二つ覚えである。低い位置でメッシがボールを預かっても、さすがにアルゼンチン人はみな5人抜きのゴールを決めれるという前提は乱暴過ぎた様で、メッシのドリブルは無力だった。もう一つの右サイドに預けた場合についても、この日はボランチの押し上げが殆どなく、これでは脅威には成り得なかった。サイドからのクロスはボールを失う可能性が高く、失ったら速攻を喰らう為に、ボランチは自重していたのだと思う。アルゼンチンは、相手の長所を潰して、守備は固めていたが、攻撃においてはオランダの様な速攻が殆どなく、遅攻で対応した為、人数の足らないポゼッションの様なチグハグな状況になっていた。スペインを粉砕したオランダの速攻を警戒する余り、攻撃は二の次で「戦術メッシ」になっていたたからだと思う。

交代と個人技

この状況を見て、オランダは適切な交代カードを切った。交代と共にフォーメーションを3-4-3に変えて、中盤の圧力を増したのだ。アルゼンチンは上述の通り遅攻なので、5バックは過剰と見たのだろう。カイトが左のウィングハーフに回って、右にマルティンス・インディに代わったヤンマートが入ったが、これであっさりオランダが中盤を支配できる様になった。この時間帯でゴールを奪えなかったのがオランダの敗因と言えるだろう。ゴールを奪えなかったのは運もあるが、最大の要因はアルゼンチンのボランチマスチェラーノがとにかく凄いパフォーマンスで、ボールをガツガツ奪いまくったからだ。守備は「戦術マスチェラーノ」である。ぜひ守備の文化が無いとフランス人監督に評された我が軍に欲しいものだ。近いプレイヤーは今なら細貝、昔で言えば戸田ってとこだが、ボランチの位置で攻撃を止められるか否かで、その後の速攻の機会も含めて大きく戦況は変わるのに、今ひとつ我が軍では報われない人種である。
延長に入った後、オランダの最後の交代カードは、またもやPK戦に備えてのキーパー交代かと思いきや、FWファン・ペルシーに変えてのフンテラールだった。背の高いフンテラールゆえに、戦術をパワープレイに変えて、メキシコ戦の2点目の様にフンテラールのポストプレイからの得点を狙うのかと思いきや、そこは変えずに支配する中盤からのパス供給を続けた。戦術を変えない以上、フンテラールの投入は、事後ファン・ハール監督が言っていた通り、疲れた選手の交代という意味合いしかないのだろう。という事は、シレッセンとクルルの差は、それ以下の意味合いしかないと捉えていたか、あるいは意味合いはあるが、再度の交代はシレッセンに屈辱的すぎ、かつ今回は任せることで奮起を促す温情措置だったか、その2つに1つである。だが、そこはいずれにせよ結果として誤りであった。シレッセンはプロになってからPKを止めたことが無いと報道されていて、そんな事あるまいと思っていたのだが、最後まで動かずにコースを読み、そのタイミングでも恵まれたリーチで止められるクルルと違って、シレッセンの動き出しは早すぎて、確かに余り上手く無さそうだった。特に勝負を決めた4本目は、W杯に出るレベルのキーパーなら止めて然るべきだっただろう。シレッセンは、PKじゃなくて、アグエロチェイスをさらっとかわしたシーンが特長のキーパーなのである。

雑感

コスタリカ戦で敢えて奇策の交代に出た監督だから、今回交代しなかったのは意味合いの低さというより、温情措置だったのだろう。その方が話としても面白い。名将が最後の最後で情に流されたってことだ。競技は違うが、野球で落合が同じ局面に遭遇したら──、例えばまた日本シリーズで山井が完全試合寸前まで行ったら、どうするだろうか。まぁこちらは次もあっさり変える気がするけれど。