むっ

むむむむむっ。

デジカメ watch

油断しきっていたが、NIKONの新しいデジタル一眼レフが出る様である。1000万画素。D70sの後継の様だ。D80なのかD90なのか、ここは鉄系写真マニアにウケるべくD51なのか、その辺だろう。僕のデジ一眼はD50だが、写真学校に行って以来、もう少しだけ重くてもいいから、ステップアップをしたくなっていた所にこのニュースである。NIKONは、商品開発が遅いのが取り得(?)だったが、ここんとこはすっかり家電メーカーの趣だ。素晴らしい。

  • より見やすいファインダー
  • 高感度ノイズ

この2つだけ、D70sから進歩していれば買いだと思っている。この画像を見る限り、ペンタプリズム化は微妙か。D50のペンタ部よりは少しだけ大きいが、F100程では無い。カメラは使い込むに連れてファインダーが重要になるので、視野率がせめて85%位だと良いなと思っている。ノイズは、画素数が上がってしまったので、低下は期待薄。ま、あんまり等倍で見たりしないので、これは致命的では無い。

SONY α-100も、Panasonic LUMIX L-1も一通り触ったが、α-100はAFの速度がまだピンと来ないし、撮像素子の小さなL-1は、どうにもサンプル画像がコンデジの様で、買う気にならない。PENTAX K100Dは、サンプル画像は素晴らしいが、あのPENTAXの頓珍漢なAFは改善されたのだろうか。これらのレビューが出揃ったら見てみたいが、大きな差が無いならシステムそのままで、このNIKONの新機種に買い換えそうだ。実は、D50が540g、Canonの30Dが700gで、160gの差ならえいやとCanonに行ってしまうのも有りかと考えていた所である。スポーツ撮りをしたいなと思い出したので、望遠レンズも超音波モーターが入っていて、マウントの大きいCanonの方がAFは有利だからというのも理由の一つだ。だけど、このニュース一発で思い止まった。早春に出たばかりの30Dの後継機種が100gの余も軽くなって秋に出てこない限りは、Canon移行は無いだろう。NIKONやるな。
9月に予定する秘境バックパッカー旅行は、このカメラと共に行くことになりそうだ。

さて、今日は写真学校の最終カリキュラムで、みんなで各自一枚代表作を選んで、学校内にペタペタと展示をした。僕は、ちょっと前に撮った狛犬のが気に入っていたので、それを使ったのだが、みな面白い作品を作っていて、ちょっとした写真展の様相だった。ま、それは過去撮ったものの話なので、横に置いておいて、この土日は、ぷらぷらとしていたので、ちょこちょことコンデジや携帯で写真を撮ってみた。


[CANON IXY DIGITAL500 35mm/F2.8]

  • 南青山である。近くのChloeで思わずカバンを買いそうになるが、思い止まる。そういえば、以前通勤もてバックを探しているとか、愚かな記事を書いたが、どうやら不本意ながらfelisiになりそうだ。

青山は次に住んでみたい町だ。miumiuの近くがいい。麻布も白金/広尾も住んだが、青山の街の若々しさ、イタリアの都会を歩いている様なウキウキとした感じは、他だと代官山に微かにそのよすががある位だ。歩いているだけで楽しい。東京中のクリエイティブネスとコンテンポラリーさの半分はこの街にある気がする。


[SHARP 904SH 35mm/F2.8]

  • 写真学校のクラスメイト(困ったことに(?)皆女性である。男性は一人だった。)と最後、お茶した時に食べたフルーツパンナコッタ。ぷるぷると美味しそうだったが、実際旨かった。

袖触れ合うも他生の縁。写真学校では、写真の腕前も上がったと思うが、普段出会えない人と出会えた事自体が良かった。ある程度視点を持った言葉は、自分の中にしみいり、いつか自分のものになるものだ。単なる遊び友達だと、他愛も無い言葉に終始する事が多いけれど、写真とか表現とか、軽くではあっても一定の目的があると、言葉は視点を持つ。


[SHARP 904SH 35mm/F2.8]

  • 特に意味は無いんだけど、麻布十番の近所を歩いていた時に。誰でしょうか、この「うずら永田」さんは。

青山に引っ越したいとか書いたけど、青山には無いサプライズが有るのが、下町・麻布十番である。うずら永田。そそる名前だ。うずらの様なゴマシオ頭だったのだろうか。或いは、うずらの卵みたいに、小さな肝っ玉だったのだろうか。それとも、ロシアはウスリー川のほとりから来た帰国子女なのだろうか。謎は深まるばかり。

今日は最後、渋谷西武にて、大学の時の同級生であり留学生だった女性に9年ぶりにばったり出会う。そのまま、関西から来襲した同窓の先輩アントレプレナーと3人で食事。グロースインダストリーに属する人の話は何時聞いても刺激になるものだ。ファンドも一つのグロースインダストリー。一つの産業が働いている内に出来上がっていく高揚感は、銀行の時には無かった。