寝台特急北陸

出張に初めて寝台特急を使う事になった。
金沢行きの特急北陸である。目的地は高岡だ。

もちろん、世の中には飛行機なる便利な手段もあり、朝一のANAのフライトは有ったのだが、色々と計算してみると、家から羽田までのタクシー15分とか、富山空港から高岡駅までのバス45分とかが相当のロスになり、結局寝台特急の方が寝られる時間は長い事が判明した。どちらかというと、男子たるもの一生に一度は寝台特急でビジネストリップをせねばならんという向学心(?)に燃えたというのが、実際ではあるが。

長距離列車は始発から乗って、ブレーキエアーの音とかをBGMに気分を盛り上げていくのが、やはり風情だとは思うのだが、当日は代官山で歓送迎会が有り、始発の上野は東京の反対側である。よって、やむなく埼京線を拾って大宮から合流することにした。これは残念で有る。始発駅には独特の雰囲気が有る。シカゴ中央駅、サンクトペテルスブルク・モスクワ駅、ウィーン・ハウプトバーンホフ等、今でも鮮明に風景を思い出す事が出来る。僕はその風情という意味では、上野は日本随一の存在だと思っている。ちなみに、個人的な日程を少しだけ書いておくと、日曜の夜から大阪に入っていて、当日の昼は大阪で会議、面談、工場見学とフルセットこなしており、そこから東京にとんぼ帰りして、更に夜、長躯高岡を目指すという、ドイツ機甲師団も真っ青な状況である。


・これが寝台特急北陸だ。高岡駅を発つ瞬間。

特急北陸はいわゆるブルートレインで、子供の頃にムネもオナカも躍らせたあの色、あの形をしている。構成は、A寝台・B寝台ソロ・B寝台となっており、前二つが個室、B寝台が4人コンパートメントで、全ての旅客が使えるシャワールームも付いている。日本で寝台特急に乗るのは初めてで、ビジネストリップである事を考えると、疲労度が少なそうなA寝台というのが正しい感じがしたし、出張旅費規程上の問題は全く無かったのだが、旅先では一等列車には乗らない主義の僕は、ここは敢えてB寝台ソロで攻めてみた。シベリア鉄道、北京からモスクワ7泊8日を二等コンパートメントで暮らした僕が、そこから10年も経って、少々お金に余裕が出来たからと言って、A寝台なぞに堕落してはいかんのである。

B寝台ソロというのは、上下に2部屋独立した客室が入っている二層式の動くカプセルホテルみたいなものである。僕は奇数番を引いて、下の客室になった。夜だから景色も見えないだろうし、揺れが原理的に少ない下の方がいいだろうと思われる。設備はvery basicである。スパルタンと言ってもいい。シベリア鉄道チェコ国営鉄道と比べて、日本が先進国だと主張できる設備は何も無い。敢えて言うと清潔度はかなり高いと思われるが、それは主にカーテン部分だけである。なぜ、諸外国の列車のカーテンは洗濯された形跡すら無い程よごれている事が多いのか、謎である。


・客室。天井は低いが狭くは無い。

シャワールームは310円で6分間使う事が出来る。30人使っても1万円の収入では、決してこの設備投資や水を運ぶ事のコストはペイしていないと思われるが、旅人にはありがたい。シャワールームは割りときれいで有る。外国の駅や空港で入るシャワールームは、ビーチサンダルで入るのが必須だったりするが、ここは裸足で十分入る事が出来る。僕は環境センシティブだと自負はしているが、シャワーばかりは悪癖の一つとなっており、結構流しっぱなしで30分とか、水をふんだんに使う毎日である。それが6分と時間を切られたので、6分以内にどうしたら全てが始末できるか考え込んだ次第である。

シャンプー・リンス・ボディソープ・洗顔料と使うものオリエンティッドでお風呂に入るという行為を分解してみると、シーケンシャルな関係はシャンプーとリンスだけで、それ以外はコンカレントにタスクを動かす事が出来る。よって、先ずはシャンプーを1分以内に終え、そこでお湯を止めて、リンスとボディソープ、洗顔料を使い、残りの5分で全部一気に洗い流すというのが最善の戦略だろう。流石に5分あれば、身長が5mを超えるとか、ありがたい事に千手観音だったとか、特殊事情が無い限りは人類は体を一通り流せる筈だ。

まずは全身を濡らす。ここまでで10秒である。そこでお湯を止めて、シャンプーし、髪を洗い流してまた止めてもまだ合計で30秒しか経っていない。勝利は目前だ。結局、洗顔までしてもう一度体を洗い流しても、4分程度しかお湯は使わなかった。2分の余剰発生である。普段の30分のシャワーは一体何なんだという感じだが、どうやら人類は集中していればこの程度の時間しか水を入浴に使う必要は無いらしい。

後からよくよく思い出してみると、奄美大島から鹿児島へのフェリーだったか、クアラルンプール空港だったか、記憶は定かでは無いが、時間制限があるシャワーを何度か利用した事がある様な気がしてきたが、旅人とはこういう非日常的な物体を見つけると、毎回毎回無駄にエキサイトしてしまう生き物なのである。


・必要十分とはこの事を言うのだろう。

気が付くと高崎を過ぎ、時刻は0時半を回った。高岡到着は5時47分の予定ゆえ、そろそろ寝たいのだが、体が興奮しているのか、なかなか寝付けず、眠りも浅い。旅に心躍る少年の様な状況なのだろう。あと、B寝台のベッドはとても固かった。各国の寝台を比較しても相当固い方だと思われる。

5時半に富山に着き、その直前に車内放送が再開されると特急の朝は急に慌しくなる。利用者は殆どビジネスパースンである。平日だし、当たり前か。高岡には定刻着。高岡はアルミニウム工業で発展した街ゆえ、駅舎は総アルミニウム造りとか、そういうエキセントリックな展開を期待していたのだが、まぁ普通の極めてセントリックな地方の駅で有る。過大な期待は体に良くない。集合は9時40分なので相当時間が有る。馴染みの無い地方に行った時には、まずは駅うどんで出汁の味を確認するのだが、高岡は関西とも関東ともつかぬ、独特の味だ。醤油は入っていないのだが、出汁が濃い。何となく鮪節を使っているのかと思ったが、鮪が北陸というのも何となくそぐわない。


・微妙な色の出汁。馴染みは無いが、好きな味だった。

うどん屋の店内は半分がスウェットの上下の人達である。若い女性もスウェットである。地元の静岡がそうであったかというと違うような気もする。この地方ではユニフォームとなっているのだろうか。ジャージってのは大阪の南部でも見られる風俗だが、スウェットをみんな着ているのはレアの様に思う。
その若い女性は、携帯でわーわーと話していたが、どうやらアフターとか言ってるのでキャバ嬢の様だ。そのキャバクラに行く男性も、この朝のあられもない姿を見たら指名もしないんじゃないかと余計な心配をしてみたりする。

「電車で帰るの初めてやねんがー」。相容れないとずっと思ってきた関西弁と名古屋弁は、かくも軽やかに融合しえるのか、とキャバ嬢の言葉に思わず刮目した朝であった。