ハングリー精神

 土曜日は、同世代の友人とゆっくりと今の人生について話しつつ表参道でランチして、その後神保町のいつもいっている美容院で髪を切った。前の日の金曜日に合コンをしたのだが、それは生まれて初めて「イケメン」という言葉が自分に向けて発せられた記念すべき瞬間だったので、相当気をよくしており、「そういう素敵な状況なのでキープコンセプトで」と美容師に言ったら、ゲラゲラ笑っていた。まぁ30歳の余も生きて、イケメン経験が1度というのも寂しい限りなのだが。
 よく晴れた気持ちの良い日だったので、この日は自慢のプジョーのフォールディング・バイシクルで移動していた。しかし、いかに秋晴れと言えど、麻布十番から表参道、そこから神保町とダイナミックに移動すると結構疲れるので、帰りにリフレクソロジーに寄った。ふらっと入った初めてのトコだったが、台湾式だったので中国人の若いコが施術をしてくれた。終わった後、客が僕一人だったこともあり、そのコと何となく話が始まった。マッサージ師とかエステティシャンは手でする商売だから、僕はそういう手を触るのが好きである。それは別に変な意味ではなくて、手で商売をしている人は、手に生き方が表れているからである。自分が女性と比べても非常に華奢な手をしているので、それと比べるのが面白いというのもある。彼女の手も長くこの商売をしている事がよく理解できる、引き締まって、かつ厚い手だった。僕はかなりの頻度で、かつ色々な種類のマッサージに行くせいか、マッサージ師から「習ってたの」と聞かれる程度には、自分でも出来る自信がある。なので軽くマッサージをしてあげると、右手の親指と人差し指の付け根のツボで彼女は悲鳴を上げた。熱を持っていて硬くなっている。マッサージ師には、その人なりのやり方の癖がある。長く続けるにはいかに関節に負担を掛けずに力を入れるかを習得しないといけないのだが、彼女は、右手は指でなくて手の平の力でついやってしまうのだろう。そこそこの時間ほぐしてあげたが、殆ど変化は無かった。
 その後、身の上話めいた展開になったが、福建省の出身で、日本の大学に通っているという。卒業後は、幸いにして日本の会社で働くことが決まっているそうだ。日本人の優秀な人がMBA留学をしても、なかなかアメリカでプロフェッショナルな仕事を得るのは難しい事を考えると、日本に来て日本で職が得られたのは、きっと彼女が優秀だったからだろう。彼女から聞いて、面白かったのは次の3つである。

  1. 彼女の大学では、留学生がクラスの3分の1近く居ること
  2. 大学では残念ながら日本人の友達が出来なかったこと
  3. 実はこの店は、彼女が経営している店であること

 僕が大学だった頃は、もちろん留学生は居たが、クラスの3分の1どころか、5%位だった様に思う。彼女が通っている大学は、僕が知っている所だったから、山形だか秋田だかの殆ど外国人が就労する時の名義貸しだった短大とは訳が違う。日本政府は留学生の受け入れを推進しているが、それは徐々に実を結びつつあるのだろうか。欧州の大学では自国民の方がマイノリティというのは、よくあるシチュエーションだ。日本でも急速にそういう教育を産業として売れる状況が出現しているとは余り聞かないが、六大学レベルで実際どうなっているのか、知りたい所である。
 2番目のポイントは、これを聞いて、自分がバンクーバーに語学留学に行った時の事を思い出した。西欧人というのは、自分がマジョリティの時は、それなりにフェアにトリートしてくれるものだが、バンクーバーでは圧倒的にオリエンタルとヒスパニックがマジョリティだったのである。こういう、西欧人がマイノリティの状況になると、彼らは急に壁を作って、内部で固まる様になる。それで、まず西欧組がグループとして確立すると、次にヒスパニックの中から、見かけが西欧人に近い人をグループに入れて、派閥を大きくしようと試みたりする。まぁ若くて経験の浅い内に、いきなり白人がマイノリティの状況に突っ込まれると防衛本能が働くのは、別に非難されるべき様な事ではないのだが、きっとこの大学の日本人もそういう状況なのだろう。18歳で高校を卒業して、地方から東京に上京してきて大学に入ってみると、日本各地から人が集まるどころか、いきなり3分の1が外国人留学生という状況に遭遇したということである。ICUとか上智とかの大学に国際色を求めてきた学生以外だったら、相当戸惑うだろう。僕が大学だった時の様に、5%しか留学生が居ないと、留学生と友達になれるというのは一種のステータスみたいな位置付けなので、我先に話しかけるという感じだったが、3分の1となると、実際どうなったか、ちょっと想像が付かない。
 最後のポイントが、一番驚いたとこである。ガリガリとバイトに励めば、大学生の内にバーの一つも出店するとか、そういうのは理論的には日本の大学生でも有り得るのかも知れないが、そこまで出来る学生はごくごく少数だ。これを聞いて、金儲けが上手だとか、本当に勉強しに来たのか、とかそういう批判を行うのはたやすい。他人の金儲けを批判する者は、すなわち金儲けをしたくても出来ない者である。日本人も特に清貧の暮らしをしていない以上、金儲けの才には常に敬意を払うべきだと僕は思う。
 しかし、若い頃の僕も含めた今の日本の大学生と彼女を比べると、そのバイタリティと目的意識の差は、愕然とする位大きい。厳密に言えばこれは学生ビザのカテゴリーから逸脱した活動の様にも感じられるが、その辺のリスクは承知でテイクしているのかも知れない。このアグレッシブさがハングリー精神という事なのだろうか。20代の非常に若いマッサージ師の姿から、年を重ねてますますガツガツしなくなってきた自分をふと省みた。
 僕は、バイアウトファンドで企業経営に携わる中で、マネジメントサーチを含めた中途採用に立ち会う事もよくあるのだが、ここ数年、女性のパフォーマンスが男性を圧倒している事を感じている。働くことが日常の男性に比べて、出産育児など時間的に制約がある女性の方がハングリーなのである。また30代40代で、育児がひと段落して復帰してきた女性だと、若い頃はまだ男女差別が厳しくて目一杯働けていないケースも多い。そういう方だと、復帰して年相応の権限を持って貰うと、実にパフォーマンスが良いのである。これと同じ事が外国人と日本人の間で、今後起きるかも知れない。ここ5年で相当女性の営業というのに違和感が無くなって来たが、これからの10年は、日本語を流暢にあやつる外国人の営業に違和感が無くなる時代でもおかしくない。彼女は特殊な例なのかも知れないが、常識的には外国人の方がハングリーだし、ハングリーさがより多くの経験・知識の獲得に繋がると考えれば、優秀な人も多いだろう。彼女も、20代の若い時にこういう地に着いたB to Cのビジネスの経営をすることで、単なるバイトと比べて大きな経験が積めたのは間違いない。また、そもそもスモールビジネスとはいえ、実際に自ら商売を始める行動力とかプロアクティブさは教えて習得できるものでは無い。僕は、彼女を雇う事に決めた日本の会社は、とてもラッキーだったのでは無いかと思った。
 「あなたのハングリー精神は大事にした方がいい。」2時間位しゃべった後の帰り際、僕は思わずそう言ってしまったが、彼女はきょとんとしていた。