クルマと階級

 たまたまクルマを買ったので思い出したのが、村上春樹のエッセイである。題名は忘れてしまったが、彼がハーバードで教えている時の話だったと記憶する。内容は、日米の階級という概念についてである。日本では、週刊少年ジャンプを読んでいる教授とか、立ち飲み安居酒屋に入り浸る社長なんてのが、「庶民的だ」と好意的に受け取られるのに対し、米国では自分の属する階級に沿った立居振舞をするのが当然で、それから外れると孤立する事になるとのこと。例えば、労働者階級のビールであるバドワイザーを教授が飲むなら、バドワイザーの本社が有るミズーリの出身だとか、言い訳をしないといけないとか、詳細は忘れたがそんな例が載っていた。本当かどうかは知らないし、仮にハーバードのあるニューイングランドではそうでも西海岸では大分違うだろうと思う。
 昨日、僕はバイアウトファンドや投資銀行IBD*1で働く人にはドイツ車が多くて揃い過ぎだと書いた。書いた後、ふと思ったのが、このテイストの保守性というのが、バイアウトファンドやIBDを含んでBanker*2という階級が存在するなら、その階級にappropriateな振る舞いなのでは無いかという事である。IBDというと、サスペンダーに色シャツという派手なイメージがもしかしたらあるかも知れないが、それは投資銀行でもどちらかというとマーケットに近いサイドの風景である。IBDにおいては、アメリカの大統領候補の様な、仕立ての良いダークスーツにホワイトシャツというのが実際は基本である。それはバイアウトファンドでも同じだ。こういった、服装やら持ち物の保守性というのは、Bankerには共通したもので、それこそが、この仕事をする上でのappropriatenessなのかも知れない。金融業というのは、ロンドンやニューヨークという保守的な風土で発展したのもので、かつその中でも保守中の保守に位置するから、これは正しいのだと思う。
 となると、明るい色のスーツを好み、クルマは超不人気かつレアな中古車、そして休暇はバックパッカーなんていう僕は、相当inappropriateな振る舞いをしている事になる。今のところ、このテイストのせいで自分が孤立しているとか、微妙な距離感があるとか、そういう感じはしないし、きっとそうでは無いと信じているが(?)、村上春樹の言論が正しければ、それは日本だから許されているという事になるのだろう。
 この世界で何年かやっていると、仕事の何割かは「仲間内」で回っている事に気付かざるを得ない。それは談合をしているという意味では無く、何かが動く時のドアノックは、信頼がおけて親しい知り合いベースから始まるから、結局投資銀行や弁護士、バイアウトファンド等の人種の中に存在する何個かの知り合いクラスターの中で仕事はぐるぐると回ることになるのである。従って、この仲間に入れて貰うことが、シニアなポジションで成功するには大きな意味を持つ。そういう意味では、いま許されているとしても、突飛なテイストを控えて、Bankerらしく振舞い、仲間として違和感無く迎えて貰うという方が成功の為にはベターなのかもしれない。これはどの業界であっても、同じ事であろう。きっと、いつか人は、any inappropriatenessに対して、「いや実はこれは・・・」と言い訳をするのに疲れ、その人が属する世界のテイストに染まる事がラクになっていくのだろう。
 ここからは夜に書く極めて私的な述懐なので、興味の無い方は飛ばして欲しい。僕がもし次にドイツ車を買っていたとしたら、古り重なる時間が僕の価値観をそう変えてしまったということだろう。その日が来ない事を心の片隅で祈っている自分が居るが、一方で突飛な事をしている様に見えるけれども、レジュメだけ見れば僕は法学部を卒業して日本の銀行に進むという極めてコンサバティブな道を選んだ人間である。こういう道を選ばせたのは僕の中の保守性であり、それはいつだって僕の行動を縛っている気がする。この保守性は、いずれ僕をよりBanker Societyの中で正しく振舞う様に変えていくのかも知れない。また、一方で4年前に銀行での安定した地位を捨ててバイアウトファンドなんていう黎明期の産業に移り、そこでの仕事の中では個人のキャリアを賭けたリスクを何度も取り、オフには学生時代より激しい旅路を重ね、そして本業以外にも力を注ぐ自分がいる。この事象からすると、僕は経験を積むと共に生来の保守性から抜け出していくタイプとも考えられる。果たしてどちらなのかはそろそろ答えを見つけなければいけない年頃だ。
 人生とは選択の繰り返しである。30代になると、過去に行った選択の数が十分に貯まり、それぞれについて振り返り、比較をして、評価を行う余地が出てくる。20代の時には人生における選択を、夢中になり、狭い視野で、かつ最後は勘に頼って行った。自分の中の経験と感情と対話し、沈思黙考して決めるのでは無く、ロジックは社会的評価と独り善がりのストーリーに、感情とは直感に過ぎなかった。こんな若い頃のどちらかと言えば苦い人生の選択をいま振り返って、その善し悪しを量っていると、次なる選択の時には、そろそろ自分の中の全てと折り合いを付けながら行えるであろうと感じられる。こう考えると、年を取るのも悪くないと思う。

*1:Investment Banking Division

*2:ファンドの人は通常バンカーとは呼ばれないので、念の為。イメージの話である。