Googleストリートビューの本当の革命

 Googleストリートビューがローンチして暫く経つ。僕が使ったのは、最初に面白がって、アメリカの知ってる場所を表示させたのと、場所の記憶があやふやな親戚のやっているお店をグリグリ探してみたのと、後は2ちゃんねるのデジカメ板に、「撮影場所を当てるスレ」という、たまに覗く実にマニアックなスレッドがあるが、ここに貼られているストリートビューのリンクを踏んでみたこと位である。
 これについては、ブロゴスフィアでは色々な議論があって、その中で渡辺聡さんがCNETに書いているこのエントリが極めてよくまとまっていて、かつ後段の指摘は実務上の示唆にも富み、

○「Googleストリートビューと周辺諸課題」/情報化社会の航海図

ほぼ門外漢の僕が特段付け足すことも無いのだが、感想めいたものを2つ。
 一つは、住んでいる所の違いによる、プライバシー侵害感の違いである。僕は実家はとても田舎だったので一軒家だったが、18歳の春に東京に出てきてからはずっと集合住宅である。集合住宅に住んでいると、ここからは自分のスペースである、という感覚は、自分の部屋の玄関の前あたりからで、集合住宅のロビーとかはむしろ公共スペースである。ゴミ出すのも、ちょっと寝間着で、という感じではなく、近くのコンビニに行くのと同じ程度の身繕いを要する。こんな人にとっては、集合住宅の外は完全に公共スペースなので、外観を写真に撮られて、広くネットに晒されても、余り違和感は無い。
 一方で、上のエントリや、そこで紹介されているエントリにもある通り、いわゆる下町的な所や、一軒家が立ち並ぶ住宅地では、人の感覚的プライバシーの範囲が塀の僅かに外まで広がっているのは間違いない。その為、塀であっても自宅を撮られると、居住者としての違和感は発生するだろう。日本もだいぶ都市化が進んだが、全体として見ればまだ後者の生活形態と、それに基づくプライバシーへの皮膚感の方が主流の筈だ。その中で、最も都市化が進んでいる東京は、この2つの生活形態が都市空間の中で無秩序に渾然一体となっているのが特徴であり、マンションなどの集合住宅に住んでいることがベースとなった皮膚感覚でサービスを設計すると、他のところから違和感を訴える声が出てくることになる。
 また、東京でマンションに住んでいる人の平均的デモグラフィーと、一軒家に住んでいる人の平均的デモグラフィーは結構違う筈である。一軒家の方が投資コストが高く、地域的には郊外か下町が多いから、どちらかというと年齢層は高く、考え方は保守的で、自分が住む場所に対する愛着は強く、あんまり簡単に引っ越したりしない層の筈だ。僕にはGoogle社員の知り合いは居ないので、完全に妄想で話をするが、日本でのローカリゼーションを推進したGoogle東京オフィスのメンバーにどれだけ一軒家持ちが居たかを考えると、それはとっても少ない様な気がするのである。そうであれば、メンバー全体のそういった平均的デモグラフィーとそれによって形成される平均的皮膚感覚が、この賛否両論を呼ぶのは間違いないサービスの推進力になったのかもしれない。
 二つ目は、単にこれでどうやって儲けるの?という商売っ気に関することだ。僕が初めてこれを使った時思ったのは、「セカンドライフ」みたいだな、ということである。セカンドライフこそ、バーチャル世界そのものゆえ、リアルを撮ったGoogleストリートビューをバーチャルに似ていると感じるのは、とても逆説的である。しかし、ストリートビューはリアルがベースだから、リンデンラボの様に参加者にバーチャルの土地を売って稼ぐことは出来ない。
 さて、そうすると、広告モデルとなる訳だが、今は左側にAdsenseのテキスト広告が出る程度である。これは、日本ではホットペッパー以上には余り盛り上がっている様に見えないローカルマーケティングの立ち上がり具合次第だろうから、余り面白い話ではない。むしろ、みんながこのストリートビューをガンガン見る様になれば、銀座の一等地にリアルの看板はウン億円だが、ストリートビュー内の銀座にそれっぽい看板を出すのは数十万なんていう、ストリートビュー内の仮想広告を売る方が話としては面白い。ストリートビュー内のアクセス数が多いポイント、例えばハチ公の下の台座部分に、突然渋谷のホテルが何%オフとか、赤坂のガールズバーがどうとかという表示が出たり、もしかすると、やずやケフィアレクタングル広告がペタっと貼り付けられたりする訳だ。また、Googleの画像認識技術をもってすれば、ストリートビュー内の看板とかビルボードとかの広告スペースを自動認識して、そこにGoogleの配信する広告を表示させる、というのも難しくないだろう。これはこれで、セカンドライフとは別の意味で、バーチャルの場所の切り売りが広告という形でなされることになる。Googleストリートビューは、リアルをベースにした商売だが、Googleのサーバーに入った時点で、リアルの光景は、Googleが管理できるバーチャル空間に変わるのである。
 はてさて、つらつらと感想を2つまとまりなく述べてみたが、僕はどう思うかと問われれば、このGoogleのチャレンジは、凄いことだと思っているし、基本的にサポーティブである。何が一番凄いって、それはテクノロジーではない。TVCMとかのマス広告メディア、リクルートの住宅情報とかとらばーゆとかホットペッパーとかのマイクロな情報を集めた紙媒体、ネット上に膨大に存在する各種企業・物販サイトまで共通した、「情報は、出したい人がカネを払う」という、今までの歴史的大原則にチャレンジしているところだ。YahooにしてもGoogleにしても、検索という商売が、これまでノーオブジェクションで成り立ってきたのは、情報を世界に向けて出したい人で無ければウェブサイトを作らないので、それをインデックスして世界により広めても誰も文句を言わなかったことに尽きる。それどころか、もっと広めたい人(企業とか)は、検索サイトにカネまで払ってしまうのである。これは時代は変われど、伝統的な電話帳広告と全く同じ構造である。実は、新しいモデルでも何でも無いのだ。
 Googleストリートビューは、世に溢れる雑多な情報を集めて、検索可能な形にインデックス化して広くユーザーに提供するという、プロセス自体は他のGoogleのサービスと同じだが、情報を特に出したく無い人から、タダで情報を集めてきている、という点で、上の歴史的大原則を全く否定している。オプトイン・オプトアウトという考え方は、これまで一斉同報メールなど、主に「情報を受け取る」側の話として扱われてきたが、Googleストリートビューは、「情報を出す」時にオプトインというステップを踏まないサービスなのである。Googleにとっては、家とかの人の創造物までは、人の人格権は及ばないという整理なのだろう。これは、これまでのメディアの成り立ち方とは質が根本的に違う。Web2.0で言われるCGMでは無くて、ある種強制的に皆が情報を少しずつ出させられるメディアなのである。面白がっているだけでなくて、果たしてこういう成り立ち方が可能な他のサービスは無いものか、とふと商売っ気に戻って、考えたくなるイシューであるし、そういうヒントをくれた上に、大原則を実際破壊してみせたという点で、先駆者Googleにマンション在住の僕はサポーティブなのである。