個人的呟き

 冬が終わり春が始まった頃に30万アクセスとなっていた。ご愛読ありがたし。それを期に、という訳では無いが、ふとしたきっかけで4年前の、昔のエントリを幾つか読んでみた。僕は、てっきり自分が当初旅と写真ブログをやろうとしてたのだと思い込んでいたのだが、読み返してみると、明らかに違う。うっすらと思い出してきたが、どうやら自分は「ひとり“デイリーポータル@NIFTY”」的な脱力系お笑いブログをやりたかった様である。その昔はデイリーポータルが好きで、毎日の様にアクセスしていた。そのことを思い出して懐かしい気持ちになったが、その一方で、もはや面白いこと書くのがしんどくなっている自分にもふと気付く。論理的な文章より、面白い文章の方が、今の僕にはひねるのが難しいのである。余裕が無いと読み手の反応まで考えられないということだろうか。少なくとも4年前は違った気がする。更に言うと、人生を遡る程、面白い文章が書けた記憶がある。
 振り返ってみれば、自分は何に対しても一歩離れて、シニカルかつシュールな笑いで物事を受け止める人で、一つの芸として真面目に仕事をする“ふり”も一応出来る、というのが昔の自分の、自分に対する受け止め方だった。それが、いつの間にか笑いを忘れて何事も真面目に受け止める様に変わってしまったのかもしれない。なんか新しいことする発想や気力が以前ほど無かったり、物事の裏・表情の奥への配慮に乏しくなったり、力の抜けた行動が難しくなったのは、このせいだろうか。確かに、最近は何かにつけ正面から出入りしてしまっている。休日に、休日だから休まなきゃ、と考える様になりつつある。
 その根っこの要因は何だろうか。時勢が悪くなって、よろず余裕が無くなって来たのかもしれない。単に29才から33才に歳を取っただけという気もする。歳を取るというのは、選択肢の数を減らして可能性を上げる作業の連続であると、就活の時にソロモン・ブラザーズの社長に言われて、何となくその言葉を胸にキャリアライフを重ねてきた。キャリアってのはそういうものかも知れないが、プライベートにおいてまで、選択肢の枝の剪定作業を無意識に行う必要は、きっと無いのだろう。人生には無駄が満ちているべきだ。隙の無い人間には、他の人を笑わせることは出来ない。
 そんなまじめーな事をふと考えてしまった、3月4日だった。サッシの日だそうである。誕生日の方が居たら、おめでとう。