三田市を歩く。

週末関西に行った話の続きである。

桜が咲いていないので、すこーんとうなだれたのだが、遠出したからには何かしないと気が済まないという事で、田舎に行く事にした。

田舎と言っても、関西は立派な都会なので、さっくり片道1時間程度で日帰りできる田舎となると、東京と同様「高尾山ハイキング」レベルの話になる。実家のある静岡なら、住んでいる所がそもそもアユが釣れ、カナブンが舞い、ハクビシンがクルマに轢かれる位の田舎なので、1時間南に行けば、太平洋の藻屑と消え、北に向かえば人外魔境の様な山奥となるが、ここは日本で最も先に開けた歴史を誇る関西である。西に向かえば、実家と同様大阪湾の藻屑になってしまうが、北・南・東だとそれなりの街が続いている。僕の中で盛り上がる高尾山ハイキングな気分を満足させる為に、関西における高尾山的存在の所はどこかと思いを廻らせてみた。

こういう時に乗るべき鉄道の両雄と言えるのが、南海高野線近鉄吉野線だ。高野山に吉野という終点が素晴らしい仏教遺跡なので、田舎度と相まって、なかなかそそってしまうのだが、難波や阿部野橋という南方がターミナルなのが痛い。丁度泊まっていたのがラマダホテルなので、ホテルのある中津という北方を起点とすると、片道1時間で行ける範囲を超えてしまっている。

近鉄信貴線から信貴山というのもイケている。ケーブルカーも有るので、高尾山的な手軽な趣きは最も強いかもしれない。生駒山から信貴山に掛けての山奥は、関西有数の霊的スポットで、高密度で山岳宗教の寺社仏閣が存在している。信貴山自体は、日本の毘沙門天信仰のメッカみたいな所である。セドナ辺りの知れたスピリチュアルプレイスでボーテックスのエナジーでヒーリングとか、やたらカタカナの多い活動にウツツを抜かすなら、この辺で山伏の真似の一つでもした方が遥かに最終解脱に近い感じだ。

という訳で信貴山モードは一瞬高まったが、同行人の高いヒールを見て、即座にしぼんだ。桜を見に行こうと呼び出したのに、これからヒールで信貴山の急峻な山頂を極め、毘沙門天と共に瞑想しようとは、さすがに破天荒な僕でも言い出せない。

そんなこんなで選択肢が無く、とりあえず目の前に来たJR福知山線に乗って、北方に向かった。ここまでの長い前置きは何だったのかという感じだが、何でも無かったのだろう。終点は新三田である。適当に交通機関の終点まで行って帰ってくるというのは、辺境を旅行している時の暇つぶしにはよくやる手ではあるが、まさか関西でやる事になるとは思わなかった。

新三田の手前の三田で降りてみた。新三田は工業団地と「けやき台」なる無個性で、僕の嫌いな系統の名前の新興住宅地が主な街の構成要素だったので、それに寒気を覚えて、もう少し歴史的な積み重ねの有りそうな旧市街を選んでみた。

しかし、三田はまごう事無き関西であった。


・はいはいフシギフシギ。

突っ込みどころ満載だ。あえて一つ一つは突っ込むまい。日が暮れる。田舎に来たのは、非日常のリラクゼーションを求めたからだが、一気に日常に戻った感じだ。

さて、日常に戻りついでに現実的な土地の話でもしてみる事にする。地方に来るといつも思うのだが、東京の土地関連のコストは異常である。僕はそれ程リビングエクスペンスをアグレッシブに使う方では無いが、それでも僕の家賃は、この街の不動産屋で見た借家の全てを突き抜けて高い。地価に至っては近隣のスタジオタイプのマンション一つで、ここなら田畑付きの立派な一軒家が買える。それでいて、ここから都心までは1時間である。関西圏の企業に勤めていたら、ウィークデイは都心で仕事、ウィークエンドは土いじりという、「自宅がダーチャ」的生活が簡単に出来てしまうと言う事だ。東京では都心まで1時間の地域で「自宅がダーチャ」は割りと至難である。自宅買うのが精一杯、というのが現実だろう。


・家賃は、こうゆうのと比較してはいけない。

関西に暮らしていた時、関西に住む方が人生は豊かかもと思っていたが、歳を追う毎にその思いは強くなる。

まだ、当面extremeな東京のビジネスを究めていきたいが、いつかは人生のバランスを取って、西で暮らすのも悪くない。まぁ暴走するギャグセンスに耐えられればの話だが。