監督の差、体格の差。

世の中の流れにきわめて天邪鬼な記事を書く僕では有るが、今日は流石にワールドカップの事を書かねばなるまい。基本的には、昭和天皇崩御の日に各局が特番を組む中ハクション大魔王を堂々と放送したテレ東のヘソ曲がりぶりを目指しているのだが、静岡生まれ・サッカーは最大の趣味という事で世に迎合的になってみる。

衛星で岡ちゃんが、後半パワープレイが真ん中に寄ってきたので、単調な攻撃を跳ね返してカウンターというサッカーが出来て日本有利かと思いきや、そこで決めきれなかった事で、最後6分で逆転された。こういう展開は自分でも参考になったと言っていた。しかし、逆転されたのは決め切れなかった事が要因なのだが、決め切れなかった事自体が原因ではなくて結果なので、なぜ決め切れなかったかを考える事が重要である。

要は用兵の妙を欠いた監督の差のように思う。後半は明らかにFW2人の運動量が落ちて、ボールが繋がったり、正確なシュートが打てなくなっていた。オーストラリアのDFも動きが鈍くなっていたので、フレッシュな選手を投入すべき展開だった。

また、別の視点から行くと、後半運動量が落ちて、前線からのプレスが掛からず、中盤でもパスをフリーで打たれる様になったのが、結局オーストラリアを有利にした。セットプレーやパワープレーというのは一定の確率で決められてしまうものだから、打席を減らさないといけないのに、それが出来なかったという事である。ここで、疲れて足が動かなくなった前線2人を、プレスを掛けれる巻か、走れる大黒に早めに変えておけば、パスの出所を押さえられたであろうし、追加点を奪うべき時間帯に足元が覚束なくなっている先発よりは、足の遅いオーストラリアDFをかわして決めれる確率が上がったと試合中思った。

ジーコは、この時柳沢が画面から消える様になってかなり時間が経ってから、柳沢を小野に変えている。これは、目的としては僕が考えるセットプレーやの打席を減らす事を同様に目指していると思うのだが、手法としてプレスでは無く、ボールの収まり・キープ力を重視して小野というのがジーコの選択だった。セットプレーやパワープレーからの失点を防ぐのに、プレスを当ててボールを入れさせないのか、キープして相手にボールを渡さないのか、この差では有るが、後者を選択したのは、ポゼッション・サッカーの権化であるジーコらしい発想である。疲れてくるとプレスに頼るよりはポゼッションというのは確かに一理有る。

結果としては、見ていた人はお分かりの通り、小野はその戦術的な理解をしていなかったのか、あまりキープしている様には見えず、軽いタッチでボールを回して、周囲を余計に疲れさせていた様だった。この時小野に求められていたのは、トルシェ時代に左サイドを小野のキープ力だけで持ち上げて攻撃していたあの時のパフォーマンスだったと思う。

僕がもし監督だったらという議論は意味が無いが、敢えてするならば、後半追加点が欲しくなってきた所で、高原に変えて大黒。中盤にプレスが掛からなくなってきたら、柳沢に変えて巻+俊輔に変えて小笠原という交代を行うだろう。これで、カウンター一発で点が決まる要素である、速さと高さを前線に加えて、かつ前からのプレスを足が止まってきた選手を変えることで補う事が出来る。

結局、交代が殆ど意味を成さなかったジーコだが、対照的にヒディンクの用兵は流石であった。ビドゥカがマークされてワークしないと見るや、前線に早くからポイントを増やして、放り込んだ時のマークを分散させる。加えて、ケーヒルやアロイーシの様な、1.5〜2列目の選手を入れて、こぼれ球を狙わせる。キューウェルは下げて、球を放り込ませる。日本のバックラインが後半途中まで集中していた事と、キューウェルが病み上がりで疲れてパフォーマンスが落ちているのを見て、流れからの得点を捨てて、一発に賭けて成功した。

あと一つ新しい視点として思ったのは、巨兵のビドゥカケネディに当たられ続けた事で、相当日本のDFは消耗していたということ。サッカーにもラグビーの様に、体重差で疲れて押し負けるという事が有るのだと実感した。結局、早くからケネディを入れて、日本のDFを消耗させ、後から入ったケーヒルやアロイーシがその隙を狙うという狙いのクレバーさと、順番とタイミングの正しさが功を奏したのだろう。

ただ、かの鉄壁の守りを誇るACミランでさえ、2004年のチャンピオンシップ準々決勝ではデポルティーボに4得点決められ、2005年は決勝でリバプールに3-0から追いつかれている。だから、ゴールラッシュされた事で即ジーコが世に稀に見る無能だと烙印を押すのは可哀想だろう。This is football なのである。

何はともあれ、厳しくなった。クロアチア戦は個人技で競り負ける分、オーストラリア戦以上に走り負けないサッカーが重要になるだろう。そういう意味で、巻とか稲本とか走り負けない選手をいつ入れるかってのがポイントになろう。願わくばカウンター一発で先取点取って、後はひたすら走るというのが出来ればベストだ。そうなると最初からヘッドに強い巻を入れておくというのは有り得るチョイスだ。巻なら持久力が有るから、交代を考える必要が無く、3つの駒を他で有効に活用できる。まぁジーコはこういう思想の無い監督だと思うけれど。

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