Day 4 /アフリカオンライン

 寝飛ばしたら、このままドバイで立ち往生である。そんな恐怖に迫られて、実に浅い眠りだった。起きたらエミレーツ航空787便アクラ行きは目の前のゲートだった。ドバイ空港は空港泊するにはなかなかの空港である。日米欧以外の国の例に漏れず、空調は incredibly freezing という感じだが、シュラフを持ってくれば何の問題もない。シュラフが無ければ飛行機を降りるときにブランケットを拝借すればOKである。カーペットが割と弾力があるので、歩き回ると体力を使うが、寝るにはなかなかだ。ドバイは目的地としても、エミレーツが就航する名古屋と関西の人にとっては中継地としてもポピュラーになっており、空港には沢山の日本人旅行者がいる。彼らの目的地は、ドバイかヨーロッパかという感じだから、みな小綺麗な格好だ。その中で、空港でシュラフかぶってゴロゴロしている僕は果たして日本人の仲間に入れてもらっているのだろうか。
 と言うわけで、殆どアクラまでの8時間のフライトは寝ていた。隣はヨルダン人のIT技術者でガーナにプロジェクトで行くとか何とか。もう少し起き続ける気力が有れば、何のプロジェクトか詳しく聞けたかも知れないが、聞いてもたぶん、ITについては日本と同じ言語、同じニーズだというのを確認して、フラットな世界だなと思っただけだと思う。
 ランディング体制に入り、上空から見るアクラは乾いた赤い大地に家と森が点在する、典型的な熱帯性サバナの地勢である。アフリカと言うとジャングルのイメージが強いが、ガーナは熱帯収束帯の北上南下によって雨季と乾季が極めて明瞭に分かれるサバナ気候である。タンザニアもこんな感じだった。同じ熱帯でもアマゾンのセルバやマレー蘭印の密林とは随分と趣が違う。空港について、タラップを降りると、一陣の涼しい風が頬をなでた。暑くない、というのが第一印象である。気温30度。海沿いだから風が吹く。東京の夏より遙かに快適だ。
 途上国入管から市内トランスポート探しまでは、途上国お決まりのハッスルだ。無愛想で滞在先をさんざん聞いてくる係員。なんでそこに泊まるんだと言われても、初めての国なのに答えようが無いだろう。出てみると、タクシーの客引きがうじゃうじゃ・・とまでは行かないが、そこそこ居る。この数倍の数に囲まれた事は有るので数には余り動じない。アグレッシブさも南米ギアナとかと比べるとかわいいもんである。それでも群がってくるとそれなりにウザいので、しっしと追い払った。
 Lonely Planetにはトロトロと呼ばれる乗り合いバス乗り場が空港の一角にあると書いて有ったが、グルグル探して見回しても、それらしきものは無い。大体において、途上国の乗り合いバスは、トヨタハイエースに23人乗るというのがグローバル・スタンダードだから(4人×5列+運転席、助手席とその間に1人)、ハイエースを見つけだす視力はバックパッカーは皆発達させているものなのだが、僕のスカウターには引っかから無いのである。諦めてエアポートセキュリティのおっさんに聞くと、空港内にはトロトロは無いとのこと。出て大通りで捕まえるパターンか。空港近くに大通りが走っている国だとたまにそういう事がある。面倒になったのでタクシーで行くことにした。ま、この案内されたタクシーは実はリムジンにあたる存在で、普通のタクシーと比べると結構な金額だったのだが。もし、ガーナに行って、空港から安く市内まで行きたければ、屋根の上にTAXIと書いてある小さい車に乗った方がいい。小さいってのはオペル・アストラやスズキ・カルタスクラスの大きさである。コロナ位のに乗ると、市価の倍位になる。それでも1,000円超くらいなので、大した話では無いのだが。
 アクラ市内に入ると、俄然心が浮き立ってくる。立ちこめる排ガスの匂い、はげかけたペンキ、街中に満ちる陽気な音楽、うじゃうじゃ居る屋台と物売り、そして森から流れてくる甘い香り。これである。これがないと旅行した気にならない。考えてみれば、カタールはなんちゅうつまらん国だったのであろうか。クリーンで管理され、アザーン以外は静かで、歴史もオリジナルな文化の厚みもなく、そしてクソ暑い。明らかに行き先が間違っていた様である。イスラム圏を旅行するならアラビア半島はイマイチかも知れない。ボスニアとか、アゼルバイジャンとか、或いはインドネシアでもいいが、昔から連綿と人が住んで、歴史を紡いできた地域に限る。行った事はまだ無いが、イランやシリアも面白そうだ。今回のトランジット一泊二日も、長い歴史を誇るイエメンあたりにしとくべきだったか。
 Adabrakaとかいうサザンの歌みたいな名前の地域の、CROWN PRINCE HOTELというご大層な名前の安宿に泊まる。ここまで来てプリンスホテルグループだったらどうしようかと思ったが、杞憂だったようだ。シングル8$の部屋はLonely Planetだったら、Very Basicとか表現しそうな出来映えだったので、スイート21$の部屋にした。ちゃんとエアコンも付いている。Lonely planetなら、fairly furnished pleasant room with A/C みたいに表現するだろう。欲を言えば、もう少し日当たりがいいと、からっとしていていいのだが、これは今は雨季の終わりだし、仕方ないかもしれない。しかし、1年の余も旅行していないとバックパッカー力が落ちている。ホットシャワーを確認し忘れた。ま、暑い国だし大した問題ではないのだが、途上国の泡切れの悪い石鹸を使っていると、長く体をシャワーに当てたいので、ぬるくても温水がいいのは間違いない。
 宿にセトルし終えると、今度はネットカフェ探しである。カタールを出際にオフザネットの状況で、待っていた仕事のファイルを送りましたとの電話が入り、仕方がないので携帯メールでテキストで送ってもらって、返事は携帯から返しているのだが、一応ファイルの現物を見ておきたいので、ネット接続環境を探さなければならんのである。休暇なのに我ながらご苦労な事だが、どちらにしろずっとオフザネットでは居られないので、遅かれ早かれ必要になる。3,4年前は途上国のネットカフェというと、古いK6-IIクラスのデスクトップにWin98がDHCPで繋がっているという牧歌的な状況で、LANコードをぶち抜けばそのまま自分のLAPTOPが使えたのだが、ガーナの今日では軒並みOSはXPになって、PCも固定アドレスで、かつセキュリティソフトや使用時間をカウントするソフトが入って、そのままでは使えない状況だ。結局、4軒目でようやくLAPTOP持ち込み可の所を発見した。ここはネットカフェでなくてビジネスセンターである。家でブロードバンドなぞ望めない一般のガーナ人ビジネスマンが使う様な場所だ。少々お高めではあるが、快適な接続環境である。
 この日は、適切にメールのリプライを返して、市内を歩き回って、主なランドマークの大体の位置関係や物価を把握するので過ぎた。初めて来る町は、市内を歩いているだけでも楽しいものだ。西アフリカは東アフリカとずいぶん違う。西の方が音楽がいい。東アフリカはアラブ・ムスリムの影響を受けて、どことなく文化も抑制的・理知的な感じだが、西アフリカは極めて開放的である。店の名前、ディスプレイの仕方、そんな些細な所まで新鮮でブラブラと歩き回った。遅めの昼食兼夕食は、White BellというレストランでJollof riceというガーナ料理を食べた。"the West African paella"とかLonely planetは説明しているが、要は味付けピラフにメインディッシュを乗せたもんである。僕は、ここでは魚をメインディッシュに注文したのだが、出てきたのはディープフライした白身魚だった。海が近いので新鮮なのだろう。フライする時の下味が効いて、なかなか旨かった。南米ギアナにも、Cock-up riceという全く同じ料理があったが、奴隷貿易や移民の関係で繋がりがあるのだろうか。近隣のベナンはブードゥー発祥の地で、それがハイチやブラジルに広がった事を考えると、あながち間違った想像では無いかもしれない。
 すっかり暗くなっての帰り道、屋台で買い物をしていた女性に声を掛けられた。オリエンタルが極めてレアな当地では、フレンドリーなガーナ人からは7分に1度は声を掛けられるので、気にも止めずに適当な挨拶を返して、立ち去った。ガーナの夜は安全である。深夜になっても人通りは多いし、女性や子供の一人歩きも多い。僕は治安状況は短期間で激変するからガイドブックの記述は余り信じず、31歳になった自分の目と鼻で安全を判断するが、ガーナは殆ど日本と同じ感覚で歩けると思った。女性はジャラジャラと装飾具を身につけ、買い物をするときは、平気で札びらをポケットから出して払う。そんな所からも安全さが理解できる。夜に女性から話しかけられたことで、そんな事を考えながら歩いていると、次の信号待ちでその女性が追いついてきた。トーゴの首都ロメの出身で働きに来ているとのこと。トーゴは隣国だが公用語がフランス語なので、そもそも英語がフランス語なまりなのと、興奮してくると彼女の言葉は明らかにフランス語に戻ってしまうので、えらい聞き取りにくかったが、僕は1km以上を歩いて帰ろうとしていたので、この長い道すがらポツポツとお互いのベーシックな情報を交換してみた。名前はセレスティと言うらしい。なにやら芝大門あたりのホテルみたいな名前だが、綺麗な名前だねと適当な論評をしたら、笑っていた。黒人の年齢はよー判らんがたぶん20代後半といったところだろう。夜闇の中だから、顔かたちは判断が付かなかった。
 そのまま、ホテルはこの辺だから、ほなさいならと言ったら、独り寝は寂しいのとか言ってくる。おっとー、、実は逆ナンだったのですか、これは。僕もバックパッカーの端くれである。世界のあちこちで、プロフェッショナルのお姉様も素人のフリをしているプロフェッショナルの人も、色んなのを見てきて、これは見分けが付く自信は有る。しかし、今回は僕のプロフェッショナル・スカウターは反応ゼロである。素人の逆ナンである確率は2標準偏差位あると思われる。逆ナンを受けた経験がゼロとまではカマトトぶらないが、20分くらい話しただけでエッチしようとなんていう往年の大関琴風ばりの電車道は経験が無く、成り行きに戸惑っていると、腕を絡めて、しなをつくってくる。その黒人女性の腕のぞっとする様な冷たさに、はっと正気に戻って、すまんが俺は一人で寝たいと腕を振りほどいて、足早に立ち去った。我ながら、往年の関脇栃司ばりの俵伝いの綺麗なうっちゃりでは無かったかと思われる。
 話としては面白いのだが、あんまり行きずりの恋は趣味ではない。そもそもあり得ない上に、この地域だと頭の中にどうしてもHIVの3文字が点灯する。ガーナのふとかいま見せた夜の顔は旅人を戸惑わせた。ベットにごろりと横になると、自分の皮膚に残る冷たい女性の肌の記憶が、なんとなく死者からの性交の誘いだったかの様に思われ、落ち着かない気持ちのまま、時差の分だけ4時間長い一日の疲れと共に眠りに落ちた。