Day 5 /ナイジェリアの女

 今日はドキュメントワークの日である。飛行機が離陸する地であるコートジボアールはビザが必要な為、大使館に行って取得しないと僕は日本に帰れない。Lonely Planetには申請後交付まで48時間のインターバルが必要と書いてある。もう一つの目的地ブルキナファソが朝申請の夕方受取であり、今日は水曜日であるから、とにかくコートジボアール大使館に朝早く行って申請し、48時間後にあたる金曜日のなるべく早い時間に受け取って、その足でブルキナファソ大使館に行き、夕刻ブルキナファソもビザを受け取るというのが今回僕が臨むビザ・サーカスになる。土日は大使館業務は止まるから、このサーカスに失敗すると月曜日コンプリートになってしまう。そうしたらもう日程的に来週だけで2カ国周るのは苦しくなる。
 ビザというのは基本的に近くの国に行けば行くほど取りやすくなるのが普通である。日本で取ろうとすると旅行社発行のホテルと日程をフィックスしたバウチャーが必要とか、バックパッカーには致命的なことをヌカす国も、隣国で申請するとさっくり取れたりするのである。コートジボアールも隣国であるから、交渉すれば48時間より更に短くできるかもしれない。
 あと、めでたい事にパスポートの全ページを使い切ってしまった。このせいで、在日本ガーナ大使館では、ビザのシールを貼る場所がないと一悶着があって、結局ミャンマー税関が取り忘れた"Myanmar Customs"のタグをぷちっと取って、そこに貼ってもらったのだが、コートジボアールのビザが1ページ使ってしまうタイプだと同じ事が起こり得る。なので、商店で自分で適当に紙とカッターと糊を買って、ページを足しておいた。これでもダメなら"追記"の所はまだ空いている。
 コートジボアールの係員は眼鏡をかけた初老の女性で、小学校で一番厳しく細かい女教師というか、左よりのNGOの主宰者というか、そういった風情の容貌にいやな予感がした。大使館や入管は僕は選べる限り男性の係員の列に並ぶ様にしている。確率論として、その方が審査が緩いからである。僕のパスポートには、NATO空爆直後のユーゴ入国や、独立後1ヶ月の東ティモール、世界でアルメニアしか承認していない不法独立国家ナゴルノ=カラバフ、或いはこと米国にとってはアレルギー対象のイスラム諸国家など、つっこみ所満載のスタンプだらけなので、なるべく緩い係員を選ぶに越したことは無い。それでも、最近ことにパラノイア度合いを増している米国の入国審査では別室調査送りになることが多いのだが。それはともかく、イヤな予感通り、偉い高いテンションで、こんな紙には押せない、おまえの国の大使館に最初に行って、Officially admittedのスタンプを貰ってこい、と叫ばれる。
 さーて、ここから長い交渉が始まると、何から言って説得しようかと思った矢先に、ぴしゃっとカウンターの窓を閉められてしまった。問答無用という事である。せっかく話せば判ると思っていたのに、5.15事件の青年将校もかくやの対応だ。
 イメージとは裏腹に、ガーナ大使館の対応も総合すると、アフリカというのはドキュメントに厳しい世界なのかも知れない。ドキュメントに甘い世界というのはこの世に存在しないが、例えばイスラエルとか、ナゴルノ=カラバフとか、その国の入国スタンプがパスポートに押されていると、敵対諸国の旅行に困るような国では、ビザやスタンプをパスポートでは無くて、別の紙に押してくれるという程度の融通は利くのである。その他、on arrival VISAの発給ポリシーを少し負けてくれたり、滞在期限切れとか細かいドキュメント上のディスクレパンシー・・は外為用語だが、瑕疵をWaiveして貰ったのは枚挙にいとまがない。今回もクリエイティブな対応が考案されるかなと想像していたのだが、あっさり「flatly NO」である。こういうのはフラット化して欲しくない。
 あと、女性係員の対応もまた、典型的な国境絡みで登場する中ボスキャラの威圧的な態度である。そもそも国境で愉快な思いをすること自体が少ないのだが、この国境関係の係員のひどいヒューマンインターフェースは、アップルか何かにデザインさせて直感的でユーザーフレンドリーなものに変えたいものである。その中で、まれに礼儀正しく、融通が利くという国境係員に出会うのだが、これは非常に麗しい記憶として逐一思い出せる。こういう素晴らしい国境係員は、全世界的に絶滅危機に瀕しているのだから、レッドブックに記載してきちんと保護するべきであろう。ちなみに、ガーナ大使館の日本人受付の方は、空きページ不足を領事と交渉してくれたり、なかなかカンファタブルだった。
 さて、とぼとぼとコートジボアール大使館を出ると、日本大使館へと向かった。コートジボアール大使館はOSUという日本で言えば六本木の様なコンテンポラリーなナイトスポットにあるが、日本大使館はその隣町のNorth Ridgeという麻布みたいな閑静なお屋敷街にある。結構遠い。途中、Lonely Planetの地図が珍しいことに微妙に違っていた事もあって、結局4km位歩いた。なんとなく、コートジボアール大使館に手製の追加ページにスタンプを貰うのと、その手製の追加ページに日本人からCertificationを貰うのだと、後者の方が難しい感じがしたが、交渉するしか方法は無い。到着してみると、日本大使館はえらい立派な建物だった。海外の日本大使館は、トラブったりしない限り訪れることは無いと思うので、僕も数えるくらいしか行ったことは無いが、かつて見た中では最も立派な部類に入るだろう。堂々たるお屋敷で、かつ横に聳える同じくらいのサイズのお屋敷は大使公邸である。
 守衛のガーナ人に何しに来たのかを理解してもらうのに苦労したが、入った後に応対してくれた日本人女性はあっさり、「それなら増補という手続きが有って、一度だけページを追加できます。」とのこと。心配しなくても良かった様である。しかし、今日の今日では対応は無理で、受け取りは明日になる。この瞬間に僕のブルキナファソ行きはなくなった。この増補なる手続きをあらかじめ知っていたら、昨日の到着日に日本大使館に行けたのだが、過ぎたことは仕方がない。
 ぐったりしたので、少しだけネットをチェックして仕事した後、身軽になって観光するため、仕事関係のガジェットを宿に置きに帰った。シグマリオン3が455g、ACアダプタが100g、100-240Vのトランスが多分300g位、あとはLANカードだのコンセント変換コネクタだのを合わせたら1kg近くを背負っていた計算だ。これらを置いて、顔洗ってさっぱりして、日焼け止めを塗り直して再出発したら、同じ宿泊客の女性に呼び止められた。お決まりの自己紹介をした後、どこ行くの、と聞かれたので、フットボールスタジアムと独立広場とビーチとかを見て回ろうと思うと答えたら、一緒に行っていいかとのこと。特に断る理由もないので、旅は道連れという古い言葉に習うことにした。
 ステラ・プリンスウェルというナイジェリア人である。綺麗な名前だね、というコメントは昨日懲りていたので、名前の論評はやめておいた。パスポートには1974年の生まれと書いてあったが、これは役所のレジストレーションのミスで実際には29歳だと言っていた。フットボールスタジアムに行ったのは、今日が水曜日のため、サッカーをしていたら見ようかなと思った為である。しかし、スタジアムは2008 African Game(日本におけるアジア大会ですな)のホストをするためにリノベーション中で、その辺に居た人を何人も捕まえて今日はサッカーをしてないのかと聞いたが、皆目が泳ぐばかりであった。アクラではサッカーをずっとしないと言い出す人まで居る始末である。Ghana Football Associationのウェブサイトを見ても、スポーツ新聞らしきものを買っても、何の情報もない。仕方がないので、スタジアムを放れて、その正面のビーチに向かった。
 お、おるおる。ビーチサッカーに少年が戯れている。ブラジルでもビーチでさかんにサッカーをしていたのを見たが、こんな大リーグ養成ギプスみたいな環境でサッカーをしていたら、芝生の上なんぞ羽が生えた様にプレイできるであろう。子供の頃に木俣達彦だったかが、足腰を鍛えるために毎日ビーチランニングしていた、という話をプロ野球選手列伝みたいな本で読んで、そりゃ大変だと思ったものだが、ガーナ人は平気の兵座で毎日ビーチトレーニングである。ボールを体から離さず、足に吸い付くような彼らのドリブルは、こんな環境から生まれてきているのかも知れない。少年のプレイであるし、技術自体は大したことは無いが、時折見せる鮮やかな跳躍力などはアフリカ人の片鱗を見せていた。
 その後はtruely chaoticで、かつて見た市場でも印象的な部類に入るMakola Marketを見た後、夕食をという話になり、ステラの希望で、ステラおばさんのクッキーならぬ中華料理を食べに行った。コートジボアール大使館の近くに、3つの中華料理屋が軒を連ねていて、行ったのはその内の一つ、TIPTOP Chinese Restaurantである。雰囲気も良く、ガーナにおけるアップスケール・セグメントのレストランだと思われる。料理の方は、日本風に言うと海老の甘酢炒めに五目中華そばを注文したのだが、カタールの悪夢と違ってすこぶる旨かった。Lonely Planetは隣のREGALという所を薦めていたが、こちらのTIPTOPもお勧めである。メゾン・ド・ウメモト上海や、福臨門と比べるもんでは無いが、地方中核都市の町一番の中華とならいい勝負、という感じだ。飲み物はよー判らんローカルビアを注文したが、これはイマイチ。ラガーだが、少し酵母臭い上に、薄めだ。エールはコクが命だが、暑い国のラガーは切れ味が重要だ。
 すっかり酔っぱらって宿に戻ると、着替えてお洒落して踊りに行きましょうとかステラは言い出す。それも面白いかも知れない。natural born dancerのアフリカ人にまじって、日本人のダンスがどの程度バリューがあるかは判らないが。ちなみに、4年ほど前に中野坂上で西アフリカダンスをしばらく習っていたことが有るが、身のこなしがしなやか過ぎて、何度インストラクターのお手本を見ても、どうしたらその動きが出来るのかが判らないような代物だった。ま、下手な踊りを笑われるのも一興だろう。
 クラブは日付が変わる頃から盛り上がるから、しばらく部屋でお話をしましょうと言われたので、女一人旅なのに大胆なと思ったが、僕が気にするものでも無いので、OKした。部屋では色々な話をした。ナイジェリアではヘアスタイリストとアクセサリーの販売をしていること。お店は自分のもので、女手一つで切り盛りしていること。ビジネスは面白いので、これからも続けていきたいが、ナイジェリアの男は、余りWorking wifeを好まないこと。アクセサリーの仕入れにドバイに何回か言ったが、ムスリムの女性の扱いは納得がいかないこと。結構streetwiseな女性だな思った。ナイジェリアも石油は出るが決して豊かな国ではない。なのに、富裕な家庭に生まれるとか、そういった生まれの恩恵を得ることなく、ドバイみたいな物価の高い国を何回も訪れるのは、並の才覚では出来ない事だろう。
 ひとしきり話をした後、やおらステラは僕の顔をまじまじと見つめてきた。どうしたのと笑うと、"You are in my room, How do I serve you?"と聞いてきた。アバンチュールがどうとかとも言っている。えー昨日に引き続いてそちら方面のお誘いでしたか。しかも路上では無く部屋でサシという、昨日よりかなりシリアスな状況である。咄嗟に、"ごめん、今日はあの日なの"と即答している自分に気が付いたが、これは日本語でかつ女性が使うべき言葉である。混乱して、Today is that day!とか訳の分からない直訳を叫びそうになるが、こんなの口走っても、精神病院につれて行かれるだけであろう。何とか、この過去何度も煮え湯を飲まされた(?)万能センテンスに匹敵する言葉を男性側で探さねばならない。日本人男性の名誉を保ちつつ、対面逐次撤退を可能にするパワフルな言葉をである。かつてない程、僕の梅干し大の脳味噌は高速回転し、珍しくgoogleもかくやという検索クエリーを吐き出したが、結局「酒飲んで使いものにならんのだ!」とか叫んだ気がする。格好悪ぃ!
 局地的に、日本人男性の株はブラックマンデーの様な暴落っぷりを示したが、とにかくステラは僕がその気では無いのは理解した様である。僕は、これ以上の敵地駐留は人命損失の拡大をもたらすだけと判断して、日付が変わるまでの1時間強、残った仕事を片付けたいという理由で撤退することにした。なんか悶々とした表情をするので、あわよくば絞め落として大人しくできるかときつく2秒間の瞬間ハグをして、さっさと逃げ出した。柔道をやっていると、組み手をした瞬間に敵わない事が判る相手がいる。1.27kgのThinkpadを入れたカバンを重いとかブーたれている日本人と、女手一つで何でもこなしているナイジェリア人では、ガタイの出来が違う。2秒間の瞬間ハグの理由は、余計な期待を増幅させないことが一つだが、ハグした瞬間に絞め落とされるのはこっちだと理解したからである。
 さて、這々の体で自分の部屋に帰ったが、こうなった以上ダンスは行かないのが賢明であろう。これ以上の期待を持たせるのは相手に失礼だし、最悪の場合、ダンスでステラがトランス状態になり、押し倒されたら華奢な僕では抵抗できない。
 部屋の中で、次どう誘いをかわすかの入念なシナリオシミュレーションを繰り返す1時間を過ごすと、その1時間をすべてドレスアップに使ったと思われるステラがやってきた。上下露出度を極限まで上げて、胸なんぞ半分以上出ている。黒人用のファンデってのもきっと有るのだろうが、厚塗り上等!なお顔である。その心意気は良しとするが、こちらに取ってはこの気合いはリスクが高い。格付シングルCのスーパージャンクボンドに手を出すようなもんである。きじも鳴かずば、と言うが、この状況でその気がないのに踊りに行くのは、準備万端の狩人を前にしてきじがぴーひゃらぴーひゃらと踊るポンポコリンを熱唱するのに値する愚行であろう。
 結局僕は、お酒のせいで悪酔いして頭痛がひどくなってきたと話して断り、あなたは楽しんできたらいいと伝えた。そしたら、「あなたを置いて遊びに行く悪い私を許してくれるの?」とのこと。ハグしただけですっかり彼女気取りである。その三文ソープオペラめいた台詞に、笑い上戸で皮肉屋の僕は吹き出すのを必死でこらえたが、彼女は全身全霊で今ゲームしていると見える。世界的に見たら、日本人のクネクネとした、「また今度」が断り文句という様なウラのウラを読むコミュニケーションの方が異常で、こういう直裁的な気持ちの表現が普通なのかも知れないが。僕は、彼女の質問に対して、勿論さ、とか何とかと言いながら、彼女を通りまで見送って、タクシーに押し込んだ。一件落着である。
 大変な交渉を成功裏に導いたと心持ち胸を張って宿に戻ると、宿の主人が文字通り頭を抱えている。なんで頭を抱えているんだと言ったら、「おまえ、なんで彼女を行かせたんだ」とのこと。ああ、僕の恋路を心配して、頭を抱えてくれてたのね、君は。僕は、こういうお節介なアフリカ人が好きである。たぶん、この宿では「詰めが甘い間抜けな日本人」は暫く伝説になるに違いない。
 さて、昨日本日と続いた件、当たり前ながら僕の魅力度が急激に増したという将来を明るく展望できる状況ではなくて、やはり性に対する文化の違いが原因だろう。別に黒人女性だからイヤという事でもなく、相手は旅行先のアバンチュールという積もりだろうが、僕はいまいち乗り気になれなかった。日本人、というか僕の性に対する価値観がまだまだ保守的すぎるのかも知れないが、一目見て恋に落ちるレベルの衝撃がなければ、相手が誰であっても、それは同じな気がする。あと、こう言ってはミもフタもナベも無いが、こういう開放的な性の文化がある所に、HIVウィルスが出現すれば、そりゃあっと言う間に蔓延するだろうし、取れる対策は唯一ゴムをバラまく事だけだろう。
 二晩続いてのハプニング、どこか自分の態度、物腰、行動に瑕疵が有ったのかと、深い自省とともに寝た。