Day 7 /内陸へ。

 朝起きて、朝食の場所を探しにブラブラしていると、洗濯をしているステラに会った。一緒に朝食を食べていいかと聞かれたので、僕は朝食を食べながら殆どの時間ラップトップに向かってタイプしているから、一緒に来てもつまらないよ、と言ってやんわりと断った。ホテルの周りを見て回るが、適当なところが無いので、結局ホテルで食べる。パンとオムレツと紅茶。1$少しの朝食だ。お茶の飲み方というのはパスタ以上に地域によってダイバーシティのある事柄だが、ガーナではティーバックにたっぷりのお湯、濃いミルク、砂糖とセパレートで出てくる。ミルクをたっぷり使うのがガーナ式である。インドや或いはアゼルバイジャンの様に、コンデンスミルクを使うほどでは無いが、普通のミルクと比べると、ずいぶんと濃い、濃縮した様な茶色がかったミルクだ。僕はお腹を気にしたのと、日本でも紅茶はストレートティしか飲まないので、て結局使わず、お味の方は判らない。
 14時というコートジボアール大使館への出頭時間まではまだ間がある。さてどうするか、と考えて、僕は昨日野口研究室への道すがらタクシーで一緒になったAdeyというビジネスマンがいつでも電話していいと言っていたので、本当に電話してみることにした。
「ハロー、昨日タクシーで一緒になった日本人ですが」
「オーマイゴッド!」
みたいな会話から始まり、ランチを一緒に食べることになった。地理に不案内な僕が訪ねるより、彼がホテルに来る方が確実なので、ホテル待ち合わせとする。2,30分して現れたAdeyはもう一人ビジネスマンを伴っていた。丁度友人の彼と話していた所に僕が電話をしたので、折角と言うことで一緒に来たらしい。名前はBenである。二人のビジネスマンはしばし相談した後、Mr.Bigというレストランに僕を連れていった。ストリート・ガーナ料理とハンバーガーの両方を扱うファストフードのお店である。安くてガーナ人的に外国人に対して格好が付くところ、という事なのだろう。日本人がなんとなく学生とリクルーターで会う時とか、あんまり見栄を張るような相手じゃない時にファミレスに行ったりするのと似ていて、面白かった。僕が呼び出したので、という事でここは僕のおごりという事にした。
 AdeyはAdey Constructionという建設会社のような名前だが実体は建設資材の輸入商社の創業社長であり、Benは印刷会社の社員である。Adeyのビジネスはブラインドとかアルミサッシ、或いは壁紙とかにフォーカスしているとのこと。更に深く聞いてみると、彼が扱っているものは殆どガーナは輸入に頼っているらしい。輸入代替工業化という言葉が頭に浮かんだが、こういう基礎的な軽工業需要をも国内産業で満たせないのは、ガーナの工業レベルは相当低いのだろう。途上国が国造りをしようとすると、まずは外貨を獲得する特産品が来て、次に輸入障壁を設けて、国内で作れそうな軽工業については輸入を代替する形で産業化を図るのがセオリーである。ガーナが割と牧歌的な政策を工業分野で取れているのは、カカオなどで十分な外貨が稼げていたからかも知れない。壁紙はナイジェリアから輸入していると言っていた。ただ、ナイジェリアの工場から直接買っているわけではなく、ナイジェリアの卸からの又買いだという。ナイジェリアは人口が1.2億を超えるアフリカ随一の大国である。この巨大な内需がナイジェリアの国内産業を振興し、また中国とか東南アジアの産品を引き寄せるのだろう。こうしてナイジェリアの卸は国内需要を背景に扱いを増やし、そこから隣国がまた自国用に物を買っていく。西アフリカの物の流れは大枠こんな感じなのだろう。
 ひとしきりお互いのビジネスの話をした後、日本とガーナでなんかビジネスが出来ないかという話になった。もちろん、日本の高品質の建設資材をガーナに輸出するというのは有り得て、彼もそれをしたいと言っていたが、少々ガーナの現状に日本製はオーバークオリティの感がある。その他にはチキンを日本に輸出したり、日本の中古車をガーナに輸出したりというのが、基本的なアービトラージ・プレイが出来る条件を揃えており、有望だという結論に達した。もし、半年後に僕がガーナ専門の輸出商社を作っていたら、たぶんビジネスパートナーはAdeyだろう。
 1時間少し話すと、お互いタイムアップになり、再会を約束して別れた。次は是非自分の家に泊まれとのこと。うむ。こういう好意には極めて遠慮しない主義なので、2日前に彼にあっていたら、ホテルなんぞ引き払って、居候を決め込んだのだが、残念だ。コートジボアール大使館へのタクシー代は彼が出してくれた。食事をこちらがもったからだろう。食事が大体5$、タクシーが2$である。国の豊かさの違いと費用の負担感、お互いのメンツと色々な観点でなかなかスマートなやり方のように思われた。
 コートジボアール大使館では今度こそ何も起こらず、簡単にビザのスタンプがおされたパスポートを貰い、そこから宿に戻ると、コートジボアール人がチェックアウトする所だった。色々と話を聞いてみたが、とりあえずガーナ国境から海岸沿いを通ってアビジャンに行くルートは安全らしい。アビジャンでは、Marcoryという地域が他と比べてディスティンクティブに安全とのこと。これで、ドキュメントも情報も十分である。コートジボアールが少し前まで内戦をしていて、まだ停戦の段階で本格的な和平には程遠い状況であることを、ガーナinコートジボアールoutのチケットを発券してから知った。退避勧告ではないが、渡航延期勧告は出ている。キャンセルすべきか相当迷ったが、今までの旅行の肌感覚としては、犯罪が多いのはどうにもならないが、戦争・内戦系は停戦さえしていたら安全に旅行できることが多い。NATO空爆直後のベオグラード、内戦終了直後のサラエボ、停戦合意後のナゴルノ=カラバフ、そんな地域を近隣地域から目で見て安全を判断し、旅行を続けた経験則である。その経験則を信じてチケットはキャンセルしなかった。ガーナに着いて、本当にやばそうな状況であれば、アビジャンを出る日の午前中に近隣諸国からアビジャンに飛んで、そのまま空港を出ずに出国というのを最終手段として持っていたのも、その意志決定を後押しした。その為に、OAGという世界的なエアラインの協会が出している航空時刻表を買い求めて、どこの都市からならアビジャンを発つ便の直前にアビジャンに入れるかを調べてもいる。
 一通りヒアリングを終えると、僕はKumasiという中部の町を次の目的地と定め、23人乗りのメルツェデスのワゴンに乗り込んだ。珍しくエアコンが効いた新しいワゴンである。ただ、こういうのがまったく有り難くないのが途上国の常で、窓を開けて走れば丁度いいくらいの30-33度の気温なのに、レアな冷房を嬉しがって(?)、強烈に冷房を効かすものだから乗客はうち震える事になる。僕もとてもTシャツ一枚では耐えきれず、ナイキのゴアテックス入りのウィンドブレーカーをかぶる羽目になった。それでも寒かったから、暑い国の旅行ゆえ普通はろくに防寒着を持っていない旅行者はどうするのだろう。
 Lonely Planetにはアクラ−クマシは4時間とあったが、6時間近くかかって、ようやく着いた。流石に23人をぎゅうと押し込んだバンピーなワゴンに6時間乗るとヘトヘトである。バスターミナルに降りるとワラワラと寄ってきたタクシーと交渉する気力もなく、言い値の25,000Cedis(350円位)で、かつホテルも決めてなかったので、目に付いたバンガロースタイルのリゾートホテルの名前を行き先として伝えてしまった。Catering Rest Houseという名前である。バンガローに山海の珍味でも届けてくれそうな名前だが、市内でもっとも高い部類に入るホテルである。実際到着してみると、ダウンタウンから少しだけ外れた閑静な丘の上にあって、なかなか雰囲気がいい。レセプションに行くと、大々的にプライスリストが置かれている。with FANの部屋が260,000Cedis、with air-conが450,000Cedisだ。バックパッカーなら選択の余地無く安い方にすべきだが、とにかくぐったりと疲れていたのと、エアコンとファン以外の違いは部屋にあるのかと聞いたら、とにかくビッグディファレンスだと言われたのとで、考える気力も部屋見てチェックする気力もなくエアコン付きの部屋を選んでしまった。約50$、6,000円である。日本と変わらない。
 折角の素敵な部屋なのに、そのままベッドに倒れ伏して、シャワーも浴びずに寝てしまった。