自分のかけら

 半年くらい前、学生時代より11年ぶりに歯医者に行ったら9本虫歯が見つかり、半年間ほぼ毎週行っているのに、まだ左半分がようやく治療が終わって、2本ほど抜髄された所である。ここんとこの焦点は親知らずの措置で、抜髄してかぶせものしてとお金かけるならいっそ抜いたら、という事でエクストリームな体験を強いられている。ちなみに、僕の親知らずは上2本しかなく、レントゲン撮っても下は歯根の影も無い。歯医者は「ニュータイプですね」と笑っていた。そうか、知らなかったが、モビルスーツにも乗れる才能が僕にあるのかもしれない。
 しかし、歯を引っこ抜かれるというのは、比較的精神的な衝撃が少ないと言われる上の歯でも、人生最悪の体験の一つである。蜀の関羽雲長は肘の手術を食事をしながら笑って受けたそうだが、そんなのは絶対無理である。麻酔をされているとはいえ、ギリギリと骨に響く振動に貧血寸前だ。麻酔の無い時代の苦痛はいかばかりだろうか。ちなみに、順番としては最初に左の親知らずを抜いて、次に右の親知らずだったのだが、左の方は抜いてみると根が5つに分かれていた。普通は歯の根は2つ、多くて3つ、かなり珍しくて4つということで、5つは学会ものらしい。僕は「珍しい症例なので学会に出させてください」と医者に写真を撮られたことが過去2度ほど有るが、親知らずもその累に漏れなかったということである。個性は大切にしているが、体ばっかりは普通でありたいものである。
 さて今週は、左がほぼ治癒したので、右を抜く順番である。右はレントゲンで見る限り根は2つだったので、今回は前よりもラクに抜けるかと思いきや前と同じほど時間がかかった。感覚は無いが骨に響く振動は恐ろしい。結構な時間ギリギリとやって、コロンと金属製の皿に転がった歯は、やっぱり5つの根を持っていたのである。
 こんなにがっちり根を張っていたのにあっさり抜かれた無念さが漂う自分のかけらを思い出しつつ、血の味が微かにするコーヒーを飲んでいると、何となく自分の存在意義を少しだけ否定された気分になった。