失われた選択肢

 子供の頃というか、青年の年になる位までは、若い時を無頼に暮らす人生に憧れていた。それには、特に根拠とかが有る訳ではなく、きっかけは、単にマスターキートンを読んで、S.A.S.は国籍的にムリだけど、フランス外人部隊なら入れるかも、と思った程度の話だったかもしれない。その頃は、いつか自分が何かを著述する職業に最終的に就く気がしていた。物を書くにも色々スタイルがある。当時自分が自然にイメージしていたのは、本当に経験した人並み外れて面白いことを、そのまま尋常ならざる話に仕立てることだった。日本なら沢木耕太郎景山民夫、海外ならジャック=ロンドンが近いだろうか。だから、ジャック=ロンドンみたいな若い時代を過ごしてみたかったのは間違いない。
 大人になったら何になる?と聞かれて、大蔵官僚になりたい、なんて子供らしからぬ大口を叩いていた時代もあったが、僕の考える将来の僕を職業の問題ではなく、人物像の問題として考えると、それは古傷の一つ一つに尋常ならざる冒険譚を語れることだった。正業には就いているが、その前に放浪の時間を過ごし、飲む打つ買う踊る、全てをこなしている様な人物である。苦みばしった大人の背中に、ウラの世界が垣間見える、そんな人生が豊かだと思っていたのだろう。
 しかし、最も自由な時間である学生生活は、結局ちょこちょこと雀荘に行き、さらっとシベリア鉄道に乗った程度で過ぎ去ってしまい、そこからは平凡な銀行員の生活が始まることになった。僕の人生には、前の転職時に2ヶ月の休暇を取った以外には、浪人も留年も、留学も無く、キチキチと余裕という名の隙間の無い、詰まった時間を過ごしている。そして気が付けば既に若いと胸を張れる年齢は終わりに近付きつつあり、大した古傷もないまま、日に日に傷を負うことの代償が重い時代へ突入している。
 別に自分の選択が間違っていたとも、今の自分に不満足とも思わない。仕事にはいつもエキサイトしているし、オフになれば趣味も友人も多く、時間を持て余す事も無い。テレビというのは典型的に暇つぶしの娯楽だから、テレビが嫌いじゃないのにそれに使う時間が殆ど無いという事は、テレビ以上に楽しい時間を過ごしているという事だろう。ただ、こんな透明感のある文章を読むと、失われた選択肢のことがふと気にかかる。

○USJの思い出