苦肉の計

 本日月曜日の日経の、「経営の視点」というコラムに、下原口徹さんという編集委員が、アクティビストファンドについて書いていた。内容は、三国志演義の「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という故事から、死せる村上ファンドが生ける松坂屋を大丸との統合に走らせたとし、これまでの危機意識の欠如と、ファンドが登場していきなり再編が始まる不可思議さを問うている。
 この記事は、ちなみにと同じく三国志演義の苦肉の計に言及し、これが企業防衛という苦肉の計では困るということで結ばれているのだが、最後が少し元中国古典オタクの目にとまった。苦肉の計というのは、現代では「苦しまぎれに考えだした手段」という意味に使われていて、この記事も素直に読めば、その意味で使われている。しかし、三国志演義に苦肉の計という故事があると言及するのならば、この使い方は間違いだ。三国志では、赤壁の戦いという中盤のクライマックスがある。劣勢な呉の老将黄蓋は、自ら棒たたきの刑に処されることで、投降を魏の曹操に信じさせる。そして黄蓋は投降を偽って曹操陣営に近付き、火を放って形勢逆転に持ち込むのだが、これが苦肉の計の語源なのである。つまり、三国志演義では「自分の身を苦しめてまでも敵をあざむくはかりごと」の意味で使われており、大辞林でも最初にこの意味が来ている。という訳で、三国志ではとプリフィクスを付けるならば、松坂屋は自分の身を棒たたきの刑に処している感じはまったくしないので、用法が誤りなのである。
 これは中途半端に知識を披瀝すると恥かきますよという程度の、記事の内容的には揚げ足取りに近い話であり、僕もマニアの生理現象として思わず指摘してみたというだけなので、実は別に本題がある。この文章中で、三国志のくだりもうっと気になったのだが、それよりも更に気になったのは、文中の「本来の目的である統合効果について疑問視する声もある」という部分である。そういう声が無いとまでは僕も横から勝手に断言できないので、誰かはそう言っているのだろうが、これについての見識を筆者に聞いてみたい。
 そもそも小売は、他のサービス業とかと比べて規模の経済が効きやすい業態である。ゆえに、全世界的に再編統合が進んでいる。ウォルマートの例をあげるまでもなく、大規模小売が成功するファクターの最も重要なものは規模を背景にしたバイイングパワーの拡大と言って間違いは無いだろう。日本の百貨店は買いきりでなくて、場所貸し業がその本質ゆえ、GMSほどには規模の経済はダイレクトに効かないだろうが、有力アパレルメーカーとの値入れ率の交渉にしても、自主企画売り場の収益性についても、明らかに規模の増大が収益に効きそうなレバーが百貨店には沢山ある。
 この編集委員の方が是としている統合効果を疑問視する声というのは、果たして何をもって疑問を正当化しているのか不明だが、経営戦略を普通に考えれば業態的には効果は有りそうというのが妥当な出発点の様に思われる。そこを効果無しとした根拠は是非知りたい。もしかすると、業態的な判断は共通していて、後工程である実効性の話なのかもしれないが、それを言い出すと、どんなM&Aでも同じことが言えてしまうから、ちょいと切り口としては平板だ。
 あらさがしみたいなエントリになってしまったが、記事のロジックがすっと頭に入って来なかったので、これは自分のアタマの構造がひねくれているせいかとふと疑ってしまった次第である。