無茶無茶な日々

 無茶無茶な日々が続いている。社会人になって以来の忙しさであり、プレッシャーの中でこの4ヶ月位働いている。平日は深夜まで働こうとも、土日は一切仕事をしないポリシーの僕が、殆どの土日に何らかの仕事をしている。平日は平日で、深夜までというか、この4ヶ月いつも帰るときに朝になっている。清清しい顔で出勤してくるマーケット関係と思しき人々の急流に、後は死と産卵のみを求めて遡上する鮭の如く逆らって帰途に着く。その時の僕の顔は、きっと鮭よりも必死だろう。冬に始まり、スノボ明けの疲れた体で仕事をしていたこのプロジェクトだが、今はオフィスから外に出れば大抵五月晴れである。強い日光に違和感を感じながら、帰って僅かな眠りにつく。
 週に合計したら20時間しか寝てない日々が6週間も8週間も続くと、ちゃんと食べていれば体は参らないのだが、ハートが折れ気味になるのに初めて気がついた。毎朝、アメリカ人みたいに、"I'm gonna make it!"と自己暗示しないと、最近はちょっと気持ち良く働けない。気力に加えて、記憶力にも自信があったのだが、こちらも限界があった。ものの3日で200MBのオンラインメールボックスが一杯になる様な情報の洪水に、1週間前の仕事が思い出せないのである。僕は、大体頭の中で仕事の枠組みを作って、進める性質なので、こういう風に記憶がオーバーフローしている時は極めて危ない。「忘れてた!」という大きな落とし穴を避ける為に、ここんとこは頻繁に進捗管理表を自分で作ってみたりする。
 チームメンバーも同様に限界状態だが、その一人が余りに働いているので、奥さんから「あなたお金が欲しいなら、私が働くわ」と言われていた。普通の人から見たら、それだけ働く理由はお金以外考えられないのだろう。しかし、大抵のメンバーにとって、お金の為というのは、働く理由の内の僅かな部分である。私生活を犠牲にしているのは、株式資本主義社会において、株式会社そのものを商品として売買する、この仕事のエキサイトメントゆえだ。だから、極端な状態でも自分をモチベートできるのだと僕は思う。
 しかし大きなM&Aディールというのは、常に大変な労力が伴うのだが、今ずっとやっている案件ほど、ひどい時には毎日、最近でも2-3日に一度は、ディールがご破算になりそうな問題が浮上したり、今日片付けないと日程的にアウトになったりするタスクが出たりするのは珍しい。一つ一つのタスクに細心の注意と最高の速度が要求される。それを達成するのは物理的に不可能だから、後からフォローに追われて問題は複雑化していく。加えて、この案件は交渉言語に英語が多い。僕は訪れた国の数こそ50ヶ国になんなんとするのだが、基本は柿田川湧水よりも純なる純ジャパゆえ、仕事でまともに英語を使ったのは今回が初めてである。もう若くは無いので、座ってニコニコしているだけでは許されず、自分がミーティングを英語で仕切って、交渉で押し通さなくてはいけない局面も多い。しかも、交渉相手が英語での議論に長けた英国人弁護士だったりするので、語学力では一方的に押されてしまう。しょうがないから感情と脅迫で押し返して、なんとかやっているという感じである。交渉の技術的には最悪である。
 こんな状態が長く続くと、いかに好きな仕事でも心が擦り切れてくるものだが、幸いな事に日本には四季の変化というものがある。6月1日、衣替えを済ませると、自然と気分が改まり、もうあと1-2ヶ月であろう苦闘の日々に臨む心持ちが蘇ったのを感じた。