代官山に移って

 下町の麻布十番から山の手の代官山に移って2ヶ月が経つ。大きな東京の中では些細な移動だ。それ自身に大きな意味はない。今日出会った野良猫がぶち猫なのか、トラ猫なのか、その程度の話だ。
 麻布十番は大人にとってエキサイティングな街だった。夜は遅いが朝も遅い。街で一番のパン屋は昼飯時からという、ふざけた開店時間であった。オフィス街に近く、家はビルの森の中にある。だから、遊ぶ場所は沢山ある。ヒルズも六本木も近い。その一方で、老舗や旨い店が山ほどあった。ミシュランで星が付いた店すら、全て行き尽くしていない。
 一方の代官山はぐっと若い街である。道行く人は、このシーズンの流行の中の微細な差異で毎日勝負しても疲れない世代が多い。旨い店というよりは、カフェの多い街である。恵比寿に降りれば居酒屋ばかりだ。学生の頃は、代官山というと大人すぎて近寄り難いイメージだったが、今の僕は既に学生の頃に思った大人の年齢を既に超えていることに気付く。
 ばりばり働くとか、結婚するとか、それでも会社辞めて留学するとか、そういった学生時代に想像した大人時代はおおむね20代の話であって、その先にある中間管理職になって人間関係で頭が薄くなるとか、子供が出来て育児に追われるとか、借金して家買って庭いじりするとか、そういう世界は考えていなかった様な気がする。大人の先にあったものは世知辛い現実だけなのか、と想像する。
 麻布十番は大通りに面した所に住んでいたこともあり、住居と遊びと仕事が地理的に連続していた。何となく日常が目まぐるしかったのはそのせいだろうか。Sex And The Cityを見ると、そのリズム感にふと前の住居を思い出す。代官山は意外に住宅地である。朝起きると住宅地を抜けて駅に行く。住居の周りには人々の生活があり、その遙か先に仕事がある。遊びは、住居とも仕事とも離れた場所になる。仕事と家と遊びが地理的に分かれているのは、不便ではあるが、気分的には逆に落ち着くことに気付く。
 良い季節である。朝、去りゆく夏の日差しを浴びながら、住宅地を抜けて遠くの仕事場に向かうのは気分がいい。男ってのは、太古より静謐な穴ぐらに住んで、遠くの森に狩りに出かける性なのである。