政府紙幣=ヘリコプター・マネー

 政府紙幣という言葉が市民権を得つつある。要は、日銀では無く、政府が発行する紙幣で、日銀券との交換を保証するものである。なぜ日銀券を直接発行しないのかと言えば、日銀は自らの負債たる円を刷ろうとすれば、その分資産サイドに国債を積むことになるが、「国債の市中消化の原則」がある限り、日銀券の増発は即政府収入とはならないからである。日銀券を刷り、市中の国債を買い集めて資金供給をしても、再び流動性の罠にはまってしまうということだ。
 僕にとっては、政府紙幣というよりは、ヘリコプターマネーポリシーと言い換えた方が馴染みがある。古くはフリードマン、最近ではスティグリッツも言っていたデフレ脱出の処方箋である。ヘリコプターからお金をバラまく様に、通貨を流通させないとデフレは克服できないという事である。
 ここ数年、すっかりデフレは脱却した気になっていたが、いま日本経済にとってデフレのリスクとインパクトは非常に高まっている。需要は悲惨な状況で、外需が急減速しているのは承知の通りである。内需についても、企業セクターは結局また過剰設備投資をやってしまって、ストック調整に入りつつあるし(これは円高による外需減とも相関している)、失業率が上昇しっぱなしなので、このままだと雇用者優位のまま、賃金は下方修正圧力に晒されて、個人消費も低調なままだろう。世界的に見ても、ダラダラとストック調整を続けざるを得ないし、中国・インドもかつての米国の様に、内需で世界経済を支える程輸入をしてくれない限りは、むしろ世界経済にとって低価格商品の輸出という形で、デフレ要因として働くだろう。
 要は、世界のどこにもインフレ要素が無いのである。世界が過剰債務に悩み、デレバレッジを進める時期に、実質債務を増加させるデフレに陥るのは、問題解決を遠ざける意味で極めて危険である。今は、勇気をふりしぼって、政府が借金してカネをばらまき、インフレを起こして、金融機関や米欧の個人セクターの実質債務を減らす時期なのである。
 日本は、そもそも低インフレ国だから、通常はインフレのある米国と比べると、常に通貨は切り上げ圧力を受けている。今回の円高は、過去の溜まった円高圧力が一気に噴出したものとも捉えることが出来る。円高は、外需の減少と輸入品価格の下落という形で日本にとってはデフレ要因である。日本が先陣を切って、政府紙幣をばらまいてインフレを起こせば、有効需要を創出することも出来るが、副作用としてインフレによる通貨の切り下げという形で、これ以上の急速な円高も阻止することが出来る。デフレや不良債権などストックに関する問題については、手を打つなら、非伝統的手段を厭わず、早ければ早く、大きければ大きい方が良いという事を、日本は既に学んだ筈である。その意味で、この時期において、更なるデフレ要素である増税を明記することに固執した政府と、まだゼロ金利にもしていない中央銀行は、双方ともズレすぎなのは明らかである。今すぐ、政府紙幣を刷って、カネをバラまくべきである。また、バラまいたカネが預金されると全く意味がないので、かつての「地域振興券」ではないが、使われる工夫と、ETFや不動産を日銀が買う様な更にアグレッシブな手段を併せて検討すべきであろう。
 なお、インフレで得をするのは、債務過剰セクターで、損をするのは貯蓄超過セクターである。デフレ圧力に晒された先進国がヘリコプターマネーを行うというのは、先進国の金融機関やアングロサクソン・ラテンあたりの個人セクター及び日本に代表される赤字の政府等の債務過剰セクターを救う為に、日独の個人やカネを溜め込んでいる中進国全般が損をするという話である。ただ、中進国については、外貨準備などの国外資産は全般に金利が上がって実質価値が下がり、外貨も切り下がって損をするものの、自国通貨資産は切り上がる筈である。自国資産よりも外貨資産の方が大きい国というのは考えにくいため、世界の中の相対価値という観点では、むしろ中進国はこの自国通貨の上昇効果で、幾ばくかマイナスを相殺できるかもしれない。そうすると、身銭切って世界を救うのに貢献大なのは、貯蓄大な日独の個人セクターということだ。デフレで政府や金融機関が破綻すれば、銀行のバランスシートを通じて個人セクターの資産に跳ね返ってくるから、やむを得ないのだが、釈然とはしない話である。
 最後に余談ながら、上に述べた中進国の通貨切り上げは、歴史的には西側先進国が世界経済の中心であった時代の終焉として認識されるのかもしれない。1983年には日本はまだ一人当たりGDPが1万ドルに満たない(9,987ドル)、一人当たりGDPランキングでも世界で10番台の「中進国」であった。しかし、プラザ合意後の円高によって、5年後の1988年には24,172ドルと実に約2.5倍の経済規模となり、ランキングも世界3位まで躍進している。「経済大国」という懐かしい言葉が流布していたのもこの頃だ。経済成長というのは、内在的な成長によってじわじわと起こるものではなく、自国通貨の価値上昇を伴って、「急激に」達成されるものなのである。