栗本薫死す

 しばらくインフレの事を考えていて、大分経ってしまったが、まだ考えはまとまっていない。
 そんな中、ふと旧知の人から携帯メールが来て、作家の栗本薫が昨日死んだことを知った。随分前から膵臓がんで闘病生活なのは知っていた。しかし、本人のサイトで4月下旬までは日記が読めた人が死んだことを受け入れるのには時間がかかる。夜になって、ようやく、もうグインサーガは終わらない物語になったのだな、とじわじわと実感がこみ上げて来た。
 もう、本屋に行っても、お目当ての本とレジの間にハヤカワのコーナーに立ち寄って、グインの新刊が出ていないか、確認する楽しみも無いし、またそもそもあの黄色い背文字の本の段を見る度に今の悲しい気持ちを思い出す気がする。
 グインサーガは126巻まで出ている超長編のファンタジィ小説だが、僕はこれを中学の時から読み始めて、未だに新刊が出ると買っているから、人生の半分以上読み続けたことになる。読み始めたのは、ハリー・ポッターによって、これほど日本にファンタジィがメジャーになってない時代の話だ。今はファンタジィから疎遠になったが、その頃はとてもこのジャンルが好きだった。エルリックサーガやファファード&グレイ・マウザー、ドラゴンランスとか、海外ものも読んでいたが、何よりはまったのは、栗本薫グインサーガである。キャラクターの個性が立っていて、価値観や性格はおろか、声色や息遣いまで実際の人物の様に感じられた。小説として好きなだけでなく、人生の中で誰にでもある、若い危うい時期を助けてくれた自分の一部でもある。
 ふと思い起こすと、10代中後半の、人格を形成する若くて変わる時期に好きだったクリエイターは、ジャンルを問わず、殆どが死ぬべき年齢に至らずして、この世を去ってしまった気がする。景山民夫中島らも中尊寺ゆつこナンシー関ねこぢる忌野清志郎栗本薫が去ってしまうと、残りは当時イボンヌ木村というペンネームだった中村うさぎ西原理恵子位で悲しい。自分自身が、人を送る年齢にそろそろ差し掛かってきたのだろうか。
 栗本薫については、ネットコミュニティは批判的なことが多い為、普段余り見ないのだが、思い立って深夜に掲示板の追悼スレッドを見たり、mixiでの栗本薫の旦那さんの日記へのコメントを見てみたりすると、多くの人がその早すぎる死を悼んで、思い出を語っていた。この夜、沢山の人がそれぞれPCの画面を見ながら、その気持ちを独白している。夜闇の中で、そのディスプレイの明かりは送り火の様にあちこちで煌々と輝いている。そんな絵がふと目に浮かんで、グインサーガの88巻「星の葬送」という巻を思い出した。その巻で死んだある登場人物を悼む人々の群れを、栗本薫は限りなく清澄なトーンで描いていたが、確かにそんな一群が、いま現実に居た気がしたのである。