勝間和代はミスプライスしていないか?

 昨日のしょーもないエントリの続きである。

○昨日のしょーもないエントリ→「こうして勝間も消費されていく。 」

 ここんとこ、勝間和代のテレビ露出が余りにも増えている。だから一発芸人並みの消費スピードと書いたのだが、一発芸人の露出度が高いのは、一つには芸がキャッチーだからというのはあるが、より世知辛い話としては、ぽっと出の芸人だけに出来上がった売れっ子と違って単価が安くて、ちょこちょこと使いやすい、というのも理由である。バリューとプライスはヤヌスの双面だから、合わせて結論付けると、一発芸で知名度がアップしているが、その割に同じ知名度の既存の芸人と比べて単価が安いので、更に露出度が高まるというサイクルで、典型的な「一発芸人」が誕生するのだ。そして、この露出度の高まりによって、急速にその芸風は消費され、消えていく。実力が有って次なるネタが続いたり、ひな壇芸人になってトークで食えたり、運良く他の出演者の才能で食える司会者とかに収まれば話は別だが、テツandトモ小梅太夫ダンディ坂野レイザーラモンHG、鼠先輩、ゆってぃと思い付いたところを並べても誰も継続した成功者が居ない。
 こう考えると、勝間和代のテレビ露出が余りにも多く、一方で香山リカの露出が控えめなのは、もともとのポリシーという考え方もあるが、もしかしたら設定単価が勝間和代は低くて声が掛かりやすく、香山リカは高くて、ネタ的には気軽に呼べないのかもしれない。ただ、香山リカは左翼的発言が多いから、資本主義の世の中ではもの凄くスポンサー受けしない人なので、そこは割り引いて考えないといけないが、香山リカとは離れて考えても、この露出度を考えると、勝間和代の単価が安いというのは有り得る話である。
 単価が安いとすると、勝間和代はどこで儲けたいと考えているかで、その合理性が判断できる。本業である本や講演会で儲けて、テレビはその宣伝と割り切るのか、テレビに主戦場を移すのか、或いはその二兎を追うのかである。テレビに主戦場を移すという選択肢は余りにリスクテイキングである。評論家だけでも食えるかもしれないが、普通はどこぞの大学教授に就任して、ジョブをセキュアして、評論家業をするのが一般的な手法である位だから、リターンが限られる割にリスクが大きい。また、バラエティにまで戦線を伸ばしてテレビで戦うのは、コアスキルからしても狂気の沙汰だ。なぜなら、勝間和代がバラエティに出ているのは、芸人よりも芸があるからでは無く、この真面目そうな人が笑いにチャレンジしてる面白さからであって、そのチャレンジが「またか」となった瞬間にこの芸は終わる。エドはるみの盛衰と同じパターンである。そして、もしテレビに主戦場を移すなら、消費のスピードの速さを考えれば、その対価としての設定単価は高く保つべきであろう。
 次にある可能性は、テレビは宣伝で他で刈り取る、プリンタ安く売ってトナーで儲ける方式である。これであれば、テレビ出演の設定単価が安くても理解できる。ただ、出演は本を買ってくれたり、講演会を聞きに来てくれるコアカスタマーにプラスになる形が望ましい。最近の熟女コスプレは、果たして彼女のサクセスに憧れるコアカスタマーにプラスだったのだろうか。おそらく逆効果だろう。なぜなら、コアカスタマー達は彼女がバラエティで成功することでなく、元来のバリキャリ系成功に憧れているからである。昼にテレビを見る主婦達にコアカスタマーを広げたいという狙いがあるのかもしれないが、そこは勝間和代でなくて、小林カツ代の世界である。これまで付いてきてくれた客以外に支持層を広げるのは難しいし、希薄化というリスクがある。であれば、その選択をする時は、それに応じたリスクプレミアムを単価に付するべきであろう。
 あと、そもそも本というメディアは、読者が自らお金を払うものである。一方のテレビは視聴者は直接にはお金を払わない。身銭を切って勝間和代の話を聞きたがったコアカスタマー達は、より安いメディアで勝間和代接触できるなら、もはや身銭を切らなくなるだろう。これは、一つのブランドダイリューションであり、作家とテレビの世界の有名人が余り両立していないのも、ここに原因がある。勝間和代の本は軒並み10万部オーバーらしいから、1,500円 × 10万部 × 印税10%として、一冊上梓すると1,500万円オーバーといった売上だが、テレビの出演料は一回数十万の下の方がいいとこだろうから、宣伝になればいいけど、逆宣伝になるなら、1回あたりのテレビの収入は小さすぎて見合わない。
 最後に二兎を追っている可能性だが、これはいいとこ取りの様に見えて、実際には何にも考えていないということの裏返しである。ググっても、勝間和代の所属事務所は探し当てられなかったが、きちんとしたマネジメント会社が付いていないのかもしれない。であれば、セルフマーケティングに自信があり、自分で色々考えている様に見えて、実は計画的成功を説く割に自分の事は行き当たりばったりな人という仮説も成り立つ。書いている内容からして、この仮説が正しい可能性は低いと思うけど、これだけテレビでの露出があると、ろくに単価も交渉せずに、ほいほい出てる可能性を捨てきれない。
 いずれの場合にしても勿体ない話で、テレビ出演料がミスプライスしている可能性は高いと考える。勝間和代の主戦場である書籍は、KindleiPadの登場によって、これから出版社の中抜きが起こる。中抜きが起きれば、現状10%がいいとこの印税率から、絶対単価は下がるけど、印税という意味ではamazoniTunesに落とす僅かなフィー以外は著者丸取りの世界になる。また、自分の書籍のトーンが、ネットの雰囲気と親和性が高く、自分でマーケティングが出来る彼女は、次なる時代の方がものを売るにはフィットしていることを、聡明なだけによく判っているであろう。書籍での刈り取り機会は、これからプロフィッタビリティが上がる状況なのである。よって、勝間和代の賢そうな経歴を考えれば、答えは二番目のテレビは宣伝と割り切っている、というのが最も有り得る回答だ。
 さて、そこで考えなければいけないのは、今コアカスタマーでない人は、何か理由があってコアカスタマーになっていないことである。勝間和代はリーチの問題と考えて、バラエティなどに露出をして、リーチを増やしているのかもしれないが、どちらかと言うと、そもそもその層は彼女の市場でなかった可能性は高い。僕もよく仕事で間違えるんだけど、ものの売り手が、マーケティングで顧客行動そのものを変えるという傲慢な前提をおくと、大抵失敗に終わる。なぜなら、顧客行動は、特に成熟していない商品においては、往々にしてマーケティングでなく、プロダクトの問題であるからである。
 僕はこう考えるけど、彼女のチョイスが実際正しかったのか、それは今後のナリチュウである。