プリンスホテルと時間の審判

 ドタバタしてたら年末になっていた。同じ様に人生末にならない様に気をつけたいもんである。年末は色々とパーティも多いのだけれど、この前赤坂プリンスに行った。3末でクローズして跡地利用は未定の赤プリである。僕らの世代だと余りプリンスに凄く思い入れが有る訳じゃないけど、少し上の世代だと赤プリとか苗場プリンスとかの話になるとアツく語る人が結構生息する。

 赤プリというのは、入ると白くて大きく、そして閑散とした何とも言えない微妙な空間が広がっている。今の世界の高級ホテルは、どいつもこいつも“ZEN Design”一色だけど、そういうシンプルモダンでも無く、かと言ってクラシックでも無い赤プリは、微妙としか言い様が無い。きっと、これがモダンであり高級だった時代がそのまま凍り付いているのだろう。赤プリのメインの宴会場は、グインサーガヲタには堪らない、クリスタル・パレスという名前なのだが、この名前のセンスなんかにも往時が凍り付いた感じが共通する。 そんな赤プリの中には、これまでの愛顧ありがとう、というモニュメントが出来ていた。それを見るとここは1955年に出来た様だ。高度成長の時代と赤プリの時代は丁度重なる事になる。そして、平成の時代、プリンスホテルは、高級でも廉価でも無い、本当に中途半端な存在になって、旗艦店である赤プリが閉じることになった。twitterにも書いたのだが、プリンスの時代はファミレスの時代と共に終わりを告げたのかもしれない。プリンスホテルとファミレスに共通するのは、昭和の時代に通用した、洋風でアッパーミドルというバリュープロポジションだ。子供の頃、プリンスホテルもファミレスも、日常生活より、ちょっといい所だった。それが今や、洋風なるものは寧ろ廉価日常のイメージとなり、本物の西洋と寧ろ和が高級かつ非日常なものになった。
 昭和という時代は文字通り、和が明らかだった時代であって、洋風が進歩であり新しさでありクラス感であった。従って、プリンスホテルやファミレスという商売が通用したのである。だが、時代が下るにつれ、生活そのものが洋式化し、結果として単なる洋風は日常生活と同等となった。そうすると、ファミレスで1300円払ってスパゲティ食べる人は居なくなり、イタリアの麺類による商売は、吉牛と同じ値段で勝負するか、本場イタリアで修行した人が出す長い舌噛みそうな名前のパスタで単価2000円取るか、どちらかに二極化する事になる。そう、我々は貧しくなったからプリンスホテルが成り立たなくなったのではなく、豊かになったからプリンスホテルは成り立たなくなったのである。

 翻って自分の商売を考えてみると、改めて難しさを実感する。企業買収に当たって、投資前にミクロの店舗効率とかを幾ら分析しても、こういう大きな絵は見えて来ない。かと言って大きな絵はフワフワした印象論になりがちで、何とでも言えてしまう事が多いし、それを前提として何十億何百億というお金を動かすのは難しい。往々にして売りに出てくる企業の多くは、同様にビジネスモデルが時間の審判を受けている最中という場合だったりするし、その企業の人にとっても何が悪くなっているのか、判らないケースがある。そんな中で部外者のファンドがどれだけ見切れるか。シニアな経験を要するけれども、世の普通の肌感覚を失う程年食っても出来ない商売って事だ。