糾える縄。繋がる点。
感謝している。あいふぉーんのフリック入力に。
携帯始めて二十年近く、僕はずっとポケベル入力だった。いつの間にか2タッチ入力とか言い換えられてしまったが、実際はポケベル入力だった。3Gの世でも指は90年代。UIは慣れだ。人の親指シフトを笑うな、という話だ。そして、ポケベルかよと突っ込まれた時、相手が男なら、こういう話をした。普通の入力だと、一文字あたり平均3タッチを要する。「あ」なら1を1回、「お」なら1を5回タッチするからである。だが、2タッチは必ず2タッチだ。従って、入力速度は2タッチの方が速い。速い方式を使うのは合理的だ。
世の中にはトヨタ式生産方式を理解しない者と、理解する者と、真に理解する者がいる。理解しない者なら、僕の主張に納得する。理解する者なら、普通の入力方式は平均3タッチではあるが、その間の親指の移動距離がゼロである為、2タッチであっても親指が移動する2タッチ入力と比べて、実はスループットが優位である可能性を主張するだろう。そして、真に理解する者であれば、タイポの時のリカバリーまで考える。普通の入力方式におけるタイポは、打ちすぎによって次の文字に変わってしまう形で主に発生する。トヨタ式生産方式の真の理解者は、その際、あ行であれば小文字の平仮名も含めて一周しないとリカバリーしない冗長さに気付き、ミスオペレーション時の復帰容易性も包摂した効率で2タッチ入力を理解するであろう。うざい。我ながらうざすぎる。
一方、ポケベルかよと突っ込む相手が女ならば伝統芸能で対応した。公衆電話で10円で打ち切った時の達成感は異常。そしてテレメッセージでは88がスペースだけど、ドコモで88はハートマークで、事務連絡がとんでも無いラブラブメッセになっていた件。イラン人と交渉して偽造テレカを手に入れ、10円タイムアタックにハラハラせずにメッセージ送る子がストリートヒーローみたいな扱いだったこと。いわゆる、あるある伝統芸能である。そして、この技は、賢者モードに入った時に、そういう女っ気のある青春時代を送ったよ的な、肥大化した自我をアピールをした事への自己嫌悪に陥るという副作用を伴う。まさに諸刃の剣。素人にはお勧めできない。
それで何が言いたいのだと。僕がガラケーを憎んでいたという話だ。世の中の携帯がガラケーである限り、僕はポケベル入力という呪縛から逃れられない。心ない人が突っ込む「お前ポケベルかよ」という言葉は、あたかも黒魔術の様であった。その言葉は、口から吐かれると、空中で裕木奈江の幻影に変わり、やおら国武万里のか細い詠唱が通奏低音の様に巻き起こって、僕にダメージを与えた。そのダメージを振り払う為に、僕はトヨタ式生産方式か、肥大化した自我アピールの魔法を唱え、そして更に自らを傷付けた。まさに90年代の呪縛である。その、ラルカスがバグナードにかけたギアスの魔法の如き、強力な呪縛を解き放ったのが、秘法フリック入力であった。数行だけ、90年代に敬意を表して、ロードス島戦記風にお送りしています。知らない人は、ハリー・ポッターだと思っとけばよろしい。
時は今から遡ること数年前、僕はiPhone 3Gを手に入れた。そして、このフリック入力というアイディアに溜め息をつき、すぐにポケベル入力より速く打てる様になった。並行して使っていたガラケーも、程なくしてAndroidスマホに変わり、こちらもフリック入力となった。ハンドヘルドデバイスにおける日本語入力という、実に枯れた、かつゲームフィールドが狭い分野でも、イノベーションは起きるのだ。フリック入力は、それそのものが、アップルの発明なのである。何となく世界を変える臭を漂わせながらも、日本ではザウルスに勝てなかった、アップル・ニュートンに、hanabiというフリック入力の原型が採用されていたとのこと。ニュートンと言えば、ジョブズに請われて入社し、ジョブズを追いだしたジョン・スカリーのプロダクト。その一要素が、ジョブズ再臨の時代に復活して、もはやハンドヘルドデバイスの日本語入力のスタンダードにならんばかりの勢いである。禍福は糾える縄の如し。人間万事塞翁が馬。風が吹けば桶屋が儲かる。ああ、最近はこの辺りまとめて、connecting dots とかって言うんでしたね。
これ位の分量だったら、少し長めのトイレタイムで、自分の糾える縄の如き大腸とお付き合いしている時に、フリック入力で打てるのであります。・・・これが、言いたかった。