バター守るのにも全力出すTPP

TPPに聖域あり

 TPP参加交渉開始が話題だ。僕も、ある程度情報は積極的に集めてはいるが、まだTPPが全体にとって国益に叶うのか、そうで無いのかは良く判らない。影響が複雑すぎるから、得失の判断がそう簡単で無いのである。一方、世にはとにかく推進とか、絶対反対とかポジション取ってる人が結構いる。すごく賢くて、簡単に物事を本質を見極められる人が世の中には沢山居るのかもしれないが、そうだと楽観できる証拠は少ないし、本当にちゃんと考えたのか疑問である。考えてるより、騒いでる方が楽しそうではあるが。
 さて先日、TPPに聖域なるものがあり、安倍首相はこの存在を米国外遊で確認したという報道が流れていた。それは、どうやらコメ・乳製品・牛肉・砂糖・大麦小麦の5分野の様で、聖域というのは関税維持を目指す分野の事だ。バズワードで聖域と言われると、何やら侵しがたい雰囲気がぷんぷんと出てくるが、そこに一体何が祀られているのかと言えば、国内の雇用の一言に尽きるだろう。二次的に食糧安全保障。国内の雇用はカミサマなのである。一方、TPPでは別の雇用も創出される事になっていて、だから参加する意味合いがあるのだが、まぁ一神論か他神論かの論争と同じく、他に如何なる雇用が生み出されようとも、俺の雇用が無くなるのは許せねぇ、という宗教原理主義者の説得は難しい。どちらかと言うと必死なのは、 土に根を下ろし、風と共に生き、出稼ぎでも冬を越せる一次産業従事者より、その産業が無くなると即失業の業界中央団体の各位の気もするが、それはそれである。
 それで、この5分野と雇用者の関係は、日経のこの表がまとまっている。


■出典:日本経済新聞

 この5分野の内、コメと砂糖は最優先との事だが、コメの農業雇用上の存在感は圧倒的だし、食糧安全保障上の意味合いもある。砂糖も局地的に、沖縄や北海道の地域雇用には影響大という事だろう。沖縄は安全保障上も国の関与が重要な地域でもある。また、大東島や久米島辺りの製糖工場で冬にバイトし、お金と共に重労働のキビ刈りで、ムキムキの武力を身につけて東南アジアを回るバックパッカーという、廃れつつある文化をここで根絶やしにせず、無形文化財として保護するも一つの卓見である。かくこの2つの分野は合理性があると思うのだが、一方でこの表に、余り雇用を生み出していない産業が紛れ込んでいるのは指摘せざるを得ない。名指しすると乳製品と大麦小麦は一体何なのか。この聖域なる交渉フレームワークの中で、まず疑問に思うのはこの対象産品の合理性である。

麦農家ってどれ位居るの。

 大麦小麦は表を見れば明らかな通り、併せて生産額は750億に過ぎない。生産額から農家の費用が差し引かれて農家の所得になるので、生産額とはつまり農家の売上という事だが、2.5兆円の売上に5.6万人の従業員を抱え、前期の労働分配率が何と100%を超えている太っ腹企業のシャープが顔面蒼白という、第二次産業の現状からすると、国として全力を注ぐのはどちらなのかという感は否めない。大麦小麦併せて12万人の雇用を産んでいる様だが、これは数字のマジックだ。麦は畑作で、水稲の様に単作という事では無かろう。実際、国産大麦や小麦の需要が国内から無くなったとして、失われる雇用はどの程度なのかと言えば、転作出来ない一部の農家という事だから、もしかしてゼロの可能性すらある。それは行き過ぎとしても、少なくとも12万よりは大分少ない数字になるだろう。

飲用牛乳と加工乳

 また、乳製品についても、酪農とカテゴリーされて大きめに雇用も生産額も出ているが、酪農で搾乳された牛乳は、牛乳として飲む分と乳製品に加工される分に別れ、実際の乳製品に係る分は半分以下なので、これも数字のマジックである。国内の牛乳関連の需要を3つに大別すると、飲用牛乳が450万トン・生クリームとかチーズとか加工原料乳が350万トン、輸入の乳製品が350万トンである。


■出典:日本乳業協会

 そして、飲用牛乳は新鮮さが求められ、かつ重くて輸送すると費用が嵩むので、基本地産地消の産物である。飲みもんは基本そうだ。エビアンやボルビックなんて、消費者が何にお金を払っているのか、費用を分解すれば、輸送費とPET樹脂と、水じゃなくて石油を飲んでいる様なものだ。牛乳でも、北海道産が国内で圧倒的な価格競争力を持つから、もし輸送できるなら加工乳同様に飲用牛乳でも北海道産のシェアが圧倒的になる筈だが、飲用牛乳全体の2割前後しか北海道産は持ててない事からするに、地域の牛乳屋が生き残れるマーケットなのだ。北海道産の牛乳の相当な部分は、軽い乳製品に形を変えて消費者の口に入っているのである。
 そんな国内の流通構造を前提に、仮に関税ゼロにしたとすると、まず酪農の内、飲用牛乳分には余りインパクトが無いことが予想される。しかも、飲用牛乳の方が加工乳より価格が3割ほど高い。なので、加工乳が海外産に席捲されたとしても、大雑把に言って2.2万戸の酪農農家の内、インパクトを受けるのは2-3割の加工乳部分だけ、という話であろう。ただ、それは北海道の農家に集中的に顕在化する。これが問題なのかもしれないが、北海道の酪農は比較的大規模なので、生産高でなく雇用という意味では更に小さい話になるだろう。

バター高いんだけど。

 ここからは急に話がお茶の間的どミクロになる。消費者としての自分からすると、バターは正直高い。高すぎる。あの黄色いパッケージの雪印の北海道バター(有塩)が400円オーバーの時代だ。2008年と2011年にバターが店頭から消失する事案があったが、それ位の時期からバターはやたら高い。理由は、

  • 飲用牛乳の需要減により乳牛を減らしていた
  • その中、新興国の経済発展により国際的にバター消費量が増加し、日本への輸入量が減少
  • 乳製品輸出国である豪州が干ばつに襲われ、連鎖的にEUでも国内向けを優先し、輸出奨励措置を縮小
  • 輸入量の低下から、菓子や製パン業者が国産バターに振り替え、一般家庭向けバターが不足
  • 世界的な資源価格高騰により飼料価格が上がり、価格転嫁が進む

という事らしい。店頭から消失という一時的ショックの後も、乳牛は直ぐに育たないし、価格の高い飲用牛乳向け需要は落ちている。なので、簡単にはバターが高いから乳牛が増えるというサイクルにはならず、飼料は相変わらず高いので値段も高止まりという事だ。しかし、バターが店頭から無くなったのは2年前と5年前であり、乳牛が育つまでは2年と少し。最初の危機からは十分な時間はあったが、依然バターは高い。国内加工乳の大半を作る北海道の酪農家は、今関税で保護されてるのに、やる気あんのかと。或いは末端が400円でも上流は赤字なのか。二つ併せて、上流が儲からないからやる気無いというのが正しそうな話なのだろう。いま乳牛増やしてバター作っても、飲用牛乳の需要減にいつか飲み込まれて儲からなくなるから、乳牛は増やせない。こんな緩慢な死を待つような産業の寿命を長引かせる保護は必要なのだろうか。必要だとしても、それを首相が外遊で最大の同盟国に行って、最初にお願いする様な話なのか。どうにも疑問である。もちろん、タダで保護できるなら、それに越したことは無いが、他に入れるべき産業や代償は無いのかって話である。

高付加価値化支援

 儲からず、かつ小さな産業を、タダで保護できるなら短期的には良いかもしれないが、かつての牛肉・オレンジと同様に、更に小さくなっても生き残れる道を探った方が中長期的なサバイバルに資さないだろうか。TPPで関税撤廃した後、海外産のバターの方が結構安いなら、まず生産者は統合が進んでコストを下げる様になり、さらに価格を求める顧客向けに街のスーパーには海外産のバターが並ぶ様になるのだろう。ただ、その供給者が海外メーカーかどうかは時間的猶予による。海外の方が生産コストが安いなら、ベーシックな食材は日本のメーカーが海外移転してコストを下げるだろう。それは他の食材と同じだ。だからTPP導入したから雪印が死ぬという話では無い。一方、嗜好品的な高級食材は残るし、そこはある程度の価格を原料である加工乳に出せる筈だ。バターはチーズほど嗜好に合わせてローカルで豊富な種類がある世界では無いだろうけど、ほぼ産地と品種しか差別性の無い牛肉と比べれば、差の付け様はあるだろう。雪印の黄色いパッケージを有形文化財として残すべきという話で無いなら、ベーシックな食材は輸入で安くなり、高付加価値製品は多様化する方が生産者・消費者双方がハッピーでは無かろうか。むしろ、この産業を残すなら、関税を残すより、統合化・大規模化支援や、高付加価値製品上市の為の設備投資やマーケティングコストへの支援の方が筋が良いように思える。
 幾つか記事を当たってみても、ニュージーランドでは超粗放的な酪農によりコストを下げており、北海道でも更なる大規模化と自給飼料化で同じことできそうなんて話と、家畜改良事業団の人が遺伝的選別によって、収量が2-3割変わるから優良牛群にシフトするだけで全然ペイするという話が出ている。一方で、比較的酪農は恵まれた収入環境(北海道に限らず畜産酪農は500万円を超えて全農業業種でトップクラスという説が混在して真相は不明)にあるらしい。総じて言えば、これまで国策の北海道振興に従った結果、シバかれ無さ過ぎだった、という要素は否めまい。

孔明の罠、秋元の仕掛け

 そんな事で、大麦小麦にしても、乳製品にしても、どうにも国を挙げて聖域を守る守らないの話にしては、インパクトが小さい上に、やってる事が延命策すぎる気がしてならないのである。これをこの手段で是非守るべき理由は、正直謎だ。それなら、聖域に大画面テレビとでも書いて、世界を驚かせたい所である。

  • 有形文化財候補。

 仮説としては、大麦小麦とバターを高くしとけば、それを原料とし、また付け合わせとするパン食の価格も高くならざるを得ない為、結果的に米作農家を守るのが真の狙いではあるまいか。輸入米の流入を防ぎつつ、米食のパン食シフトをも防ぐ、鉄壁の守りの一手がTPPの聖域に仕込まれている。そんな妄想が浮かぶ位、謎は深い。