最果てへ 二日目

蔦温泉旅館は、大正7年築の極めてクラシックな建物である。玄関は豪快なデザインだ。ひたすら重厚さを追求した大正モダンの香りがする。
古い建物、歴史ある建物はいつ行ってもいいものである。

Classic Hotel
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・緑の中に低層の、和洋折衷様式の建物が聳える。

建物の中も勿論素晴らしい。特に中央にある階段なんぞは渋い色使いにもシビれるのだが、この60段の階段を上らないと別館の客は客室に行き着けないという横暴な構造にも足がシビれる。結局3往復してしまった。尿酸を膝に溜めた旅館は初めてかもしれない。

Long stairs in hotel
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・学生時代は引越バイトで階段は慣れていたのだが。その日は遠い。

ここは温泉が有名である。源泉の上に直接湯船を作っており、湯船の底にある分厚い板の隙間からポコポコと湯が沸いてくるのである。湯自体は恐山温泉の様な硫黄泉でなく、ナトリウム硫酸塩炭酸水素塩塩化物泉と書いても訳がわからないが、とにかく柔らかいいい湯である。浴室の建物も木造で、天井が高く、気持ちがいい。

Crock
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・煙草盆。老舗は小物のセンスも良い。

ここが特筆すべきは、湯船から溢れるお湯に体半分浸かりながら、湯船のへりを枕代わりにして板張りの床に横になれる事である。あまりの気持ちよさに思わず20-30分ほども落ちてしまった。これぞ極楽である。日本人に生まれた快楽はこの事だろう。

Eternity
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・玄関脇に手水と鹿威しが両方有る。小上がりに座って飽きもせずに眺めた。

あと、仲居さん達もフレンドリーで、押し付けがましくなく、ユーモアに溢れ、素晴らしかった。日本のホスピタリティとはこういう、人ベースのやさしさ、親切さなのだと思った。

朝ゆっくりとした後、宿を出て、奥入瀬十和田湖と回った。数年前に僕は一度訪れているが、すでに記憶が薄れているので、初めてみたいなものである。
奥入瀬は、非常に綺麗な流れで有名だ。土曜に雨が降ったので、透明度自体は落ちていたが、それでも清冽な流れなのは間違いない。

Fall beside Oirase
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・こんなうっとりする小風景がそこここに潜む。

僕は色々なもののマニアだが、滝も結構好きで、日本の滝百選をいつかコンプリートしてみたいと思っている。世界を視点にすると、今までで一番凄かったのは文句無くイグアスの滝だが、日本もなかなか滝は豊富である。屋久島の大川の滝なんてのは豪快でよろしいと思う。

奥入瀬の本流には銚子大滝というのが有って、これはなかなか大きい。この滝が有るがゆえに上流の十和田湖はずっと魚が棲まない湖だったと聞く。

Fall at Oirase
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・奥入瀬で唯一の滝である。ちなみに百選には入っていない。

奥入瀬は水も豊富だが、新緑も美しい。丁度津軽は6月が新緑で、丁度良い季節に訪れた。普段緑なき東京砂漠に住む身としては、非常に癒される。とても贅沢な気分だ。

Tender Green
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・透き通るようなグリーン。

また、人の手が入っていない森なので、巨木が多い。巨木マニアにはたまらない。思わずパチリパチリと巨木を見たら写真に収めた。巨木はそれ単体で神々しい。巨木に注連縄を張った古代人の気持ちがわかる。おかあさんと一緒で巨木に顔付けて話させたNHKの気持ちもわかる。縄文杉も良かったが、ここの落葉樹林もまた素敵である。

Boxy tree
[NIKON D50/SIGMA DC 18-200mm F3.5-6.3]
・年老いた幹から美しい新緑が芽生える。

奥入瀬を後にすると直ぐに十和田湖に着く。湖なんてのは見ても面白くないと思っていたが、高台に上ってみるとここが美しく澄み、静謐に佇む場所だと判る。問題は普通に水面に浮かんでいるスワンである。こういう子供の遊びは大人のリゾートには排除して欲しい。日本人はカネを稼ぐことに恥を感じる民族だと信じていているのだが、こういう所で良識を失ってしまうのが惜しい。子供優先、美的センス・教育の欠如など色々原因はあろうが、美しいものを美しいまま保とうというのは難しいのだろうか。中層マンションに徐々に蝕まれる京都などを見ていると特にそう思う。

Silence in lake Towada
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・あまりに凪いでいるので、船のあとがいつまでも残る。

ここからは八甲田連峰を横目に下界に下り、五能線沿線を目指すことにした。黄金崎不老不死温泉に入り、あわよくば十二湖、白神山地の見て帰ろうという魂胆である。

遠くから望む八甲田連峰も美しい。昨日は霧に沈んでいたが、今日の様に晴れた日も、ゆるやかな山並みがどこまでも続き、得がたい風景となる。

Hakkoda moutains
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・青山(せいざん)とはこのこと。写真ではなく日本画の世界だ。

黄金崎に至るまでは烏賊漁地帯である。途中、朝釣った烏賊をそのまま焼いて食わせる屋台が並ぶ所に立ち寄った。棒だらから干し烏賊、見たことの無い魚の干物などが並ぶ中、老婆が何人かで烏賊を焼いている。なぜか自然と頭が海外旅行モードになり、思わず値切りそうになる自分を抑える。屋台は危険だ。

dried squid
[NIKON D50/TAMRON A16 17-50mm F2.8]
・烏賊だらけ。

こんな新鮮な烏賊が不味いはずも無く、都会の夜店で食べる焼き烏賊って一体なんなんだろうね、と思った次第である。ほんとなんなのだろう。

さすがに烏賊を1ばいだけでは到底腹が一杯にならず、更に千畳敷という溶岩が冷えて固まった岩場のビーチに隣接したドライブインめいた所で、なぜかラーメンを食べた。何の工夫も無いチャーシューメンだが、旨かった。出汁に魚介を使っているのだろうか。かなり真剣に出汁チェックをしたが判らなかった。ここの名物はむしろ「じゃっぱ汁」というクリアなスープの魚のあら汁だが、ラーメンも美味しい。ご当地感ではじゃっぱ汁だろうが、ここまで来て何で?という意外性ではラーメンもなかなか悪くないチョイスだった。

五能線は鉄道マニア垂涎のローカル線だが、今はリゾートしらかみという新型の車両が導入されていて、ちょいと味気なくなっている。だが、沿線は、日本でも有数の田舎であり、田舎独特の面白さがある。何といっても、一定以上の年代の方とは日本語が通じないのである。こちらが話す標準語は理解できている様であるが、向こうの言葉はさっぱり判らないので、若い人に通訳を頼んでみたりする。こういった経験は、屋久島と四万十川の流域と、ここ津軽でしかした事が無い。大阪で道聞いて、「ちょっとこの道歩いて、その先でまた道聞いたらええ」とか言われるのも異文化だが、言葉自体が通じないというのも大きなショックである。均一化が進む世の中であるが、旅人的には多様性は守りたいものである。

Train in the green field
[NIKON D50/SIGMA DC 18-200mm F3.5-6.3]
・リゾートしらかみ。3両編成。

結局、この多様性に興奮して、時間を使いすぎた結果、白神山地まで行けず、最後の目的地は黄金崎不老不死温泉になった。ここは満潮時には湯船まで波が打ち寄せる所に作られた露天風呂である。鉄分を含む濃く強い湯だ。高張泉に分類される。確かに湯の花だらけで水面下数cmが見えない。なかなか面白い湯だったが、干潮の夏の昼というのはいただけない。ここはやはり雪混じりの横風吹き付ける冬の満潮時に来るべきだろう。


[SHARP 904SH/35mm F2.8]
・干潮でしょぼんだが、ロケーションは面白い。

不老不死にも多分なっていない。なったら実際困る。さまよえるオランダ人になってしまう。本当にそうなってしまったら、力づくでこの温泉の名前を「黄金崎さまよえるオランダ人温泉」に変えてしまおう。

さて、与太話はともかく、津軽は2回目だがそれでもまだまだ回りきれなかった。和歌山や高知、鹿児島と並んで、魅力のある地域である。これらの地域に共通しているのは、寸詰まりの半島を持つことである。半島の先や離島には、異文化・異世界が残っていて面白い。そんなヤマトンチュの文化から外れた、異人めいた文化の痕跡を辿るのが僕の日本の旅の一つのテーマである。
次は佐田岬半島甑島列島でも訪れようと思っている。