エンロン

 古くからの、親しい友人の勧めでエンロンという映画を見た。もともと11月頃に公開していた映画だが、渋谷のライズXで1月19日まで、シネラセットで2月9日までは見ることができる。題材はもちろん、かのエネルギー企業であり、米国最大級の企業スキャンダルを起こして破綻したエンロンである。この映画は、ドキュメンタリー映画としても一級の作りであって、誰が見ても楽しめると思うが、金融や財務に関する知識が有るとより深く楽しめるのは間違いない。幸いにして僕は、かつて日本におけるエネルギーデリバティブやウェザーデリバティブの黎明期に業務に携わり、今はSPCを駆使してストラクチャリングを行う一方、WBS(Whole Business Securitization)とかで証券化ファイナンスを考え、かつそもそも「株主」が仕事であるバイアウトファンドに居る。きっと、この映画を楽しむ上での予備知識を最も幅広く持つ人種の一つに属するのだろう。ちなみに、ライズXの40人弱のキャパの殆どはスーツを着たビジネスパースンで占められていた。
 ただ、僕は業界的な予備知識は持ってはいるものの、エンロン・ジャパンの人達が、"We're the energy's Goldman Sachs."とかプレゼンで嘯いていたのを実際聞いてた割には、エンロンのビジネスの本質及びその成功と失敗といった、エンロン特有の事情について詳しく知っていた訳では無い。この映画は、ドキュメンタリーとして極めてよく出来ているので、そんな予備知識の無い僕にも、すぐにエンロンという企業がどんなだったか理解可能だ。エンロンには2つの側面がある。1つの側面は、革新的な「マーケットの伝道師」としての一面である。エンロンは、天然ガスや電力、帯域幅といった、プロダクトそのものには付加価値は無いコモディティで、ベースロードとして需給があってかつ平均回帰性がある商品に金融の言語を持ち込んだ企業だ。電力を株式や債券同様に市場商品として取引し、各市場においてデリバティブハウスとして機能し、帯域幅などの新しい市場の創出にトライした。ドットコムバブルの時に、僕は企業間の調達は全てネット上のマーケットプレイスに置き換わるとうかうかと信じてしまったが、エンロンの全盛期には、全ての市況商品はエンロンによってマーケットが作られると予想されていた程だ。エンロンの定石は、各市場における、現物の扱いの力をレバレッジしたトレーディングである。この現物の扱いの力は強大で、沢山の発電所を持っていたカリフォルニアの電力市場では、意図的な電力の売り惜しみによる価格吊り上げすら行っていた。
 もう1つの側面は、上述の革新性を非常にうまくパブリシティに利用し、エンロンによって世界が変わるかの様なイメージを創出して、それによって高株価を実現した市場資本主義時代の申し子としての側面である。エンロンは、殆どの企業活動を、資本市場向けのコーポレート・マーケティングをゴールとしてデザインする事により、市場の寵児として高い時価総額と投資家の支持を得た。IR活動というのは昔から存在したが、とにかく時価総額を目的として究極まで追求する事自体に意味を見出した企業としての嚆矢と言えるだろう。結果として、今で言えばgoogleの様なイメージと地位をかち得たと理解すれば概ね正しいと思われる。
 後者を追求するがゆえにエンロンは道を踏み外すのだが、映画を見ていてまず気になったのは、果たして何が罪なのかということである。CFOファウストウが主導した(とされている)SPCへの飛ばしによる粉飾、及び彼による業務上の横領というのは極めて判りやすい犯罪だと思うが、会長ケネス=レイ及びCEOスキリングの2名には、CFOの管理責任という以上にどの様な罪があるのだろうか。或いは通常の企業活動と犯罪の境目はどこにあるのだろうか。僕はそれは余り明瞭でない境目であった様な気がしてならない。例えば、映画中では、資産をMark-To-Marketする事がエンロンの為した主な悪の様に描かれている。具体的に言うと、インドの発電所に投資したが、これを投資簿価や投資直後のスタートアップ赤字の状態で減損評価するのでは無く、成功したケースのNPV(とまでは具体的に言ってなかったが)で評価するという様なものである。もちろん、簿価よりもNPVの方が高いので、エンロンはこのMark-To-Marketによる評価替えによってキャッシュの伴わない会計上の利益をひねり出し、高収益のP/Lを投資家にレポートする事が可能になった。
 こう書くといかにも悪いことの様だが、例えば将来有望で1000億の収益が見込める新薬を開発している創薬ベンチャーの価値を考えてみると、今は売上ゼロ・利益赤字としても、価値ゼロというのは実態を表さず、むしろ上市が失敗するリスクを織り込んでも、500億とか700億とかの市場価値が付くのが妥当である。このことから鑑みるに、恣意性が低ければ、Mark-To-Marketするというのは、むしろ企業実態に近い財務諸表をレポートすることになる。エンロンは、インドの発電所を始めた時点では成功を確信していたのだろうから、その価値をNPVで評価して評価益を計上するというのは、日本では「自己創設暖簾(営業権)」と同様のイメージなので不可な会計処理だが、企業実態を正しく表すという観点では間違いとまでは言い切れない。
 また、上記は資産の評価替えの話だが、少々敷衍してM&Aの時を考えてみたい。買収した企業の価値をどう財務諸表に表現するかという観点で、上記と通ずるものがあるからである。米国会計基準では、M&Aのときの暖簾(買収価格と買収対象資産の差額)は、日欧の様に定額償却では無く、償却の必要が無い。この理由は、その時の経営者の判断、事業の見込みによって、暖簾に価値があると判断してM&Aを行っているのだから、価値を償却する必要は無いというものである。ただ、環境変化によって暖簾に価値が無くなったと判断された場合には、一気に減損を行わなければいけない。これは、会計処理の根拠を企業の経営判断という裁量におくことを認めたものだ。この会計基準の精神に則ってエンロン発電所のMark-To-Marketを考えると、経営者の判断でMark-To-Marketした価値が企業実態を正しく表していると判断したのだろうから、その価値を財務諸表に反映するのは、むしろ順当ですらあると解釈できる。となると、問題はむしろその後投資がワークしないことが明らかになった時に、きちんと減損して損を出さなかった事だろう。
 こう整理すると、CFOファウストウが行った粉飾と横領を除くと、必ずしも悪意が無くても、減損のタイミングが遅いことだけをもって、この米国企業史上最大のスキャンダルが発生した可能性が出てくる事に気付く。内部告発者となった女性の提案は、インドの事業がうまく行かなかったなら、きちんと損を出して開示に努めればエンロンは立ち直れるというものだったが、ケネス=レイとスキリングにとっては、これまで非の打ち所の無い業績を上げていたエンロン減損損失を出す事が耐え難かったか、或いはそもそもMark-To-Marketする事自体に詐意があって、この提案を受け容れられなかったと思われる。後者なら話にならないが、前者であればどうだろうか。減損損失を出すかどうかは一会計上の仕訳に対する経営者の判断だが、この仕訳方針によって、アンダーセンは破綻し、SOX法によって色んなビジネスが生まれたり、非効率が生まれたり、という巨大な結果が惹起された。一つの会計処理方針、またはその基礎となる経営者の事業への判断の質によって生まれた結果にしては、余りに重大である。そして、仕訳次第では仮に悪意が無くても犯罪者に成り得るのである。
 また、歴史にifは無いが、仮に内部告発者の提案に従って、減損を出していたらどうだったかを考えてみるのも面白い。減損損失は、そのもの自体が犯罪を構成するものでは無い。タイムワーナーは、AOLとの合併後、542億ドルなんていう記録的な減損損失を計上しているし、NTTドコモもドットコムバブル時での海外投資では数千億円単位で気前良く損失を出したが、それによって経営者が逮捕されるなんてことは無い。どこの国の商法でも、企業の取締役には幅広い裁量が認められており、事実の明白な誤認等、いわゆる故意とか過失が無ければ、結果が散々でも少なくとも刑事処罰の対象には成り得ない。従って、CFOの不正が見抜けず、インドや帯域幅ビジネスに無謀な投資をして大損をこいた阿呆なCEOとして歴史に残ったかもしれないし、間違いなくエンロンのスマートな偶像は壊れて、マネジメントの座は失っていただろうけれども、ケネス=レイやスキリングは少なくとも犯罪者にはならなかった可能性は結構ある様に思われる。
 さて、公開期間も残り少ないが、とてもエキサイティングな内容なので、金融とか会計に興味があるならば、是非見てみることをお勧めしたい。DVDも出るだろうから、この手の話に興味が有る友人を集めて鑑賞会をしてみるのも面白いと思う。その際には、いま現実にエネルギーデリバティブのトレードをメジャープレイヤーとして行っているのは、大手の投資銀行である事を頭の片隅において見てみると趣があるだろう。一部の投資銀行発電所まで持っている。日本で言えば、野村證券発電所を持っている様なものだ(ハウステンボスなら持っているが)。エネルギー市場で現物の扱いの力を背景にデリバティブをトレードして儲けるというのは、エンロンの基本のビジネスモデルだったが、結局このbig Ideaを今引き継いで儲けているのは、映画中で黒幕の様に描かれていた投資銀行なのである。
 ただ、一つだけ蛇足を書いておくと、投資銀行黒幕説というのは映画的には判りやすくていいだろうが、実際には余り意味のある話では無い。これは、新興勢力は隙間をアグレッシブに突いていかないと成長できないから、どこかで一線を踏み外して失墜しやすく、老舗はきっちり法的税的にも詰めてからビジネスをするから、最後にはメジャーな地位を安定的にかち得ることが多いという、人の世の真理を表しているに過ぎないのである。