唐辛子経由アフリカ行き

 今年はずっと忙しかった様な気がする。年始はなかなか興味深い法律問題でバタバタし、初春からは長いこと買収ディールに関わっていた。今のファームに入って5年が経とうとしているが、獲得ディールは追加買収も含めて4,5件といった所だ。ディールは大体一件半年位かかるから、丁度半分がディール、半分が投資先企業でのモニタリング・経営改善で時間を使っているという感じである。投資先企業での仕事に勤しんでいる時と比べると、ディールをしている時はずっと忙しく、プレッシャーも多い。ゆえ、今年はあんまり仕事以外のことに目がいかず、それほど旅行にも行かず、ブログの更新も滞ったし、また幾つか疎遠になってしまった人間関係も出来た。そういえば、当ブログがアルファブロガーアワードにノミネートされていたが、それも随分と最近になって気がつく始末である。ご推薦頂いた方々、ありがとうございました。

 さて、そんなこんなで忙しい一年であった訳だが、僥倖にも年末年始は17連休が取れた。いや、僥倖ではない。発狂するか、全てを打ち捨てて旅に出て心の平穏を取り戻すかの二者選択を迫られる位、精神的には疲れ果てて、チームメンバーに仕事を押し付け、後者を選んだのだ。長い休みは常にあまりいい顔をされないものだが、さすがに発狂瀬戸際の真剣さで申請した為に、えもいわれぬ迫力があったのか、あっさりとボスの了解は得られたのである。

 行先は再びアフリカである。昨年ガーナとコートジボアールギニア湾岸沿いの西アフリカを訪れたが、今年は同じ西アフリカながら、海岸から内陸へとサヘルを目指す旅である。ガーナ、トーゴ、ベニン、ブルキナファソ、マリといった国々に行くことになる。近くて遠い国―という英語的表現がかつて隣国の間に使われたが、これらの国は日本から見ると、遠くて、本当に遠い国である。ガーナは二年連続となるが、そこまでガーナが好きになったかというと、そうでも無い。単純に、日本から安く西アフリカに行こうとすると、欧州系エアラインが選択肢から外れ、エミレーツ航空を使うことになり、さしものエミレーツも、西アフリカはガーナとコートジボアールしか飛んでいないから、そこに行くしか無いのである。

 エミレーツ航空は、成田には就航していない為、首都圏の人には余り馴染みが無いと思うが、アラブ首長国連邦のドバイベースのキャリアであり、日本には大阪と名古屋に就航している。新しい機材しか使わず、サービスも日本の2つのキャリアよりずっと良い割に、運賃が安く、人気のある航空会社だ。今回、シンガポールまで飛んで、そこから南アフリカ航空南アフリカを周遊するか、再度西アフリカにするか迷ったが、後者を選んだことで、上に書いた通り、エアラインはほぼエミレーツに限られた(バンコクから、エチオピア航空ケニア航空という手もあるが、年末のバンコクはピークシーズンである)。しかし、この年末年始、大阪・名古屋からのエミレーツ便は、ヨーロッパに行くには南回りでASEANのキャリアを使うよりずっと短い時間で飛べるからか、ビジネスまでキャンセル待ちの有様であった。

 ただ、僕は勤め人ゆえ余り時間の自由が利かず、過去何回も休みがピークシーズンに重なっている。それでも、チケットが取れないながらに、あの手この手でこれまで自分の行きたい所に行ってきた。日本の混雑にめげず、ある意味手慣れた手順に則り、日本を出発にしなければ良いということで、ソウルの旅行代理店に聞いてみると、あっさりとエミレーツのソウル−ドバイ便は取れてしまった。あとは、何らかの手段で、韓国に辿り着けば、旅行は成立である。いざとなれば、福岡からジェットフォイルか、対馬から漁船チャーターかと覚悟したが、こちらもあっさりと大韓航空で成田から仁川への便が取れた。成田−仁川−ドバイ−アクラ。2都市・2キャリアを経由する大旅行となった。そんなサイドストーリーを仕事の合間にこなしつつ、12月22日の昼、日本を旅立った。

Mango or Takuwan
[Canon Powershot S80/ 28mm F4.5]

  • 大韓航空の機内食。下のデザートの図柄につられ、マンゴーの積もりで上のタクワンを食べてビックリ。

 夏に2泊3日特攻食い倒れツアーをして以来の韓国だが、今回はトランジットである。しかし、エミレーツは23時過ぎの出発ゆえ、半日近く時間があり、多少は観光できる日程である。空港の荷物預かりも20時までは重いバックパックを預かってくれて、体も軽い。僕は韓国には過去7回訪れているが、仁川には一度も行ったことが無い。仁川は、サンフレッチェに居た盧廷潤の地元であるが、実は人口260万を数える大都市なのである。やや内陸に位置するソウルの海の玄関としての位置づけは、日本における横浜市と似ていると思われる。日本に7回行って、横浜に行ってないのもイマイチな為、今回はこの仁川を回ることにした。

 仁川を回るといっても、ガイドブックなぞ持って来てないし、空港にロクな観光案内もない。成田空港に成田市の観光案内は無いであろうから、これは致し方なしか。かつて読んだガイドブックの記憶によれば、月尾島という所が海沿いのナイスなシーフードスポットだった筈である。僕の拙い韓国語と、空港で働く人々の拙い英語から総合するに、空港から月尾島に行くには、永宗島船着場という所からフェリーを使うらしい。永宗島船着場と言われても旅人は困るので、空港の観光案内の人に「月尾島」「永宗島船着場」とハングルをスペルアウトしてもらった。そこまでしたのに、空港パンフレットのバス発着位置案内は間違っていて、なかなかバス停も見つからず、しかもようやく見つけたバスは一時間に一本である。結局腹を立ててタクシーを使うことになった。

 タクシーを乗ったら永宗島船着場は直ぐである。恐れていたのは、バスが一時間に一本なら船もそうだということだが、幸いなことに船は一時間に2,3本はあるようだ。フェリーは有明・天草あたりではよく走っている中型の古ぼけた鉄の塊である。乗っていた時間は、20分少しで、割とすぐに月尾島に着いた。フェリーの船着場からすぐ右側に海鮮料理屋がずらりと並んでいる。韓国にはこの様に「太刀魚通り」「ケジャン通り」とか、同じ料理を出す店が一地域に集中していることがよくあるが、正直旅人は圧倒されるばかりで店を選ぶ手がかりが無く、結局ガイドブックに書いてある店に入る羽目になる。月尾島もよくもこれほど似たような店を出せるなと感心するくらい特徴のない店構えが続いていた。あと、特筆すべきは客引きのアグレッシブさである。お店に一人客引きおばちゃんが居て、カモと見ると抱きかかえてお店に入れようとする。これ程アグレッシブなのは、南米はガイアナのミニバス位か。あれは客の奪い合いで、僕はラグビーボールの様な扱いだったので、別格だが。その他、バックパッカーの間で定評のあるのは、ハイチの空港ポーターと、モロッコベルベル人のカーペット売りだが、この辺とはいずれお手合せしたいものだ。

 さて、僕も何人ものおばちゃんの体温を感じた後で、根負けして片言の日本語を話すおばちゃんに抱きかかえられてお店に入ることになった。食べたいのは、刺身とメウンタンという辛い海鮮スープで、そう伝えると直ぐ合点して品物が出てきた。刺身は韓国語でも「サシミ」だが日帝用語追放とかで、言い換え運動が起きているとのことだが、旅人としては、サシミで通じるのは有難い。ちなみに、お魚の方はヒラメだったと思われるが、結構旨かった。

Korean hot pot
[Canon Powershot S80/ 28mm F3.5]

  • 如何にも辛そうなスープ。単一のスパイスをここまで使う料理ってのはアジア独特と思われる。写真的には、如何にもCanonのDIGICっぽい発色。ちょっと鮮やか過ぎるが、極彩色の国にはフィットする。800万画素だから等倍で見ても、然程甘くない。これを見ると今の1200万画素機を買う気にならんのだが・・。

 その後、仁川駅前に出て、激しょぼの中華街を見て空港に戻った。この中華街に本物の中国人は殆ど居なかったと思われる。もともと、確か英語圏の本で、「韓国は外国人差別が厳しく、大きなチャイナタウンが形成されなかった唯一の主要国」という話を見たことがあったので、「何だ中華街あるじゃん」と思って立ち寄ったのだが、印象としては「昔、中華街だった所で、現在は韓国人が当時の建物をテーマパーク的に使っている」という様に感じられた。勿論、お店の一軒一軒にインタビューして確認した訳でなく、お店の人が話している言語を聞くに、明らかに諸外国のチャイナタウンと比べて中国語率が低かったことから類推した印象だが、これはこれでなかなか興味深い現象だ。ちなみに、世界最大と言われるブラジルのサンパウロののジャパンタウンは、今やアジアンタウンという様相であり、日本はどこへ?という感じであった。それは、L.A.も同様であろう。

 最後に、仁川空港だが、アジアのハブを目指す心意気や良しだが、20時に殆どすべての店が閉まってしまうのは頂けない。23時過ぎのエミレーツの出発までぼけっと過ごすことになった。免税品はともかく、最低でも、無線LANプリペイドカードを売る人くらい残っていて欲しかった。まじめにビジネスユースでは困ると思われる。アフリカに気宇壮大なリラクゼーションをしに行こうというのに、韓国のファシリティにちまちま文句言うのは、方向性が逆の様な気もするが、ここはまだ先進国なので致し方なし。出発間際、メウンタンに入っていた大量の唐辛子に消化が良くなったのか、お腹がキュルルと鳴った。アフリカの食事にどこまでお腹が保つのかというのが、ふと頭をかすめて、そして機上の人となった。