Too big to bail out

 Wachoviaとは、日本人にはワチョヴィアにしか読めないが、ワコービア(ヤ)と読み、ノースキャロライナ州の地名である。18世紀後半にモラヴィア人がノースキャロライナに入植した際に、この土地が、オーストリアのWachau valleyに似ている事から、そう名付けたのが由来である。もともとのWachau valleyは、風光明媚な所で、世界遺産登録されており、第三回十字軍からの帰還時に、プランタジネット朝イングランドのリチャード"獅子心(Lion hearted)"王を、オーストリア公レオポルト5世が仲間割れの末に捕らえた所として知られている。レオポルト5世は、この十字軍の際に、敵の返り血で、ベルトの部分を白く残して全身赤く染まったと伝えられ、これが上から赤・白・赤というオーストリア国旗のデザインの由来となった。

  • Wachou valleyの風景。 ○出典:Wikipedia

 さて、一方のノースキャロライナのWachovia地方は、その中心都市であるWinston-Salemで知られ、R.J.レイノルズのタバコである、WinstonとSalemはここに由来するが、残念ながらクトゥルフ神話のセイレムの恐怖とか、魔女裁判のセイラムとかは、マサチューセッツ州にある都市の話であり、こことは関係無い。また、最近は流石に30分待ち位で買える様になったKrispy Kreme Doughnutsは、この人口19万人のWinston-Salemで創業され、現在も本社はここにある。この地方を開拓したモラヴィア人は、ルター派に近いプロテスタントであり、家族では無く階級単位で生活し、職人を輩出し、米国に幾つかの産業都市を建設した。この産業革命時代から続くアントレプレナーシップが、この小さな都市に名だたる大企業をもたらしたのかもしれない。なんだかマスター・キートンみたいな話の始まりになったが、週末にこの地名を冠する総合金融グループ、ワコビアの銀行部門がシティグループに買収されると報道された。他の金融機関も含めて整理すれば、ご存知の通り、リーマンが野村とバークレーズに吸収され、メリルリンチBOAに買収され、英国のブラッドフォード&ビングレーなる中堅銀行は、スペインのサンタンデールに買収されることに、この9月決まった。
 大きく言えば、ブランドが通った大手にやばい所が吸収され、やれやれという雰囲気が出てきてはいるが、これが弥縫策なのは明らかである。総資産110兆円であるAIGの例を見ても判る通り、金融機関はでかくなりすぎるとシステミックリスクが高まりすぎて、潰せなくなるである。Too big to failとは、日本の金融危機でも良く言われた言葉だ。しかし、その前のファニー・フレディの時は、それを通り越して、Too big to bail out、大きすぎて救えないレベルだという意見もあった。ファニー・フレディは、合計すると500兆円のアセットのGSEだった。一方のシティグループは、既に230兆円のアセットである。ファニー・フレディのどちらか1個分位有るわけだ。そこに更にワコビアの80兆円をくっつけて、さてシステミックリスクは低下したのだろうか。

  • Winston-Salemにある、The Wachovia Center。 ○出典:Wikipedia

 結論が、「低下していない」という事に落ち着くのは明らかである。従って、この方策は緊急避難なのである。緊急避難が終わると何が起こるかと言えば、複合金融機関の解体が始まると僕は読んでいる。また、同時に預金や保険といった、本源的調達手段を持たない投資銀行モデルの終焉による、投資銀行の複合金融機関化も始まるのでは無いか、と考えている。2つが相反する動きだけに判りにくいが、ちょっと整理をしてみよう。振り返れば、97年から98年の日本の金融危機においては、長信銀から息が詰まっていった。これは、長信銀が預金ではなく、主に金融債と呼ばれるボンドとマネーマーケットからの短期資金という、市場調達に頼った構造であり、要は銀行免許を持ったノンバンクに過ぎなかったことが金融危機時に露呈したからである。当時の長信銀と今の米国の投資銀行では、ビジネスの洗練度は大分違うが、市場調達でレバレッジをかけて運用しているという構造は共通している。よって、興銀が辿った商業銀行との統合による複合金融機関化か、長銀が辿った破綻、若しくは規模縮小を、米国の投資銀行は、早晩迫られると考えている。よって、今は野村はリーマンを吸収できたが、モルガン・スタンレーゴールドマン・サックスが銀行持ち株会社になった運命を、野村だけが今後永久に避け得るとは考えにくい。
 また一方で、政府が金融危機時にコントロール出来ない規模の金融機関が、もはや存在が許されなくなるのも、今回のインパクトを考えると、ある種自然の理の様にも思える。1929年の大恐慌をきっかけに、銀証分離を定めたグラス・スティーガル法が出来て、その後70年の余に渡って米国の金融業界を規制し続けたが、今回の金融恐慌によっても、何らかの規制は作られると考えるべきであろう。そしてその内容は、「証券化してはダメ」という様な、短絡的な内容というよりは、金融市場というのが必然的にオーバーシュートを繰り返すものという前提に立った上で、そのリスクをコントロールできる様にする内容になるべきと思われる。具体的には、1つにオーバーレバレッジを禁ずる自己資本比率の規制であり、もう1つに最後のバックストップとして、規模の規制になるのではないか。自己資本比率が高ければ、金融市場の変動へのクッションもそれだけ高まり、また規模が大きく無ければ、最悪自己資本のクッションを超えて経営が悪化しても、最後は救える or 潰せる、ということだ。これは、独占禁止法の運用によるのかも知れないが、今回大きくなったシティグループBOAが、再度何らかの分割を迫られる様になるのだろう。

  • 言わずと知れた、最後の証券専業大手。 ○出典:Wikipedia

 こう考えると、結果的に世は中規模で、今ほどレバレッジが効いていない複合金融機関が多数存在し、その中で投資銀行が得意な所と商業銀行そのものの所までのグラデーションとして金融機関の個性が存在する形に収斂する可能性は、結構ある様に思える。また、その状況が出現すると、レバレッジの低下と、寡占による超過収益を失うことから、大手金融機関の収益は下方プレッシャーを受けるだろう。
 自分が金融出身だけに、金融株はよく判るから、ここまで下がるとつい買いたくなるが、短期売買はともかくとして、長期保有を前提とすると、この要素があるだけに、僕は強気になれない。