ハイマン・ミンスキーとバブルのコントロール

 ここんとこ金融の世界で、大いに見直されているというか、初めて注目を集めているのが、ハイマン・ミンスキーという既に故人となった経済学者である。通常、景気のサイクルというのは、需要と供給のバランスによって説明され、在庫調整を中心に景気循環サイクルが描かれるのだが、彼は経済主体の所得と債務の関係から見た景気サイクルを重視した。また、金融不安定性仮説という彼の理論の名称が示す通り、市場は投機と恐慌の双方に陥りやすいという基本的ビューを持っており、市場は効率的なものである、という前提を持つ新古典派とはかなり異なる立場である。シカゴ学派全盛であった昨今の米国で、彼がずっと注目を集めなかったのは、このせいであろう。
 彼の理論によれば、全ての経済主体は3つに分類される。1つは「ヘッジ金融ユニット」であり、これはキャッシュフロー(=所得)で利払と債務の償還を賄える法人とか個人の経済ユニットである。2つめは「投機金融ユニット」であり、これはキャッシュフローで利払のみが賄え、債務の返済には借り換えが必要なユニットである。最後が、「ポンツィ(ポンジーとも)金融ユニット」であり、これはキャッシュフローでは債務の償還はおろか、利払いも賄えず、資産価格の上昇に依存するユニットである。ポンツィというのは、Ponziと書くが、要はネズミ講ということだ。
 ユニットと抽象化した言い方すると判りにくいが、一定の年収倍率以内の住宅ローンしか借りれず、個人の年収で借金をフルペイアウトする、日本の住宅ローンを借りた個人は、明らかにヘッジ金融ユニットである。大部分の事業会社もここに入るだろう。賃料で利払は賄えるが、ノンリコースローンをビュレット(期限一括返済)で借りて、借り換えを前提にしている不動産投資SPCは、投機金融ユニットだ。そして、もちろん金利のステップアップ等が付いたサブプライムローンはポンツィ金融である。一部の、転売EXITを前提としていた日本の不動産デベもこのカテゴリーかもしれない。そして、景気のサイクルとは、経済の中における、この3つの金融ユニットの割合の変遷なのである。
 ここからは僕の解釈も入るが、サイクルとは下記のイメージである。

  1. ヘッジ金融ユニットは健全な主体であるが、健全さがもたらす長期の安定は、徐々にリスクプレミアムの低下を必然的にもたらす
  2. リスクプレミアムが低下すれば、レバレッジが拡大し、経済主体の中で、よりハイリスクテイカーである投機金融ユニットと、ポンツィ金融ユニットの割合が上昇する
  3. この二者の割合の上昇は、資産価格の上昇と資産効果による景気の過熱、及びそれによるインフレをもたらし、中央銀行は利上げによってそれを抑制する
  4. 利上げによる利払の増加と、割引率の上昇によって、投機金融ユニットがポンツィ金融ユニットになり、もともとのポンツィ金融ユニットは純資産をすり減らす
  5. その結果、利払いに窮したり、マージンコールに当たった経済ユニットはポジションの売却を加速化させ、資産価値が崩壊し、資産価格はファンダメンタルな水準に戻る。また、レバレッジが縮小し、ヘッジ金融ユニットの割合は増加に転じて元の水準に回帰する

 日本のバブルも今回の米国のバブルもまさにこの過程を通り、これを順ミンスキー過程と呼ぶ。一番下のバブル崩壊が、すなわち逆ミンスキー過程である。また、金融の安定そのものが不安定さを呼ぶことを示唆している事が非常に興味深い。ここから得られる考察は様々だが、一つにはオーバーコンフィデンス・バイアスと、過去からの継続で未来を予想する、人間の慣習に影響されるバイアスがこのサイクルを作っていることであり、もう一つは貸し手の規律が相当このサイクルに影響していることである。後者は、銀行とノンバンクの野放図な貸出がバブルを作った歴史のある日本では、既に窓口規制や当局の指導などを通じて、金融政策の一つの前提として、広く受け入れられている様に思う。ただ、一般には銀行規制というと、預金者保護とシステミックリスクのみが意識されているのが現状では無いだろうか。そして、困ったことに、預金者保護とシステミックリスクの排除を実現する手段としての銀行規制は、個々の銀行がそれぞれリスク管理能力を向上させ、自己資本というリスク・クッションを保てばよろしい、という大変シンプルなものとなっている。
 一方で、上記のミンスキー理論は、総体としての銀行の貸出規律そのものが、資産価格・物価・景気・金利に大きく影響する事を指し示している。これを前提とすれば、リスクウェイトに応じた自己資本を積めばどんな貸出でも可能な今の銀行規制、及び金融庁中央銀行に分かれている今の金融政策の体制、その双方が機能的に不十分なのは明らかだ。個人セクターを中心とした零細な資金を集めて、それを融資という形で市場に資金供給する機能を持つ銀行、或いは保険会社に対して、その零細資金の保護を目的とした自己資本やソルベンシーの規制だけでは、バブルは繰り返されることになる。ミンスキー的には、これに加えて、より金融政策的な色彩の濃い規制が何らか導入される必要があるだろう。それは例えば、貸出純増額そのもののコントロールや、ヒストリカルなデフォルト率がどうしても織り込まれる格付から、インタレスト・カバレッジ・レシオや債務償還年数等をより直接的に織り込んだリスクウェイトへの規制変更だと思われる。また、金融政策と金融機関規制は一元的に独立した中央銀行で行われる様になるのかもしれない。バブルが起きると自己資本やソルベンシーが大きく毀損して、結果的に零細資金が危機に晒される為、零細資金の保護という伝統的な観点からもこの規制の導入はサポートされるだろう。
 グリーンスパンは、「我々は人間としてそれほど明敏ではないということだ。」という実に雑な一言でこの金融危機を総括したが、人間はその愚かしさゆえに伝統的な金本位制に戻るしか無いという結論に至る前に、我々はもう一度くらい、中央銀行の権限を正しく整理して、過度なミンスキー過程の振れを防ぐ手立てを考えてみてもいいだろう。