オーバーパーの世界への復帰

 オーストラリアのANZが英国の銀行であるRBSのアジアリテール網を買収するという報道が出ていた。金融危機後の回復過程としては、一つのマイルストーンだと思う。これまで、米系投資銀行を巡る再編や、ドレスナー−コメルツの様な国内固めをするM&Aから、ついに外に目を向けたストラテジックなM&Aが起きたということである。台湾、インドネシアシンガポール、香港、フィリピン、ベトナムにまたがる54支店に200万のカスタマーベースというオペレーションに、約7000億円の預金と3000億円のローンがディールの対象で、ANZは一挙に国際オペレーションを拡大することになる。
 しかも、報道によれば、どうやら買収価格はプレミアムの様である。US$550mln、つまり約550億円という買収価格は10%プレミアムで、実際のブックバリューは500億内外の様だ。これまで、どのアセットディールも議論はディスカウントからが基本だったから、金融危機後ついに大型アセットがオーバーパーになったというのは、これも一つのマイルストーンであろう。簡単に言えば、金融危機前にアンダーライトしたアセットに簿価以上の値段を付けた、ということだから、もともとのプライシングが適正だったということだし、金融危機後の価値基準が元に戻りつつある、とも言える。また、ANZのPre-tax Pre-provision ROA(業務純益ROAだと思って頂ければ)が440bpなのに対し、このRBSのアセットは270bpだそうだから、ANZは、リターンが自社の平均より低いアセットにプレミアムを払ったことになる。アジア新興国進出の戦略的意味合いを相当感じているからこその値段であろう。
 僕は銀行OBなので、ついつい古巣には苦言を呈してしまうが、このディールをなぜ邦銀は取らなかったのか、不思議に思う。オーストラリアも金融危機の傷が浅い国だったが、日本も同様であって550億のカネが出せない筈はあるまい。日本の市場が少子化に伴って縮むのは間違い無いから、成長性を求める企業は外に向けるべきである。そして、その外とは、ウォールストリートで無くて、アジアなのでは無いだろうか。英国の4大商業銀行がとうに捨てたウォールストリートやシティにおける米系投資銀行勢への真っ向勝負戦略に、日本の商業銀行が挑むのは、僕にはどうにも違和感が拭えない。
 具体的には、三菱東京UFJがモルガン=スタンレーに9000億に上る巨額なマイノリティ出資をしたが、これは純投資としては比較安値の時に入ってるから、将来的なアップサイドはあると思う。しかし、ストラテジックなお金の使い道としてはどうだろうか。完全に買収して傘下に組み込むならまだしも、マイノリティ出資では、日本拠点統合以上の効果が出る気は全くしない。しかも、この統合の効果に疑問が残る。日本のメガバンクの戦略は、ここ20年位日本の強力な事業法人カバレッジの上に、法人向け金融プロダクトをクロスセルする以上のものでは無く、その延長線上に証券子会社業務の充実があった。ただ、三菱には既にそれなりにちゃんとした三菱UFJ証券というビークルが有るから、モルガン=スタンレーの日本法人が、その意味で追加的に三菱の顧客に提供できる法人向け新プロダクトは余り多く無いのではないだろうか。メリハリの効いた報酬制度に基づいた強力なプッシュセールスとプロアクティブさは外資特有の強さだが、三菱の銀行サイドのカルチャーがそれを受け入れるとも思えない。よって、三菱の出資は純投資以上の大きな意味合いは出ないのでは無いかと想像する。これは、海外ではシナジーが出ていそうだが、日本においては角を矯められた感のある野村-リーマンが一つの先行事例と言えよう。
 一方、三井住友による日興コーディアル買収は、三菱のディールと似た部分もあるが、多少性質は異なっている。この買収の中で、三井住友は日興シティグループの引受部門も併せて買収したから、いかにもコントロールの効いて無さそうな大和とのJVに頼らずとも、証券業務の上流から下流まで自前で一貫した業務が出来る様になった。しかし、この効果を見込んだとしても、いかんせん価格が高い。買収価格はトータル5450億、その内2000億前後がプレミアムだと言われている。それだけ払う価値があるかと言うと、僕は疑問である。国内2位である大和証券SMBCでの引受や大和証券ディストリビューションのケイパビリティに大きな問題があろう筈が無いし、リテール銀行とリテール証券のクロスセルに大きな効果が期待できないことは、ここ10年の歴史が証明している。よって、日興を買って得たものはオペレーション上の追加的ケイパビリティではなく、単に言う事をきく証券子会社ということなのである。そして、言う事きかせる(=コントロール)だけにプレミアム2000億の5450億はちょいと払いすぎだと僕は思う。
 三菱は、9000億で外資の血が入った日本の証券子会社JVを手に入れ、三井住友は5450億でJVを脱して自前の証券子会社を作ったということだが、いずれにせよ大変気前の良い話である。乱暴にまとめるなら、半純投資に9000億、コントロールに5450億ということだが、メガバンクはなぜこのお金の一部を、270bpのリターンを持つ、人口という観点でも経済・資本という観点でも成長市場のアジアにアドレスしたアセットに振り向ける発想が無いのだろう。
 メガバンク自身のROAは、業務純益ROAでも50bpが良いとこだから、270bpのアセットは本来垂涎の的の筈である。また、米系投資銀行に真っ向勝負するなら、成否はともかく、野村みたいに完全なコントロールディールとして臨まないと意味が無い。米系投資銀行が、日本市場においてM&Aや引受で派手に活躍し始めた90年代後半から、どうにも日本の銀行は「いつかはグローバル投資銀行」みたいな思考が続き、なにやら宣言をしてしまったメガバンクまで出て来ている。日本には金融テクノロジーが足りないとよく報道されていたが、投資銀行業務においては、瑣末な金融テクノロジーより、引き受けた商品を買ってくれるグローバルな投資家網や、大型案件を抱えられる資本の方が遥かに重要である。日本の銀行の資本の質は決して高くないのは報道の通りだし、その意味でモルガン=スタンレーを丸ごと買収なんて物理的に不可能なのはよく判っているが、それなら別に投資家網も手に入らない様なマイノリティ出資に行くより、他にキャッシュと資本の使い道があるのでは無いか。その意味で、リーマンのアセットで無く、オペレーションだけ引き継いだ野村は、資本を使わずに、うまくコントロールだけを手に入れたと思う。今となっては、そんなオペレーションだけ買える様な機会はもう無いから、現時点で邦銀の資本とキャッシュの使い道を考えるとすれば、バークレーズ、HSBC、或いはカリヨン、今回のANZなど、欧豪の商業銀行を見習って、商業銀行としてブックを使いつつ収益性を高める高度化と地理的エクスパンションを進める方が、遥かにかかるカネもコントローラブルで、業務的に成功可能性も高い様に僕は思うのである。