輸出倍増計画の衝撃

 オバマが発表した輸出倍増計画は衝撃だった。遂に米国まで外需を頼りにするとは世も末である。考えてみればロジカルであって、国民可処分所得から民間消費と政府消費を引けば貯蓄となるが、民間の中の個人と政府が過剰負債になっているアメリカは、貯蓄を増やして負債を返済しなければいけないが、そうすれば消費(=内需)が減るから、その埋め合わせは外需に求めざるを得ないのである。ただ、ロジカルではあるし、一時的な話かもしれないが、先進国において、モノづくり&輸出という貿易偏重の日独モデルとは違うモデルを志向していた米国が、その選択と集中を取り止めて、やっぱ作れるもんは作っていかないとダメよね、と方向転換したのは、一つのモデルの崩壊として衝撃は大きい。
 あと、今年の学生の仕送り水準が不況の影響で低下して、月74,060円と1985年の水準に戻ってしまい、仕送り無しの学生も10%を超えた、という寒いニュースが1ヶ月位前にあって、これにも衝撃を受けている。このニュースを見たのを契機に、果たして日本人は本当に貧しくなっているのか、地方が負けゲームになっているのは何故か、というのを色々と考えていたのだが、オバマの輸出倍増計画はその思考に更なる変数を与えた。
 いま、米国は再度のジョブレスリカバリーの局面に入っている。リカバリーと言っても回復が鈍いのは、リストラによる生産性向上があるがゆえに、サプライサイドで雇用が増えておらず、雇用が増えないのでディマンドサイドで消費も増えない、という罠にはまっているからだと僕は見ていて、これが米国民家計の負債返済に続く内需盛り下げ要素だと思っている。一方の日本は、これまでは数十年に亘って世界的に珍しい完全雇用に近い状態を維持できており、これが中流層の形成と、地方の豊かさに繋がっていた。ポイントはなぜ完全雇用だったのか、ということである。
 要素の仮説は3つ位あって、1つは日本は戦後はずっと成長性のある国だったので、雇い主に前もって人材確保して雇用を増やすインセンティブが働いていたこと(インフレ期待みたいなもんである)、2つめは相対的に貧しく輸出競争力が有った時代は外需で人が雇用できていたこと、そして3つめが日本はずっと叫ばれている様に工業生産以外の生産性が極めて低い国だったので、結果的に人を多く雇用することで需要をカバーしていたことである。実は3番目の要素が結構大きかったのでは無いだろうか。国全体が高コスト体質だったので国民を遍く養えていた、という発想である。これが正しければ、その状態から、第三次産業においては、イオンの出店によって商店街や地方卸が滅びる様に、流通の効率化や資本の大型化によって生産性が自律的に上がって職が失われ、第一次・第二次産業は世界的なトランザクションコストの低下によって、途上国・中進国との一大競争に巻き込まれて賃金水準を切り下げるか、国内生産が維持できなくなって職が失われた。よって、完全雇用状態は遠くなり、全体として国民可処分所得が伸び悩んだ、という整理が出来る。
 生産性の向上が雇用を圧迫するか、という問いにはまだ経済学では答えが出ていない様だ。生産性の向上は、少なくとも需給ギャップは拡大させない、ということではあるが、himaginaryさんのこのエントリを見るに、

○生産性上昇がGDPギャップを拡大した・その2 /himaginaryの日記

 生産性向上が継続した場合は、雇用が受ける影響は不透明、というのがシカゴ連銀総裁としても精一杯の見解の様である。米国の第三次産業は究極まで効率が上がっているので、技術革新などが生産性向上のキードライバーとして挙げられているが、日本の地方においては、かつての高コストな前近代的システム(商店とか町工場とか土建屋とか)が、徐々にモダンなシステムに変わるだけなので、かなりファームかつ持続的な生産性向上がずっと発生していたと思われる。僕の考えだが、結果として見る限り、この様な生産性向上は地方の潜在成長率を上げた様には見えないし、需要サイドがボトルネックになって、結果的に雇用をスクイーズしたのでは無いだろうか。
 国民経済計算を見る限りでは、国民可処分所得は平成3年位から変わっていない。一方で高齢化に伴ってか、民間最終消費は増えているので、結果的に仕送り原資となる単年度貯蓄が減る、というざっくりとした整理しか出来ない。しかし、上記の地方における生産性向上に関する考えが正しければ、80年代から高コスト体質の是正の掛け声と共に行われた規制緩和によって、日本は全国的に生産性の向上が発生し、代替産業の無い地方では雇用や所得水準が圧迫され、新しい産業が集中している都市圏ではうまく雇用が他の産業に吸収できたので、相対的に都市に対して地方が貧しくなったのが、仕送り減額の要因と考えることが出来る。
 オバマ構想は、そういう苦しい地方に更なる打撃を与える話に成り得る。米国は農業国でもあるから、農産物の輸出によって打撃は必ず受ける。また、米国は負債があるから、それをファイナンスする為に強いドルを必要とした国であった。ポンドも、負債があるからでは無いが、基本的に強い通貨だった。それが、輸出を多少強化しようとなると、基本的には通貨には切り下げバイアスがこれまでより働くことになる。通貨が切り下げられると、米国市場においても、米国産品との世界市場での競合という意味でも、日本からの輸出はより厳しくなる。そんな事を考えたら、来る2010年代とは、グローバルに米国まで参加した輸出市場の取り合いと通貨のソフトな切り下げ競争という、重商主義の時代へ先祖返りした様な時代になるイメージが湧いた。地方の雇用を支える第二次産業には不安要素である。そうならない場合のカタリストは、中進国通貨の想定以上の切り上げによる輸出競争力の低下と、石油価格が再び高騰して、移動コストが上がり、経済における「距離の概念」の復活が起きるかの2つであろう。また、敷衍して考えれば、冒頭に一つのモデル崩壊と書いたが、結局先進国も外需無しには国内の雇用が守れない事が明らかになりつつあるのかもしれない。
 さて、最後に、もしこのエントリを読んだ方で経済に詳しい方がいらっしゃったら教えて頂きたいのだが、国民経済計算の中で、1)国民のレバレッジ増減による消費の増減、2)資産効果による消費の増減は、民間最終消費支出の増減としてだけ捉えられ、他の項目には現れないという理解で良いのだろうか。これが判ると、貯蓄率の意味も含めて、先進国が食べる方法について、もう少し論考が深まる様な気がしている。教科書をひっくり返してみたものの、なかなかto the pointで回答が無い。僕は実は法学部出身で、経済は銀行の市場部門に居た頃、市場を動かす経済政策を理解する為に必要に駆られて学んだ程度なので、ご存知の方がいらっしゃれば、是非ご教示お願い致したい。