服部家、或いはお屋敷というものの没落

 たまたまダイヤモンドを見ていたら、冒頭が服部セイコーグループのすったもんだだった。ご存じ服部時計店である。リーマンショックで本業の時計が赤字になった上に、銀座4丁目の日本で一番地価の高い交差点に聳え立つ和光もずっと赤字で、一行丸抱えメーンバンクのみずほCBが、1,420億に上る有利子負債削減に向けて動き出したという記事であった。その中の一節にこんな下りがあった。

みずほCBは、リストラ資金の確保と有利子負債の削減の実行を求めた。そのため、東京・港区白金にある服部一族の不動産管理会社が所有する土地・不動産を売却することが議論された。これで300億〜400億の売却金額が見込まれる。

 多少不動産の相場感覚がある方なら、住宅地の不動産が300-400億というのが尋常で無いというか、有り得ない値段である事は判るであろう。都心の繁華街にあって、容積率も高い三越池袋店の売買価格が750億である。同じく都心で一つの街を形成するほど超広大な東京ミッドタウンで底地は1800億だ。数十億を超える土地取引は基本的に商業用不動産であって、居住用不動産の単位では無い。幾ら江戸時代の大名屋敷から歴史を紡ぐお屋敷街とはいえ、そんな有り得ない土地は一体どこなのだろうか。僕はかつてシロカネーズだったので土地勘はあり、まず間違いないと思うが、この地図の真ん中にある四角い森に囲まれた土地であろう。


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 一戸建てなのに周りのマンションよりも数倍大きい時点でその大きさが計り知れると思うが、google mapベースでは一辺が200m位はありそうなので、おおよそ4ヘクタールである。ヘクタールで測る時点で、単位が住宅じゃなくて、どっちがどっちだか忘れがちなコルフォーズとかソフォーズとかの農地の域である。実際の風景を追うと、準工業地域で雑然とした白金の北里通りから、三光坂を上がると、別世界の閑静な古いお屋敷街が始まる。坂を登り切ると、左手に圧倒的な大きさのクラシックな土塀と森に囲まれたお屋敷があるのに誰もが気付くであろう。表札には、三光起業とある。これが服部家の資産管理会社なのである。
 記事が事実であれば、この土地はいずれ売りに出されるのだろうが、僕には他人の不幸を喜ぶ悪趣味は無いので、一言で言って非常に残念である。きっと売られた後は、無味乾燥なマンションが建つのだろうし、それが経済合理性ってもんである。それは投資を生業とする者として当然理解しつつも、僕は、この土地には、無名のマンションが建つんじゃなくて、Fujifilmと並んでおそらく世界で最も知られた日本ブランドであるSEIKOを育てた服部家の栄光を無言で語り続けて欲しいと願う。また、他のお屋敷街、例えば松濤でも成城でも、大きなお屋敷から相続税を払えずにマンションに変わっていくのが見受けられる。お屋敷という概念自体が日本から消滅しつつある状況なのである。それもまた言葉や概念の多様性という意味で、非常に残念なことだ。平等は確かに重要な概念だけれども、平等の究極の行き着く先は無個性である。
 格差社会なんて言うけれども、こういう圧倒的な格差は逆に楽しむべきものである。東京在住の皆様、あるいは東京に観光に来た皆様、時間が有ったら是非三光坂を上って、このお屋敷が無くなる前に、その存在を自分の目で見てくることをお勧めする。実際、僕は何人かの友達を見物に連れて行った事があるが、その土地がお屋敷である事を説明した瞬間に、みな「すげーっ」と息を呑んでいた。4ヘクタールとは40,000㎡だが、僕が全財産を投げ打っても白金だったら30㎡のワンルームマンションも買えない。買えたとしても、40,000対30ということは実に1300対1である。スリーハンドレッドで有名なテルモピュライの戦いでも、300人のスパルタ兵に対して10万人のペルシャ兵なので格差は300対1である。僕と服部家の戦いは、レオニダス王とクセルクセス王の戦いより更に4倍以上厳しい状況なのだ。
 与太話はともかく、しょーもない比喩で表現したかったのは、とにかく家という既成概念を超える大きさだと言うことである。勿論外から見るだけだが、このお屋敷は、六本木ヒルズなんかよりずっとエッジが立っていて、観光として成立し得る域に達していると思う。築地なんてのは、初めから観光名所として存在した訳では無く、業務の純化の果てに人の興味を惹く存在になったのだと理解しているが、この服部家のお屋敷にも、そんなスケールが間違いなく存在する。周囲は極めて閑静な住宅地であることに留意が必要だが、足を運べば服部家の昔日の栄光が感じられると思う。