岡田ジャパン代表発表と弱さの本質

 岡田ジャパンの日本代表が発表された。12年前はカズを外した監督が、今回は川口を入れた。12年間に色々きつい経験もしたのだろう。12年前の岡田ジャパンで日本人最初のW杯ゴールを決めたのはカズと同世代の中山だった。トルシェもサプライズで中山を入れた。今の岡田ジャパンに中山は居ない。昔のジュビロ磐田は、点を入れられてうつむくと後ろからドゥンガが喝を入れてチームを鼓舞していたが、川口もそういう喝を入れられる選手だ。川口がピッチに立つことは無いだろうけど、ベンチからでもガンガン喝を入れて欲しい。戦術的ピリオダイゼーション理論というのもあるが、サッカーとはカオスであってフラクタルなスポーツである。カオスであるなら、バタフライ理論の通り、初期値の意味が大きい。「押され気味の時の士気」の初期値の差が、結果としての大きな点差に結びつく可能性はある。従って、異常な精神状況になる事が多い大舞台では、精神面にインパクト出来るというのは選手として一つのスキルなのである。
 僕は、ある時期スポーツ紙のサイトにサッカーのことを寄稿させて頂いていた時期もあったけど、リーマンショック前後で仕事が忙しくなって、とても仕事と同じ脳味噌を使って文章をひねる余裕が無くなったのと、岡田監督になり、サッカーの底が浅くなって、面白い分析が出来なくなったのとで、サッカーからは大分離れている。なので、代表23名が最近どんなプレイをしているかを詳しく知っている訳では無い。そんな前提だと前置くけれども、選出結果そのものは順当だと感じた。前田や小野みたいな選手が落ちたが、こういう万能だが一芸に突出しない選手は日本人好みかもしれないが、強者の選択であって、弱者の選択にはならない。ただ、これでグループリーグを勝ち抜けるのかと言われれば、戦術というソフト面における課題は依然として解決できていないし、選手のセレクションによって解決できる課題でも無いから、かなり難しいのではないかと僕は思っている。
 ジーコジャパンの時代から、僕は日本サッカーの課題は大きく2つだと指摘してきた。1つはサイドアタッカーの不存在であり、もう1つは攻守の切り替えの遅さである。前者はこの数年で大きく改善し、岡崎や本田、或いは松井の様なプレイヤーが育ち、中央よりもサイドから点を取れる様になってきている。古くさいファンタジスタ至上主義から脱却したのは、オシムから岡田ジャパンの時代における日本の大きな成長である。ただ、後者はまったく解決の糸口が見えない。
 サッカー日本代表のフォーメーションは、トルシェ時代の3-4-1-2、ジーコ時代の4-2-2-2をその嚆矢として、伝統的に4列で構成されている。岡田ジャパンも基本は、4-2-3-1であって、これも4列である。今の世界のメジャーを1つだけ挙げるのは不正確なのを承知で言うが、代表例はオランダやバルサ式の4-3-3で、これは3列である。当然、3列の方が縦の幅は狭くなり、逆に単位あたりの密集度が上がる。グループリーグでは、3-4-3の時代から歴史的に3列布陣をお家芸とするオランダと同じ組に入ったが、間違いなくコテンパンにやられるだろう。勿論、個人技やフィジカルにも明らかな優劣がある。だが、個人技やフィジカルの多少の差異では思った程点数の差が出ないのもサッカーだ。それでもコテンパンにやられるだろうと思う主因は、個人技やフィジカルに勝るオランダの方が密集度が高く、この点に劣る日本の方が戦力的に薄く分散している点である。これでは局地戦で勝てる訳が無い。
 日本の伝統的な4列フォーメーションは、日本人プレイヤーが概して攻守の切り替えが遅いことに対応した結果だ。最初から攻めも守りもできる様に縦の距離を広く取っている。だから、日本がいきなり4-3-3の陣形を引いても逆効果だ。4-3-3というのはピッチに極めてうまく人を分散させるフォーメーションであり、普通にプレイすると人が分散するがゆえに散漫なフォーメーションになる。その集中の無さを全体に縦の幅を縮め、攻守の切り替えを早くして補ったのが、現代の4-3-3だ。攻守の切り替えの早さというスキルがあっての、4-3-3なのである。また、最もモダンなサッカーは更にフォーメーションに意味を持たせず、相手の攻め手の数と横幅によって、柔軟に守備人員を絞って攻撃を増やしたり、プレイヤー同士の間隔を広げたり狭めたりする。サッカーというのはフラクタルだから、短い時間単位によるプレー毎の攻守の切り替えもあるが、もう少し長い時間単位、例えば5-10分単位での攻め時守り時の切り替えという概念もある。流動的なフォーメーションというのは、こちらにもミートする回答である。
 日本のサッカー教育は、概してプレーの要素還元的だ。ミニゲームや紅白戦を目標として、筋トレ・ドリブル・シュート等のプレーの構成要素を反復練習していく。これは基礎的なスキルを身につけるには早道だ。しかし、「攻守の切り替えの速さ」というのは、個人で行うプレーで無く、敵との関係性によるゲームの要素である。こういったゲームの要素を学ぶには、ミニゲームや紅白戦といった言わばセミ本番だけでは量的に不十分で、それそのものを要素還元した固有の練習をこなす必要がある。日本人プレイヤーが、全体的に攻守の切り替えが遅いのは、こういったゲームの要素を還元した反復練習をすることが少ないからだろう。
 プレーが連続しておらず、カオスでない野球は、プレーの要素還元的練習でゲームが成り立つ。走塁、打撃、守備は別のプレーだ。しかし、カオスであるサッカーは、プレーを超えてゲームの要素そのものを練習しないと、ゲームが成り立たない。そんなサッカーの練習が要素還元的なのは、日本のスポーツ界が、依然として野球的指導思想に影響されている証左と言えるし、それはサッカーにとっては災難であったと思われる。ちなみに、オシムは7色のビブスとか複数ボールとかの練習法で話題を呼んだが、これはプレーの速さや沢山の選択肢を用意する事といった、攻守の切り替えと同様の、ゲームの要素を還元しての反復練習であったと僕は理解している。
 日本が、もし本当にW杯で上を目指すなら、日本人監督による日本サッカーの純化では無くて、こういうゲームの要素を還元して練習に取り込み、海外並みに攻守の切り替えの速度と質を上げることが必須だろう。日本がどうしてもポゼッションサッカーや遅攻になってしまうことや、「動きの質」とか「マリーシア」とか「連動性」とか「視野の広さ」といったええ加減なバズワードが指し示すものが常に不足していると言われることの原因は、要はこのゲームの要素のスキルが日本人プレイヤーに乏しいことに全て尽きていると僕は思う。また、これらのええ加減なバズワードのそれぞれの質が、サッカーにおけるフラクタルのパターンであって、それが合成されてチームのリズムを形作っている。よって、これらが変われば、日本代表特有の単調なリズムも変わる筈なのだ。
 話は岡田ジャパンに戻るが、今から練習しても攻守の切り替えは早くはならない。従ってグループリーグも厳しいと思うのは上で述べた通りだが、1つだけW杯に向けて何か策を挙げるなら、局地的な攻撃の集中は意識しても良いと思う。対戦相手が4-3-3であるなら、幾ら縦の距離を縮めても、4-2-3-1におけるセンターMFの「2」の部分や、4の両サイドと3の両サイドが作る「2」とかの局地的に濃い所は無く、全体に分散しているのは間違いない。それなら、相手が縦の距離を縮める以上に特定のどこかに戦力を集中させれば、局地的な数的優勢を作れる可能性がある。また、ある所に注意が集中すれば、それとは遠い所にスペースが生まれるのがサッカーである。後者はデシャンが得意としたパターンだ。横幅で言えば、かつての日本は優秀なサイドプレイヤーが不足していたので、結果的にどちらかのサイドに偏ることが多かったが、そうでは無く、両サイドに良いプレイヤーがいる現在では、組織的・意図的にどちらかを攻めるというオプションは有って良い。欧州サッカーでたまに見られる、あえてフォーメーションをシンメトリックにしない、というのも弱者の戦略としては十分有り得る。ミラン相手ならピルロの所に数的優位を作るのは常套手段だし、ジーコジャパン初期は三都主の所を良く狙われた。今回の23人の選手は、サイドにもセンターにも人材豊富だから、漫然とがっぷり四つに組まず、どこかを意図的に攻撃するという戦略的集中が自在に出来る筈だと僕は思う。トルシェは、日韓W杯決勝トーナメント初戦において、トルコの左サイドがチャンスだとして、三都主をFWで起用した。当時の日本のサイド攻撃は、左サイドハーフの小野一人に負っていたが、トルコ戦においては小野と三都主という二枚を左に揃えて集中攻撃するという意図は正しかったし、ある程度機能したとも思う。ただ、残念に思うのは、その様な機会を想定した練習や実践を行っておらず、明らかにぶっつけ本番であったことである。岡田ジャパンはラッキーだ。敵は明らかな上に、時間はまだ残っている。そして国民の期待値は余り高くない。