当たり前の守備的サッカー /日本1-2イングランド 

 暫くツイッターで遊んでたら6月になってしまって驚いた。またもやサッカーネタなのだが、勿論先週末のイングランド戦である。イングランドの得点は2点ともオウンゴールで点を入れられなかったからか、試合後ネットには、何やら「よくやった感」が漂っている。オシムも褒めている。しかし、僕的には、はてコンディションの悪いMFを約1名使わなかっただけで、何か他に変わったのかと、その雰囲気には疑問を呈するばかりである。得点はセットプレーだ。流れの中で完全に崩せたシーンは一度もない。守備もどん引きしてただけで、カペッロにフォーメーションは9-1かと皮肉られても仕方の無い状況であった。
 イングランドの戦術は明確だった。日本の過去の試合を一度でもビデオで事前研究したなら、誰もが後半残り15分、日本が走れなくなってきた頃まで体力を温存するのを選ぶだろう。イングランドもそう思っていたに違いない。前半のイングランドは、カペッロ監督の母国の匂いを濃厚に漂わせた。深いディフェンスライン。ペナルティエリアにボールが近付かない限りは無理に追わず、各自が持ち場を強固に守って前線のスペースを消す。攻撃はカウンター中心で、ルーニーとかランパードとか、一部のフィジカルモンスターに任せ、守備を手薄にしない。まさにカテナチオのコンセプトそのものである。オランダとかイングランドとか、3列の布陣を引くチームは大抵ディフェンスラインが浅めなのだが、今日のイングランドは深かった。
 反動で、ハーフウェイライン周辺にスペースが出来るのは必然である。日本はそこでボールを持たされていた。ルーニーはボールを前線からチェイスしなかった。持たせて体力を温存していたのである。前半の方がポゼッションが高い様に見えたのは日本の実力では無くて、イングランドの選択である。イングランド相手にボールを回せたという選手のコメントも見たが、ある意味当然の話である。それをイングランドがさせたのだから。別にこの様な戦術は不思議なものではなくて、欧州ではむしろ主流の戦術だ。チャンピオンズリーグの決勝で敗れた後、バイエルンのファン・ハール監督は負け惜しみもあって「攻撃的なサッカーを貫くのはバイエルンバルセロナ位」「インテルは守備的」とコメントしていたが、ボール持って、選手が流動的に動いて勝負する、今の日本が目指している様なサッカーが出来るのは、欧州の中でもバルセロナバイエルン位であって、むしろこの日のイングランドは常識的なサッカーをやっているに過ぎない。ただ、イングランドにとって誤算だったのは、守備的でいた時間帯に、セットプレーで一点が日本に入ったことだろう。セットプレーは博打だから、どのチームにも一定の確率で点が入るのは已むを得ない。
 日本に点が入ったこともあって、後半はスタートからイングランドはペースを変えてきた。ディフェンスラインをぐっと上げ、ハーフウェイラインの直ぐ後ろ位まで上げると同時に、ルーニーやフィリップスが日本のDFのチェイスを始めた。これによって日本は、バックラインで危ないシーンの連続となった。DFが苦し紛れにロングボールを蹴って、ディフェンスラインを上げて中盤の密度を上げたイングランドにそのボールを拾われる、というシーンを何回か見た後、日本のMFはズルズルと下がり、最後は岡崎を残して9-1のフォーメーションになってしまった。その後は目も当てられず、9-1の密度で守ることには慣れていないから、ボールに3人も詰めて、イングランドの選手をフリーにしたり、守るなら守る練習が出来ていないことを伺わせた。また、岡崎はスピードが有って、裏を取って少ないタッチでシュートまで行ける選手だが、キープ力に突出している訳では無い。岡崎の様な選手はある程度ビルドアップが出来て、意図を持った正確で鋭いパスが出せないと生きないものだ。本戦でもどん引きする時間帯はあるだろうが、こういう時間帯でFWに出るボールは余り正確でない超ロングボールだろう。その時必要なFWは、ゴールへの能力というより、ボールをキープして、味方の攻め上がりを待てるタイプだ。田中達也でもいいし、前田でもいいかもしれない。残念ながら今の日本代表にはその選択肢が無い。
 一方のイングランドのFW采配は、ヘスキーを入れて、ルーニーを2列目に下げるというものだった。この意図は明確だ。どん引きされて、足元にスペースが無くなってきたので、背が高い選手をトップに入れて、高さを使える様にすること、及びルーニーマンマークに晒されず、スペースのある2列目で使うことの2点である。結果は出なかったが、イングランドが、弱い相手が全員守備で来た時をある程度想定して選手をセレクトし、戦術を組んでいることは容易に理解出来た。
 僕は、この大会の選手層をそこそこ良いと思っている。黄金の中盤とかで浮かれていたジーコジャパンの頃より質は上がっている。サイドアタッカーサイドバックも充実した。本田や長友は素晴らしいプレイヤーだ。しかし、そのプレイヤーを生かす監督の戦術は戴けない。日本にはフィジカルモンスターが居ないから、グアルディオラバルセロナ型の流動して連動する攻撃サッカーという発想なのだろうが、短い時間でチームを作り、かつ相手が強いW杯では、まず守ることから発想すべきだ。かつて、日本には守備の文化が無いと言ったのはトルシェだったが、この言葉はサッカーへの理解が進むにつれ、じわじわと得心しつつある。文化とは即ち共通理解だが、確かに日本の守備は個人技の域をまだ脱していない。MFがプレス掛ける時のディフェンスラインの位置取りはちぐはぐだし、持ち場やマークの受け渡しが徹底されておらず、人数が揃っている割にフリーの選手をよく作る。日本が得意なボールの取り場はボランチの前か横だと思うが、そこに全員で追い込む意志が感じられない。日本の守備にあるのは、中澤の高さ、闘莉王の強さ、今野や戸田のボール奪取の巧みさといった、個人技・職人芸だけだ。
 サッカーとは常に攻守が並行したり、連続したりするスポーツだ。ドリブルで突破する選手は、同時にマイボールを守っている。ボールを取った次の瞬間が最強の攻めのタイミングだ。守ってボールを取る事が即ち攻めを作ることなのである。野球の様に守りは防戦しか出来ない訳では無い。9-1で守っていたら攻守は連続しなくなるが、普通の守りが出来れば、攻めのきっかけが生まれる。守備的サッカーとは、守備だけするサッカーという意味では無い。ボールを取れば攻めが出来るし、ボールをペナルティエリアから遠ざければ休めるがゆえに、ボールを取ったり、ボールをゴールから遠くでコントロールしたりといった、守備の要素から戦術=コンセプトを発想するサッカーと定義すれば理解が容易い。この日のイングランドのサッカーは実に守備からコンセプトが発想されていた。前半はラインを下げ、日本を中盤で走らせて疲れさせた。後半はボールを取る為にラインを上げ、前線からチェイスを始める守備を徹底させた。守備を徹底したが故に後半は一方的に攻めれたのである。
 イングランドはサッカーの母国である。そのイングランドも、カテナチオの国の監督を招き、かく守備的サッカーを磨いている。本来岡ちゃんとは、ある意味つまらない守るサッカーの人だった筈だが、協会がそう求めたのか、いつの間にか「駒が揃えば出来る理想のサッカー」を指向する様になったと見える。世界には勝利の為に洗練された守備的サッカーがある。日本人、或いは日本のマスメディアが好むヒロイズムとは距離が遠くなるが、リアリスティックに勝ちを追求するには、そういうつまらないサッカーを学ぶべきだ。そう改めて感じた90分だったし、それを学べば選手の能力的には意外にW杯ベスト4という目標は近いとも感じた。テリー伊藤が指摘する様に、日本人の大半は落合が嫌いだけど、勝つには落合流の合理的なつまらない守備的プレーがサッカーにも必要なのである。
 そんなすごく広い意味での収穫は有った試合だったが、残念なことに本大会は迫ってきた。この大会については、コンセプトの修正はもう不可能だ。前にも書いた通り、対戦相手に合わせた細かな試合毎の対策で勝負するしかあるまい。あと、チームコンセプトとして、グアルディオラバルセロナ型が攻撃のコンセプトとして不変であるなら、前線でボールをこねる選手は不要だ。速い選手を前線には揃え、ボランチのビルドアップと組み合わせた方が遙かに良いし、コンセプトに合っている。セットプレー?セットプレーにおける中村俊輔がチームの攻撃の第一選択なら、そもそもバルセロナ型を目指すべきでは無かったし、その点はイングランド戦はきっちりと整理されていたと思う。選手からの発想か、戦術からの発想か。コンセプトをどちらかに絞るというのは、監督にとって最初の仕事である。今回岡ちゃんは、セットプレーの変化や守備的サッカーを捨て、理想の攻撃サッカーというコンセプトに絞ったということだ。僕の目には、そのコンセプトは後半イングランドが守備を締めただけで通用しなくなった様に見えたが、ここまで来たならしょうがない。後は祈りのスキルを上げるのみである。