Day-2 灰色の男の世界

 エティハド航空の機体はA330だった。ニークリアランスや食事のパンの質など、僅かな部分でエミレーツには及ばないと感じたが、十分満足できる水準である。大昔のノースウェストや大韓航空とは比べるべくもない。機内の映画はVODだった。見たい時に好きなのを見れるこの方式は優れている。ハリウッド映画はそれなりに最新作が日本語吹き替えで見れる。インセプション、ソルト、食べて祈って恋をして、など。1億2000万人の日本語話者の数の力に感謝である。しかし、アジア映画というジャンルを見たら、インド映画と韓国映画、そして少数の中国映画に埋め尽くされており、日本映画は一つも無かった。韓国人は韓国映画を見て、日本人はハリウッド映画を見ろという事か。ベネズエラの長距離バスの車内映画も韓国映画だったから、韓国の映画を売る力は大したものなのかもしれない。
 12時間の余の長距離フライトだったが、エコノミークラスでもそれなりのスペースがあったので、ご飯食べている時以外はぐっすりと眠れた。こんだけ寝れるなら機内映画がVODでも何の意味も無いのだが。12時間のフライトで、着いたアブダビでは9時間のトランジットである。一瞬、空港の床でゴロ寝という誘惑がアタマをよぎったが、それを振り払って、transferでは無く、immigrationの方に向かった。朝4時半のアブダビの街に観光に繰り出す強行シティツアーである。アブダビの市内地図は空港のターミナル1の判りにくい場所にある(i)にあり、これをゲットすると、時間もあるし、どうせ早く着いても何にも無いだろうから、公共バスでストイックに街を目指すかと考えた。しかし、どうにも冬の砂漠は寒く、屋外は10度を切る有様である。ちょっと風邪気味な事もあって、自然と足はタクシーに向いた。実は、2003年にタンザニアオマーンに行った時、オマーンに備えて当時アラビア半島諸国版の「地球の歩き方」を買っており、コンテンツは古いが、今回この「歩き方」のアブダビ部分をスキャンしてpdf化し、iPhoneに入れて持ってきていた。そこには、タクシーは市内まで70ディルハムとある。約2000円という所か。しかし、着いてみたら55ディルハムであった。ガイドブックが間違いなのだろうが、ガイドブックに書いてある値段以下で空港から市内まで行けたのは余り無い快挙(?)であった。
DSC_2516
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • ATM戦隊参上!ATMレッド!ATMグリーン!(以下略)

 朝6時のアブダビ市街地は本当に何も無い。出稼ぎ労働者と思しきインド人、パキスタン人、カザフスタン人、スーダン人等がTシャツ一枚で寒空の下バスを待っていたりしたが、街自体は眠っている。アル・フスン・パレスなる古い宮殿ながら、何の感慨も湧かない代物とその近くのモスクを見物した後、朝ご飯を食べる事にした。ホテルなら朝7時前なら朝ご飯を食べれる時間帯の筈だ。アブダビのホテルと言えば、エミレーツ・パレス。ドバイはバージュ・アル・アラブという自称7ツ星の近未来的なホテルを作ったが、それに対抗してか壮麗な城みたいな代物をアブダビは作った。東京と大阪の意地の張り合いみたいな世界でドバイとアブダビはバブって行く。さて、バベルの塔ならぬバブルの城は、それで一つの観光名所として成立しているけど、機内をゆったり過ごす事を目的とした我が服装は今ひとつドレスコードにそぐわない気もする。多少の不安と共に、3km手前から視認できる馬鹿げた現代の城の山門に、葦毛の名馬ならぬトヨタ製タクシーで乗り付けたが、堅く山門は閉ざされておる。「頼もう!」と声を張り上げると、怪訝な顔をして色の黒いインド人が現れた。さては信長の手下、弥助が黒人からインド人に変装したか、油断のならぬ奴と思いきや、さにあらず。あっさりレストランは10時からだとのつれない返事をぬかす。どうやら朝は宿泊客エクスクルーシブの時間帯らしく、服装がそぐうそぐわない以前の話であった。東方ははるばる数千キロの彼方よりやって来たというのに情の無いことである。諦めて、近場のヒルトンに転進し、がっつりとブレックファスト・バフェを平らげた。
DSC_2520
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 極めてイスラム的な明け方の月の形。

 飯を食った後、今度はタクシーで無くて公共バスで市街へ戻った。この公共バスは車体の後ろや中間の乗降扉ではプリペイドカードらしきもので払い、運転手横の前部扉は現金払いと、乗る場所によって払い方が分かれている。どうやら1ディルハムの固定料金の様だ。空港で両替して、タクシーに乗り、そして朝ご飯をカードで払ったばかりなので、小銭が無い。よって、5ディルハム札を出してみたが、お釣りが無いのでカネは要らんとのこと。おそろしくええ加減なシステムである。最初から市内交通で採算を取る気は無いと見た。この後、3回バスに乗ったが、毎回5ディルハム札をちらつかせ、毎回タダで乗れた。別に30円をケチっても嬉しくも何ともないが、何となくこういう発見された勝ちパターンは何回か試してみたくなる。
Sunset at Abu dhabi marina
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • ぱっと見、東京と余り変わらない。マリーナの朝。

 アブダビに来たからには、SATC2の様に、「アブダービ!」と叫びたいのだが、候補1のエミレーツパレスは追い払われたので、候補2である古い市場に行ってみたくなった。が、中心地にあるOld Souqという所は、既にぶっ壊されてり、どうやら巨大な商業ビルを建築中の様である。日本も築地をぶっ壊して開発しようとしているが、同じ様な事をアブダビはやっており、旅人のがっかりを招いている様である。では、他に市場は無いのかと地図を広げてみると、Iranian MarketというのとFish Marketというのが目に付いた。実際暇だったので行ってもみたが、恐ろしくつまらなかったので、特記はしないこととする。結局、アブダビは、「アブダービ!」では無い事が判った9時間が終わり、昼ご飯は空港のフードコートの中東料理コーナーで食べた。空港は最近の世界の空港はどこでもそうだが、極めて無国籍かつ清潔な代物で、これと言って語れるものは何も無い。こういうものを量産するのがフラット化する世界なら、自分はご免被りたい。
dismotivated
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • Iranian Marketで売られていた置物。なんつうか、やる気と根気無くやっつけ仕事感満載。

 さて、アブダビを発つと、カイロまでは4時間という所である。カイロ空港のページを「地球の歩き方」と「Lonely Planet」双方をチェックするとそれなりに客引きとハッスルする空港らしい。最近は、客引きとバトルする所も減ったので、それなりにうざがりながらも楽しみであったが、割とソフトなもんだった。タンザニアのバスターミナルとか、ガイアナのミニバス乗り場とかの戦場の様なハッスル度合いを10とすると、3.5くらいの話である。ハッスル度合いは大した事は無かったのだが、居並ぶ客引きと出迎えの人を見つめていると、体の底からワクワク感がわき上がってくるのを僕は抑えられなかった。そのワクワク感は、80エジプトポンドをオファーする空港内のタクシーを一刀両断にし、徒歩で空港を脱出した後に見つけたタクシーと50エジプトポンドで妥結して、カイロの古ぼけた街並みに着いた後も続いた。街は、灰色の服を着て、灰色の目と髪をした男達で溢れていた。彫りの深い顔、ひげ、煙草の匂い、古いほこりっぽい街並み、女っ気の無さ。レディースアパレルの店や香水、甘味など、普通の国なら女性が店員をやる様な店でも何故か煙っぽいオヤジが店員をやっている。ここは、灰色の男の国の様だ。
 思えば、僕にとってバックパッカー揺籃の地はタイでも西欧でも無く、東欧だった。そこも、こういう灰色の目と髪の男たちの世界だった覚えがある。ハンガリーからブルガリア、旧ユーゴ諸国、そしてコーカサス三国。こういった国々で、灰色の目と髪をして灰色の服を着たオヤジ達に囲まれながら旅行をし、僕は安旅行が好きになり、今に至った。エジプトは東欧では無い。でも、雰囲気は、明らかにそういう国の一翼に連なっている。考えてみれば、僕が挙げた地域は殆どがビザンツ帝国の版図だった。エジプトもそうだ。ビザンツ帝国ってのは、これまで世界史上の記号に過ぎなかったが、急に灰色の男達が作った帝国というイメージが湧きあがった。日本人が想像するヨーロッパとは違うローマ人の国が、かつて東には広がっていた。正教を国教とし、華麗なビザンティン文化を発達させ、そしてイスラムに敗れ、滅びた。その担い手は灰色の目と髪をしていた。正教と言えば、現代では金髪のロシア人が担い手の印象が強いが、もともとはグルジア生まれのスターリンみたいな灰色の男たちが、地中海の東側で発展させたものなのだ。僕がこれから旅をするエジプトは、そんな灰色の男たちの世界の様だった。「そんな灰色の男たちの世界」を最後に旅したのは2000年にアルメニアアゼルバイジャン等のコーカサス三国に行って以来だ。期せずして旅人の原点に戻った気がして、僕はひたすら人には判って貰えないワクワク感に浸っていたのである。
Cairo new city
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • ルーマニアよりはヨーロッパっぽいカイロの新市街。