Day-6 歴史との対話

 カイロに戻り、また安宿に逗留した。かのサファリホテルやスルタンホテルでは無い。カイロのサファリホテル、バラナシの久美子ハウス、サンパウロのペンション荒木、メキシコシティのペンションアミーゴ、シェムリアップのタケオゲストハウス辺りから、選ぶ人によって無作為に抽出された3つが世界三大日本人宿と呼ばれるが、僕は余り日本人宿が好きではない。正確に言うと、好きでなくなった。日本人宿には、なぜか長期逗留者ほど態度をデカく過ごせるという下らない不文律がある。これに、社会人になってから、久しぶりにカオサンのさくらハウスに行って気が付いた。時間に自由の無くなった社会人トラベラーは何泊もしないから、長期逗留者の横暴に対して、隅っこの方に小さくなり、備え付けの「はじめの一歩」辺りを読んで、耐えるしか無いからである。お前のデカい顔なんぞ、デンプシーロールに比べたら屁みたいなもんだと。あの漫画の欠点は、ボクシング漫画で有るが故に、耐えている内にむしろ殴りかかりたくなる事だな。
naked elevator
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 安宿のエレベータは開放空間に綱が垂れ下がるだけである。

 しかし、こういう長期逗留者は、自分がうんと若かった頃は「人生を達観している人」に見えたもんだが、今となっては「日本社会を落伍した人」にしか見えん。落伍もんに不可思議な理由でデカい顔されるとイラっとするし、そう思うことそのものが、折角日本のしがらみをお休みして旅に出ているのに、またそのしがらみの一部たる暗黙の日本人間の個人の値付けみたいなものから全く自由になれていない自分を見つける事を意味して二重に腹が立つ。なので、サファリホテルには興味は有ったが、長期逗留者に耐える精神力が今は無いという自分の心の声を確認して敬遠した。サファリホテルはオールドミトリーとの話だが、そろそろドミだときつい年頃だと言うこともある。
simple door
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 最上階部分はこんな感じで、天井に綱は突き抜け、ドアだけがある。エレベータの箱部分が最上階に来ていない時は、このドアはトラップとしてワークする。

 という訳で個室のある別の安宿にした。別に安宿が好きな訳では無いが、ホットシャワーが使えて、清潔であり、最近では無線LANが使えれば、それ以上の質を僕はお金を払ってまでは求めないというだけだ。また、日本人宿は置いといて、安宿特有のフレンドリーさや、同じ様な旅人の多さ、あとローカルな雰囲気は気に入っている。世界のどこであっても、50$位を境にそれ以上ホテルにお金を払えば払うほど、一般的には無国籍な空間となって旅人の興趣を殺ぐ。典型的にはハイアットとかシェラトンとかの国際的なホテルチェーンである。ただ、300$を越えてくると、無国籍ゾーンを越えて、その国らしい最高のおもてなしが手に入ってくる。昨日柊屋の例えを出したが、柊屋や俵屋に泊まらないなら、中途半端にホテルに泊まるより、その辺の町旅館や民宿に泊まる方が日本を感じられるという事である。ただ、その国のクラシックな部分を知りたいなら、やはり柊屋・俵屋みたいな所に泊まらないと判らない事もある。僕は、「またようお越し下さいました」と玄関口で言われたり、泊まった後に礼状めいた葉書を問答無用で送りつけてきたりと、とにかく男をひやっとさせる柊屋のサービスは如何なものかと思うが・・、とこれは脱線であった。
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[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 全室日当たり良好・エアコン完備。証拠付き。

 さて、三が日が明けて4日、ようやくカイロの在エジプト日本大使館が業務開始である。スーダンビザという秘宝を巡るクエストもクライマックスが近付きつつある。遠く日本で、会社の推薦状とか色んな秘宝に繋がる鍵を手に入れたのに、それはどんでん返しで水泡に帰した。次の街であるカイロで、日本大使館からの推薦レターという正しい鍵が手に入り、それがラスボスに繋がる唯一の道というのが、これまでの街の人からの聞き込み情報である。この物語は、殆どドラクエの世界と化していたが、このクエストの途上で、僕のバックパッカーレベルも、高らかなファンファーレと共に上がった気がする。
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[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 古色蒼然たるフィアットが力尽きて、ドナドナされていく。

 一般的に大使館というのは、ダウンタウンの真ん中には無くて、多少外れた住宅地にあるというのが通例だが、当地の日本大使館も例外ではなくて、ダウンタウンからは電車で20分、そこから歩いて20分となかなか遠い。片言の日本語をしゃべるエジプト人衛士に挨拶をした後、領事部で出てきた女性の方に、推薦レターの発行を頼んだ。ある種慣れた依頼らしく、フォーマットが決まっている。僕はそのフォーマットを埋め、求めに応じてスーダンでの想定旅程を書いて提出した。明日の朝の発行となる様だ。事前の街の人の聞き込みからすると、推薦レターもスーダンビザも、どちらも即日か翌日かの発行という。一応スーダンへのフライトは6日の昼に予約してあり、今日は4日である。だから、両方翌日発行となっても大丈夫な様に一応マージンは取ってあるのだが、何があるか判らないので、一応当日夕方に発行できないか、粘ってみた。窓口の女性は本当に困った顔をして、この方は困った顔をするとより美人に見えるのだが、いや、そういう話をしたいのでは無かった。えー窓口の方は、領事の了解が無ければ難しいし、領事は今不在なので確認が出来ないと言う。大使館休業中の年末にアレクサンドリア自爆テロが起きて、それで今日が明けて初日だから、大使館は忙しいに決まっていて、旅行者の相手なんか出来ないのはよく判る。僕は、結果的に出来なくてもOKなので、夕方一度確認に来させて欲しいと伝え、窓口の方を更に困らせた顔にさせて日本大使館を立ち去った。
Serie E
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • ボールでなく、ペットボトルをシュート!

 さて暇になった。実は、日本大使館からギザのピラミッドは指呼の距離である。どちらもカイロのダウンタウンの南にあり、ナイル川渡って対岸がギザという按配である。折角カイロに居るし、少なくとも明日の夕方まではスーダンビザはゲット出来なそうなので、ここに居続ける必要がある。観光地だからと言って、流石にカイロに何日も居て、ギザのピラミッドをスルーするのは天の邪鬼過ぎる。そんな訳で、日本大使館を出て、タクシーを拾うとピラミッドを目指した。
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[NIKON D90 + TAMRON A13 11-18mm f/4.5-5.6 Di2]

  • 霞の向こうに見えてきた。左がクフ王、右がカフラー王。

 ギザのピラミッドは、最も有名なクフ王のピラミッドを初めとした3つの親子三代のピラミッドと、スフィンクスが並んでいる。こういう遺跡系は場所がばらついている事が多くて、見て回るのが疲れる事が多いのだが、ここはコンパクトにまとまっていて、「遺跡お徳用セット」みたいな趣である。ピラミッドそのものは、写真で見る以上にでかくて迫力はあるが、要は正八面体の上半分というだけだから、何か見て感動する様なものでは無い。ただ、エジプト古王国時代だから、改めて測定可能な単位に直すと46世紀前に出来たという訳判らない数字になって、これは凄いなと思った。我々の先祖がだせえ石器作ってた時に、こちら様はすげえ石塔を造ってた訳だ。しかし、エジプトってのはこの古王国からグレコ・ローマン時代位までが絶頂で、その後は殆ど近隣の強国に支配される側に回り、宗教もオリジナルなものを失っていったのは不思議である。肥沃な土地は強兵を育まないという歴史の一般律に嵌ってしまったのだろうか。
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[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • よく見るカットで。ちなみに、スフィンクスは結構小さい。

 クフ王のピラミッドの隣には、カフラー王のピラミッドがある。大きさはややクフ王が大きいが、高台にある分だけ、カフラー王の方が高く見える。このピラミッドの特徴は、表面の化粧石が上部に残っている事である。今のピラミッドは階段状に段々になっているが、本来は化粧石で覆われてもっとつるっとしていたらしい。それが、他の建築材料などで持ち去られて、今の階段様の姿を見せることになった。カフラー王のピラミッドは、上4分の1位はその化粧石部分が残っている。ピラミッドは邦訳すると金字塔だが、このカフラー王のピラミッドは上部が化粧石で膨らんでいるので、邦訳するなら釜字塔といった趣である。その釜の字の上部分から、全体がこれに覆われていたらと想像すると、今のものとはかなり趣が異なっていたのでは無いだろうか。階段状のものだと古代のものという感じがするが、つるっとした正八面体が砂漠に突っ立っていたとすれば、それは近未来的な、SFの世界の風景だと思う。
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[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • カフラー王のピラミッドの「釜」部分。よく見ると、一番上の石がズレて落ちそうである。いつも山道で落石注意という看板を見るとどう注意すんねんと思うが、これは注意しがいがある。

 さて、ガイドブックのピラミッドの項を開いてみると、大書されているのが、観光ラクダ乗りによるボッタクリである。これは、地球の歩き方Lonely Planetも変わらない。写真を撮ったらカネを請求され、乗ったらボラれ、しかもカメラ渡して乗ってる姿を撮って貰ったら、そのカメラを人質に高額の請求を受けたとか恐ろしい話が載っている。ラクダの着座位置は高くて、乗ったら一人で降りれないからやられたい放題の様だ。Lonely Planetには、ピラミッドは出来た直後から観光名所であった筈で、古代の人もロバに乗せられてボラれていたのだろうとか書いている。
Bad men talking
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • こういう如何にも悪そうな観光ラクダ乗りが始終声をかけてくる。換算400mmの超望遠を使い、いちゃもん付けられないリモートポジションで撮った。こういう時に300mm以上のレンズは便利だ。

 ここまで書かれていると、流石に誰も乗らない。3時間位ピラミッドに居たが、乗っていたのは3人で、その内2名はエジプト人かは判らないが、アラブ語が話せそうな人たち、純粋な外国人観光客は白人女性が1名だけであった。一方のラクダ使いは50名は居たから、需要と供給がマッチしていない。彼らが食うには、数少ない客から相当ボる必要がある。恐ろしい状態である。これは正に市場の失敗みたいな話で、固定料金15分間30$とか決めておけば、信用が生まれて取引コストが低下し(?)、潜在需要がそれなりに実現されるのでは無いだろうか。奄美大島の果ての小島を漁船借りて回ったことが有ったが、この辺りの漁船は価格協定を結んでいて、同一料金が明示されており、安心して乗れた。奄美も昔は雲助も横行していたから価格協定が出来たのだと思うけど、コモディティの持続的な商売拡大の為には、現銀掛け値無しが正しい方法なのは歴史が証明している。
Triangle
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • これでも一番小さいメンカウラー王のピラミッド。

 そんな事を考えて歩いていたら、どうにも辺りがラクダ臭い事に気が付いた。ラクダが出した立派なものが点在しているが、それだけでは無い。地面の土砂そのものが臭いレベルである。臭い土地とはこれ如何にと思ったが、ここは46世紀前のロバ乗りから現代のラクダ乗りまで、延々と動物が行き来し、お尻から自在にぷりっと出していた土地柄である。もしかすると、踏みしめているこの土砂の半分は、やさしさならぬ、「うんこ」由来なのかもしれない。その可能性を考え出したら、ラクダ臭さが気になって仕方なかった。奴らは草しか食べないので、人間の様な雑食動物の臭さよりはマシなのだが、それにしても臭いモンは臭い。ラクダ使いの野郎どもはボッタクリといい、香ばしき臭いといい、ロクな事をしない連中である。
old pyramid
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 結構遠くに古い時代の階段ピラミッドが。

 その後は三大ピラミッドの中では一番小さく、パヴァロッティカレーラスに対し、三大テノールの中で忘れられがちなドミンゴ的位置付けの、メンカウラー王のピラミッドの内部玄室まで入り、一通り見終わった後に日本大使館へ電話をした。困った顔が美しい女性曰く、推薦レターは出来ていて、どうしても今日中に欲しい事情説明書を提出すれば、推薦レターは貰えるとのこと。事情でも何でも説明しようじゃないの。必要とあれば、全米が泣くレベルのものを書きますよ、と軽口を叩き、気合い万端でタクった。しかし、調子の良い事を言ったみたが、推薦レターを16時間早く貰う理由で全米を泣かせるのはなかなか難しい事に気付き、アタマを抱えている内に、ひどい渋滞に巻き込まれて、なんと大使館閉館時刻に間に合わず。もう終わったよと片言の日本語を壊れたおもちゃの様に繰り返すエジプト人門番を突破できず、ひどく詰めの甘さを痛感し、何となくラクダ臭くなった靴と共に、しょんぼりと帰路に就くのであった。
gatekeeper
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • クフ王のピラミッドの玄室入り口。入り口少し入って写真撮ったら、この係員にバクシーシ取られると覚悟したが、思ったよりやる気無く、タダで撮れた。

 気分転換もあり、帰り際にまだギリギリ見る時間が取れた国立カイロ博物館に寄った。Lonely Planetが異例の複数ページにまたがる特集を組んでいたので、どんなに凄いのかと思っていたが、確かに凄い。日本であれば、一個一個が国宝級の像やら遺跡の一部やらが、触ろうと思えば触れる形で無造作に置かれている。5000年前とかのものが普通にどさっとある。こういうのを見ると、グレコ・ローマン時代の紀元前300年ものとかが、「けっ、新しいじゃん」という感覚になるのは人間の業みたいなものか。日本では、紀元「後」3桁台なら十分古いというのに。昔、八尾あたりで、排ガスと機械油臭いR25号を歩いていると、うっかり物部守屋の墓とご対面したりする油断のならぬ関西に3年住んでいた。その生活を経て関東に戻ってくると、古いものがとにかく乏しくて、やはりアズマは西暦1000年以降、鎌倉から開けた世界なのだなと実感する。しかし、もっとうんと西方の世界に行くと、とんでもなく古い時代から文明が開けた地域が存在するのだ。ただ、古代に迎えた絶頂期の後、他国の文化と政治的支配をこの国は間断なく受け入れ、連続性の無い歴史を形成したのは何故か、という疑問は常に残った。
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[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 狷介そうな婆さんが、修学旅行土産然とした置物を売る。これは買わないねぇ・・。

 一方、これら古代の造形物は、現代との連続性が無いが故に、独特の禍々しさがあるのも事実である。この連続性の無さがかえって現代人の心に響く。現在一般に使われている表現技法とは別の系統の技法で作られている造形物は、暗い博物館の中で、あたかもまだ小暗い生命を保っているかの様な存在感を放っていた。それは奇妙に異教的な印象を見る人に与えた。欧州起源の写実的なルネッサンスの創造物、あるいはそれへのアンチテーゼとしての抽象的な近現代彫刻、その双方に対して全く似つかない、呪術的としか表現出来ない大きな目の彫像は、暫く見つめていると、何故か心の奥底に恐怖に似た感覚を呼び覚ます。日本で例えるなら、遙かな縄文の人が産んだ遮光器土偶の禍々しさ、異質さと似ている気もする。この感覚は、自分とは違う、別起源の生物に対する本源的な恐怖だったかもしれない。エジプトの近隣で勃興したキリスト教イスラム教は、共に偶像崇拝を禁じた。もしかしたら、その背景には、これらの古代の彫像が人に与えるこの本源的な恐怖が有ったのかもな、とふと思った。
museum
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • これが国立カイロ博物館。