Day-5 超現実からの帰還

 白砂漠でのキャンプは、浅めの眠りではあったが、快適に過ぎた。ベンチレーションが悪そうな旧式のテントだったので、どうなる事かと思ったが、砂漠の湿度が低すぎて結露しないのだろう。それとも、経年変化で痛んでいてナチュラルにベンチレートしてたのかもしれない。もぞもぞテントから這い出してみると、ぐっと気温が低い。テントの中で8度、外で3-4度位である。今の日本のマンションはすごく保温性が高いから、冬の朝でも暖房要らない位に暖かい事も多いが、昔の日本の一軒家は寒くて、寝るとき8度なんて普通だったから、テントが有れば、さしたる装備は無くても快適に眠れる気温である。時計を見ると、夜明けまであと少しの、群青の世界が広がる頃合いの様である。
Gradation
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 夜の闇の世界から、徐々に天の色が青に遷移し、同時に地平線は紅く染まっていく。別に砂漠で無くたって、夜明けは何時だって神々のオペラだ。ただ、地平を見渡せ、大気が安定する砂漠は、そのオペラの特等席というだけである。
nomad tent
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 ランドクルーザーの車体を利用して、ベドウィン風の立てる幕と床となる幕を張り、そこで食事をする。ハムディーはこの幕の辺りで寝た様だ。横にある三角形の小さなテントで自分は寝た手榴弾型のカルシウムの塊が、寝床を見つめる。手前には、黒砂漠から飛んできたと思しき黒い石の塊がある。
proof
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 昨日の夜に現れた砂漠の狐だろうか。風紋の上に人間以外の哺乳類の新しい足跡があった。これ以外にも色々な人間以外の足跡が砂漠には確認できる。必ずしも死の世界という訳では無い。また、サソリを怖れて、ハムディーにサソリの有無を聞いたが、冬はこの辺りは居ないとのことである。夏には、サソリや砂漠の蛇が現れるらしい。確かにこの朝晩の寒さでは、体温維持機能の無い動物の生息は難しいかもしれない。それにしても、サソリや蛇のくせに渡り鳥みたいな連中である。
dyeing
[NIKON D90 + TAMRON A13 11-18mm f/4.5-5.6 Di2]
 空は藍色だが、そこに雲が浮かべば、それは朝日を受けて朱に染まる。藍の世界に朱が浮く。どことなく日本的な空の色遣いである。雲の代わりに花の柄だったら、こういう色合いの着物、あるんじゃないかな。
very young sun
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 朝日が昇る。夕焼けの色と何が違うのかは判らないが、はっきりとこれは朝日だと判る。朝日の方がやや黄色いのだろうか。朝の方が色温度が高いのはやる気が出て良いが、ちっぽけな人間のやる気を配慮して、こういう色になっているのではあるまい。朝日と夕日の色が違うのは、気のせいなのか、気の持ち様で違って見えるのか、実際違うのか、気になる所である。
Snow like calcium
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 砂漠のアラスカもうっすら朱に染まる。そうだ、日本に帰ったらスノボに行こう。
Sand sea
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 細かく刻まれた風紋と、石灰岩の白い塊を眺めていると、どことなく波間に浮かぶ氷山の様にも見えてくる。氷山はいつか溶けて海に還るが、石灰岩もいつか気の遠くなる様な長い長い年月の末に砂に還るのだろう。自分の人生が、それを見届けるには余りに短すぎるのが残念だ。
Meoto-Iwa
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 もし、日本に有ったなら、「夫婦岩」とか呆然とするセンスの名前が付けられそうなペア。こういう自然の情景と旅館の部屋は、日本人は何とかセンス良く名付けようと無謀な挑戦を続けて死屍累々だが、こういうのは無理に名付けなくて良いのだ。よく見ると、“夫婦岩”の足元に過去崩壊した一部が転がっている。かつてはもっと大きく、もっと重力に逆らった造形だったのだろう。
Simple Breakfast
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 アエーシとケーキの朝ご飯。寒いから甘いものが欲しくなる。お土産で買おうと思って忘れていたが、ケーキのすぐ手前の箱はハランワとか言うエジプト独特のバター・ジャムの類である。きな粉に似た味で、より甘く、すごく美味しかった。ベタベタとアエーシに塗って食べた。パンにも合うと思う。ちなみに、きな粉と同じく原料は豆と砂糖と聞いた。
pinch
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 さて、なぜ単独行動で砂漠に深入りせず、4-5台固まってキャンプしていたか。それは車のトラブル対策であった。朝起きると、我々の車のバッテリーが上がっていた。直ぐに近くの車を呼んで押しがけする。アンデスの高地砂漠に分け入った時もランドクルーザー数台でコンボイを組んでいた。途中で、季節外れの猛吹雪に足を取られ、一台のランクル80が横転したが、みんなで血を流す乗客のスイス人を助け、泥まみれになって車を起こした。また、不凍液なんて高価なものは入っておらず、冷却水は単なる水道水である。なので、朝起きればエンジンは凍り付く。そうすると、まず湯を沸かして一台のエンジンを溶かす。エンジンが掛かったものから、温まった冷却水を回して更に加速度的に皆のエンジンを溶かしていく。そんな経験をかつてしていたが、ここも同じ様に、エジプト人ドライバー達は、トラブルに備えて集結していたのだと実感する。単独行動していたら、気温が飛び立つ鳥の様に上がっていく昼間にどうなっていたのか、起こりえない想像だが、少し背筋が寒くなる。道というのは都市と都市を結ぶものだ。人の往来が有るからこそ出来る。その先に何も無いところに道は出来ない。その道を外れて、道無き辺境の自然に分け入るなら、人の助けは期待できない。だから、助け合う為に外れた者同士が群れを為す。自然に生きる野生動物も同じかもしれない。人間が一人で生きていけるのは、他の人が存在する都市か都市を結ぶ道だから可能なのだ。その意味では、人間も決して一人では生きていけない動物なのだろう。
scale
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 どんな風の気まぐれか、石灰質の地面がうろこの様な造形となっている。これから数百年経つと、おそろしく切り立った形になるのかもしれない。
millet
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 ほぼ一面石灰岩と砂の世界だが、場所によっては僅かに植物が生えている所もある。サボテンの様な動物から身を守る植物でなくて、普通のイネ科の雑草と見えるから、余り草食動物が昔から居るという事では無さそうだ。どの様に水分を得ているのだろうか。こういう小さいとは言え、普通に種子を作る植物は、砂漠に生きるにしてはエネルギーと水を要する植物と思われる。
oasis
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 白砂漠を出て、帰路に寄った実にオアシスっぽいオアシス。てっきりこういうオアシスは降った雨が地下で集まるのか、或いはナイル川の伏流水なのかと思っていたが、まだリビア砂漠が緑だった大昔に溜め込まれた地下水が湧いていて、いつか枯渇するらしい。アメリカ中西部でも地下水汲み上げで農業して、枯渇したりしていたから、この辺りも石油並みに大事に使わないといけない。そう考えると、自然と蛇口のひねりは浅くなる。
P1040593
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]
 白砂漠キャンプツアーは終わり、ホテルに戻った。これがパティオみたいな所で、真ん中のプールが温泉である。赤茶けているのは、そういう色のお湯が出るからである。サービスをする人の顔が見える、いいホテルだった。僕は、街で一番古いクラシックなホテル以外は、原則大きなホテルには旅先で泊まらない(ビジネストリップは別だが)。京都に泊まるなら、都ホテルやブライトンじゃなくて、柊屋の方が京都を感じられるし、人と人とのふれ合いが有るのと同様に、世界のどこだって、地元の小さなホテルの方がその土地を感じられる。
desert lunch
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]
 昼前に戻ったのでホテルでランチ。地元っぽいけどカポナータみたいでもある煮込み料理と、フレッシュチーズは東洋、野菜は西洋の味がするサラダという取り合わせだった。このホテルに限らず、バフレイヤ・オアシスで食べたフレッシュチーズは軒並み新鮮で美味しかった。日本で食べる如何に高価な欧州のチーズでも及ばない美味しさ。地産地消が一番良いということなのだろう。なんだか旅の興奮が落ちて、ほっこりするランチだった。
pray
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 カイロに戻るバスに乗った。このチケットもツアーに出ている最中にホテルが取ってくれていた。何から何まで世話になった。カイロまでは4時間半くらいの道のり。丁度真ん中位にドライブインがあり、ここで軽食を食べたり、紅茶を飲んだり出来る。窓の向こうで、イスラム教徒達がお祈りを始める。
men
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]
 やはりエジプトは灰色の男達の世界だ。夜のドライブインの入り口に男達が群れる。余り男女で行動する組を見ない。男は男、女は女で行動し、女の存在は何故か目立たない。近代化に伴って、こういった社会は変化していくのだろうか。
 カイロの排ガスまみれの空気を吸って、今まで如何に清澄な世界に居たかを改めて実感した。人の行き来する道を外れて、自動車で野山に分け入るのは日本では殆ど無理な体験である。日本に人里を離れた山はあるが、林道以外は森が密集して入れない。日本では人の居ない世界は登山やトレッキングとして徒歩でいかないと無理なのだ。日本に於いては自動車は道以外を行く自由が無いのである。一方の海外には、日本には無い、砂漠や荒野、或いは原野といった木が生えていないから車で分け入れる土地が存在する。そんな所を訪れるのを旅の目的とするのも一興だろう。この黒砂漠と白砂漠、僕はエジプトのガイドブックを見るまで知らなかった。アンデスの高地砂漠もガイドブックで知った。そんなに日本で知られていない所にも面白い場所がある。
 また、車で野山を分け入るという点で、アンデスは凄く良かったけれども、日本からだとアメリカで最低2回は飛行機を乗り継ぎ、ラパスからオルーロまで4時間のバス、そこから更に電車を待って、7時間電車に揺られてウユニ、そこがベースキャンプとなって宿探しとツアーアレンジが始まるから、勤め人が取れる9連休ではちょいとハードルが高い。ノーミスで行ければ行けない事は無いが、オルーロからウユニの電車はしばしば一杯で翌日持ち越しとなる。一方の黒砂漠・白砂漠ツアーは、ヨーロッパより近いエジプトで、カイロからバスで4時間半あればベースキャンプとなるバフレイヤ・オアシスまで行ける。時間の限られた勤め人でも容易に行ける荒野である。タンザニアケニアのサファリも同じく容易に行けるし、見所満載で面白いが、今回の様に静寂の世界に行くのもまた旅の興趣が尽きないものである。世界はまだ広い様だ。