Day-7 石の都

 朝はルンルンで目が覚めた。本当にルンルンを買っておうちに帰ろうとしている若かりし頃の林真理子を瞬間最大風速で上回るルンルンっぷりだったと思われる。なにせ宿の名前は、Le Paris Hotelラクダ臭いカイロで何と花の都パリだ。名前通り、一人2000円という超高級安宿なのである。最初の日に泊まった宿は、King Tut Hostelという一人1100円位のごくフツーの安宿だったが、無線LANが不安定なのと、タオルが生乾き臭いという致命傷が有った。バフレイヤ・オアシスから帰ってきて泊まったLuna hotelは、一人1500円まで気張り、無線LANとタオルはOKだったが、お湯が出るまで10分待ち、そしてそのお湯はものの3分で力なく水に変わった。冬のカイロの夜はそこそこ寒くて、ホットシャワーは必須だ。最後に体に残ったコンディショナーを水で流す羽目になり、ガタガタと口唇を震わせながら、僕は宿を変わるべきだと思った。
leather
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 日本でジャージにスニーカーの男が靴磨きに行く事はレアだと思われる。

 その時の第一候補はHOTEL Osirisという宿だった。一瞬HOTELお尻sと思ったが、Osirisとはご存じの通り、エジプトの神である。日本語のニュアンス的には、天照旅館レベルの有り得ない高貴さである。お尻sと比べると、これこそ「轟二郎」と「とげぬき地蔵」位の差が存在する。さて、その期待のOsirisに行くと、フランス人の女性オーナーが気の毒そうに一杯だと告げた。残念である。ビルの最上階で、屋上にはカイロ市街を見渡せるバーコーナーとかが有って、安い割にはイケてる宿と見取ったのだが。エジプト人ラクダに乗っていなければ、全般に親切な人が多く、フランス人はラクダに乗っていない限り親切では無い人が多いが、このフランス人は、つんけんしたパリに疲れてカイロに来たのか、すっかりエジプト人並みの親切さを身につけており、Le Paris Hotelは新しくて綺麗で良いと薦め、予約までしてくれた。
Le paris
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • ど、ど、ど、独立シャワールームって、安宿に存在していいのかっ!

 その期待の新人Le Paris Hotelだが、果たして、エレベーターが壊れているので5階まで歩きで登るのが大変な事以外は、タオルも臭わず、無線LANも繋がり、シーツは綺麗で、ホットシャワーも安定した出力だった。しかも、この旅行初めての独立シャワールームである。よくあるユニットバス型のシャワーで、トイレとシャワーを隔てる安いシャワーカーテンのカビを見ながら、シャワーに当たらなくて良い。そんなワケで清潔で、かつへたっていない素晴らしいベッドにてルンルンと目覚める事が出来たのである。ちなみにパリパリ言ってるけど、僕はフランスは秘境中の秘境フランス領ギアナは行ったことがあるが、パリを初めとするフランス本土の土を踏んだことは未だ無い。うっかり機を逃したら、もはや到底旅行に適する国では無くなったアフガニスタンコンゴに、行けるときに行かなかった事を痛切に悔やむ僕は、いつになっても行ける、カネのかかる国は後回しに限ると思っている。そういう意味では、冷戦終了後イラク戦争迄の約15年間というのは、世界的に平和な時代だったんだよな。
carry
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 突飛な事をして注目を浴びたい若者だったが、残念ながらスルーされている図。

 さて、今日は引き続きドキュメントワークの日である。日本大使館に行って、なぜ昨日来なかったんだと不満そうな窓口の方から、この方の不満そうなお顔は困った顔の時の魅力度には劣るが、その話はおいておいて−、推薦レターを受け取った。どうやら正式には添え状と言うらしい。僕はお役所に居たことは無いが、ある意味お役所以上に堅い銀行に居たので、一介の素浪人に役所が推薦をしてくれる事には若干の違和感はあった。それが、添え状であれば、この素浪人のビザ申請に添えただけという事で、no obligationだから大使館判断でOKということなのだろう。何か、この添え状という曖昧な名称からして、これを出せるに至る迄に旅人と領事部の先人達が為したであろう、交渉と苦労と工夫と善意と膨大な事務決裁書類が容易に想像できて、僕は思わず涙した。
officiality
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • これがその添え状。下の方が全般にボケているのは、僕の感動の涙をカメラが理解して、ボカしてくれたのである。

 その日本人の知恵の結晶を携えて、スーダン大使館に向かった。エリア的にはタフリール広場という市の中心部から程近い所にある。しかし、場所はいいが、雰囲気は領事部というよりは、食堂かよ!と思う様なカジュアルさであった。食券売り場のオヤジがスーツ着てら、と思ったらそいつが領事部窓口で、テキパキと書類を指示され、それを埋めて、100ドルもの大金と共にビザ代金を支払った。余り記憶が確かではないが、100ドルのビザというのは97年の時分にはえれー高かったブルガリアビザを超えた様な気がする。
whitening
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 日本だと公共工事に該当する行為だが、こちらでは芸術の風情。

 交付は明日の10時。何とか今日に出来ないかと粘ったが、明日の8時までが限界で、今日には出来なかった。スーダンの首都カルツームまでのフライトは明日の10時に予定されており、今日取れたら前倒しにしようかと思っていたが、これではフライトを一本遅らせて、明日の昼過ぎまで引き続きカイロに居ざるを得ない。ただ、この日本から果てしなく続いた、スーダンビザなる秘宝を巡るクエスト、ラスボスはスーツ着た食券売り場のおやじ様の姿形であったが、手応えあり。どうやら最後の関門を突破した様である。
Egyptian style of pasta
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • コシャリという庶民の代表食。パスタをざくざく切ったのが、メインの炭水化物。

 カイロも都合4日目である。普通の都市ならそろそろ見るモンが無くなってくる所だ。築地行って、六本木ヒルズ行って、浅草行って、お台場に東京タワー見終わった後の東京を観光せよという状態である。しかし、カイロは流石に古い都市だけ有って、色々と見所がある。この日は、スーダン大使館→コプトキリスト教会→シタデルというサラディンの砦とモスク→イスラム地区→ハーン・ハリーリという市場という感じでそれなりの有名観光地を回った。
brilliant national car
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • エジプトは旧共産圏の旧車の宝庫だが、これはもしや東ドイツ往年の輝ける国民車トラバントか!と思って撮った。未確認。

 こんなに都市観光をしたのは、いつ以来だろう。キューバハバナ以来かな。あまり欧米の主要国に旅行に行かないので、それ以外の国だとイマイチ首都がしょぼくて、あまり都市観光をした記憶がここ10年位乏しいが、カイロは古い歴史があるだけあって、まだまだ見所が残っている。日本の首都が京都だったら、4日間くらい余裕だと思うが、カイロはそれ以上だろう。ただ、逐一紹介しても冗長だし、どれもこれもそれなりに旅行記が存在するから、一つだけ触れる事にする。
 光栄の伝説のゲーム、「蒼き狼と白き牝鹿」と言えば、100人男が居れば、95人はオルドコマンドが最も印象に残っていると答えるだろうし、日本のある時代に青少年だった人々の間に、このゲームがモンゴル人に対する羨望と偏見を植えつけたか否かを大いに懸念するものである。だが、そんな多勢に与さない、数少ない良識派の5人の内、1人くらいはアイユーブ朝サラディンを印象に残っている要素として答えてくれるのでは無いだろうか。いや、答えて欲しい。日本人男性の間にはそれ位の良識は満ち溢れていると信じている。このゲーム、チンギスハンとか源頼朝とか、極東のプレイヤーで世界統一を目指すことが日本人は多いと思うが、統一が見えてきた頃に西で立ちふさがる強敵がサラディンである。
Coptic exterior
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • コプト派教会。コプト派より早くカソリックから分派したアルメニア正教会に似ているかと思ったが、どちらかと言うと東方教会に近い。

 中学から高校にかけて、軍オタだった僕は、中世の戦いも非常に好きで、ゲームの中での強敵であったサラディンを、当時色々と調べている内に、この人が実際にイスラム史上有数の武将で有る事を知った。サラディンの功績の中で、最も名が高いのが、第一回十字軍が作ったイェルサレム王国の王ギー・ド・リュジニャンを、ヒッティーンの戦いで打ち破った事である。サラディンは、アラビアの弓の射程が欧州の弓の射程を上回る事から、ロングレンジでの射撃でまずイェルサレム軍を悩ませ、動きを鈍らせた。炎天下の行軍が長引いた事で、イェルサレム軍は乾きに苦しんだ。日が落ちて、ヒッティーンの角と呼ばれる丘にイェルサレム軍は野営したが、この時点でサラディンは「これで戦争は終わりだ。王国は終焉を迎える」と喝破している。翌日、サラディンは乾燥地帯の枯れ草を利用して、丘の上で乾きに苦しむイェルサレム軍に更に火刑を仕掛けた。それ何て「街亭の戦い」という感じだが、この歴史的必勝パターンで相手が十分に混乱すると、騎兵突撃によってたやすくイェルサレム軍を撃滅、聖地を奪還し「真実の十字架」を奪った。負けたイェルサレム王国軍の後衛が、駐留していたかのフリーメイソンの前身と言われるテンプル騎士団である。
Datto
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 今年のシンボルが捕獲されていた。この後一匹が下に落ちたが、脱兎の勢いとまではいかず、物陰に隠れただけで、すぐに再捕獲されていた。

 この戦いの後、歴史上二度とキリスト教勢力は聖地イェルサレムを回復できなかったのである。また、この戦いは、中世以降に、欧州勢力の一方的な敗戦に終わった数少ない大きな戦いの一つである。モンゴル帝国のバトゥがポーランドでシュレージエン公ハインリヒの軍隊を壊滅させたワールシュタットの戦い、ベトナム戦争でのディエンビエンフーの戦い、そして日本が左旋回して唯一良かった例と右翼の鳥肌実も言っている日本海海戦あたりと比肩する、非欧州勢力のワンサイドゲームがこのヒッティーンの戦いであったと思われる。
Egypt special
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • このエビフライは揚げたてでめちゃくちゃ美味しかった。カイロで海産物が食べれるとはね。

 そのサラディンが築いた砦がシタデルだが、これを見終わった後、ハーン・ハリーリという観光客向けお土産市場までは数kmあるが、構わず歩くことにした。途中、死者の町と呼ばれる、墓場とスラムが渾然とした不気味な地域を越え、この間のBab El Wazirという小道にたどり着いた。この辺りは別に観光地では無くて、地元民が住んだり商売したりしている古い街並みが並んでいる。正確に言えば、どれ位古いかが判らない位古い街並みである。近代の石造りの都というより、乱雑な石積みの、極めて素朴な街だ。一階はそこにあった大きな岩を削ったり掘ったりして家らしく作り、後世になって、その上に石を積んで建物が出来たという様な原始的な作りと思しき建物もある。
Islaaaam
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • いかにもイスラム的な。

 ここを歩いた時は夜になっていたが、その小さな一つ一つの建物で、エジプト人達が、薄明かりの中で、訳の分からぬ多様な商売に勤しんでいた。見分けられたものだけで、金物屋、馬の鞍屋、自動車のパーツ売り、ホース売り、油売り、SIMカード屋にカーペット売りなどなど。この地域において、エジプト人達は、中世の彼方の古代から、こうやって雑多なものをこの小さな店に、ランプの灯を点して売っていたのだろう。もしかしたら、その中の馬の鞍屋や油売りは何世紀も同じ商売をしているのかもしれない。そして、これらの店の前を、人や馬車が同じ様に1000年の余、行き交い続けているのだろう。
Stone town
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • こんな、キリストでもうっかり生まれていそうな、粗末な石積みに木の扉の小さな家が延々と続く。ベンハーの世界である。

 中欧の古い街に行くと、石畳と石造りの建物の中で、ふと中世に迷い込んだ気持ちになる時があるが、このカイロの無名な地域は、遙かな古代の街に迷い込んだ気持ちに人をさせる。まだ石造りの中層建築技術が未発達だったか、或いはかつて存在したが戦乱の内に失われたか、そんな時代の街の面影がここにはあった。ここの建物が古代から有ったかどうかは知らない。ただ、細い通りの両側に広がる、粗末な木扉が付いた小さな石の家は、中世とは明らかに違う時代の様式を示唆している気がしてならなかった。古代なのか、或いは中世だけど庶民の家は古代から進歩が無かったか、そこは判らないが、きっと遙かな昔には、こんな素朴で飾らない石の家に人は住んで、商売をしていたのだ。
 ピラミッドは古代のシンボルとも言うべき代物だが、生活感が無さ過ぎて、当時の生活への想像はかき立てられなかった。この街はピラミッドとは比べものにならない位新しいし、何の外連味も無いけれど、それだけに昔の庶民の生活への想像力がかき立てられた。色んな場所を旅してきたけど、これまで古代の庶民がどういう風に暮らしてたかなんて、考えた事も無かった。僕が、庶民の暮らしを想像できる古さの限界は、中欧の中世であった。それがこの場所に来て一気に分った。古代なるものはこの様な存在だったのだ。僕にははっきりと、いにしえのカイロを歩く、白いトーガを着たローマ人と、それを複雑な目で見るエジプト人が見えた。この僕に降りてきたイメージは、風化せぬ石の都だから為せる影絵劇だったのだろう。粗末な家。そして今も変わらない人の営み。

classic
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 庶民の町の夕暮れ。

Modern lamp
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • いいな、と思ってもさすがにランプは買って帰れない。

Ishi-Yaki-Imo
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • どう見ても石焼き芋。思わず女性が見つめてしまうのも日本同様。

perfume
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • カスタム香水屋。意外と地元民も客として入っていた。

Peugeot
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • おそろしく古いプジョーが、Dr.スランプに出てくるクルマの如き柔軟なサスペンションで車体を傾け、街を疾走する。

mosque
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • シタデルの中の大きなモスクの内部。イスラム美術が美しい。

Blue and Red
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • ピラミッドの脇に日が沈む。

Coptic interior
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • コプト派教会内部。東方教会の華麗な装飾。

4 wheels
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 三輪バイクは知っているが、四輪バイクとは・・侮れん。

dawn
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 暖色が美しい。こういう建物が多いと、民族の色の美意識も変わるよな。