Day-8 遠い隣国スーダン。

 今日はエジプトを発って、晴れてスーダン入りの日である。エジプトの恐怖の道路横断ともこれでオサラバだ。交通マナーの悪い国は多々あれど、これ程道路横断に気を遣う国は珍しいのでは無かろうか。90年代の中国も随分とスリリングだったが、まだ中国は車線が形成されていた。中国では、その車線を一つ一つタイミングを計って渡っていく。これは、まだ車線一つクリアすれば、息を整えて次の車線を見計らい、というある種ターン制シミュレーションゲームにおいて長考が可能である、というのに似た心の余裕が有った。
Egyptian Biverly Hills
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • カイロ版ビバヒル高校白書の図

 エジプトは車線が余り無い。少しでもスペースが有れば、自動車は気にせず鼻先を突っ込んで割り込んでくる。従って、余り明確な車線が無く、渾然一体とクルマは流れている。従って、歩行者は車線と車線の間で休息できず、そもそも動的なクルマの流れを読んで常に動きながら自分でスペースを探さないといけない。何かサッカーの解説みたいだが、リアルタイム制シミュレーションゲームのハラハラ感が味わえるのである。はっきり言って、ターン制である大戦略2よりもリアルタイム制である大戦略3 '90の方が面白いのは間違いないが、人生はシミュレーションゲームではない。
Le paris hotel at Cairo
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • 噂のLe Paris Hotel。この建物の5階なのだが、エレベータは故障中。Leが無い、単なるParis Hotelという安宿もあるが、そちらは普通らしい。

 こういうクルマの流れを見ていると、こやつらはベン・ハーの時代から馬車っつうかチャリオットを操って、同じ様にスペースと見れば馬の鼻先を割り込ませて、我先にと先を競っていたのだなと思う。カイロでも旧市街に行けば、まだ現役で馬車が走っていたりするが、何十年か前、マナーの悪い馬車の洪水の中に自動車が出現すれば、そりゃ自動車の運転マナーは馬車に準ずるもので形成されていくだろう。古い歴史を持つ古都っていうのは、姿形は現代に変われども、そういった細かい所は歴史をずっと引きずるものだ。きっと、カイロってのは2000年以上前から、灰色の男達がクルマを操って我先に急いでいた街で、その本質はテクノロジーが幾ら発達しても、全く変わっていないのだ。
thin 2
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • チェコの車メーカーであるシュコダもよくカイロを走っていた。前に駐車するクルマとの隙間は1cm未満。クルマの運転もアグレッシブだが、駐車もアグレッシブすぎないか。

 古都というものは、世界共通でそういうものなのであろう。日本だって、京都の公共交通機関の運転は日本の諸都市の中でもえらい乱暴な部類に入るが、それだって古都の古い歴史、牛車がそうやって道を争っていたのを今に引き継いでいるのかもしれない。そう思えば、京都のタクシーやバスにハラハラさせられても、これは六条御息所が葵の上と祭り見物で牛車で争った趣を今に伝えているのだと、幾分か風流に感じられるのでは無かろうか。
meet curtain
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • ヨーロッパには鉄のカーテンが有るとチャーチルが言ったが、エジプトには肉のカーテンが有ると僕は言った。

 自動車の話ついでだが、カイロの街でタクシー中心に見慣れない「A」マークの自動車をよく見た。古い車は欧州車、10年落ち位の比較的新しい車は日本車、そして新しいピカピカの車は、ヒュンダイも多いがこの「A」マークも多い。Aで始まる自動車メーカーをうんうん考えてみたが、アウディAMG・アストン=マーチンでは勿論無く、マイナーな所では、アウトビアンキでもアバルトでも無い。ロゴから自動車メーカーを調べるのは難航したが、どうやら中国の奇瑞汽車の様である。1999年から自動車生産を始めた会社が、既に10年後には海外進出して結構な数の車を売っている。自動車ってそんなに参入障壁低かったっけ、と驚く様なスピードである。日本車は確かに品質は良いんだろうけど、日本みたいにメーカー系列しか販売チャネルが無いという国の方が少数派だろうから、安くして数を稼ぎ続けないと、自動車も携帯やテレビの様に負けかねないと肌身に感じた。
Chinese speed
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • これがそのAマークである。立派な車でしょ。

 安くすると、これまで築いたブランドイメージが壊れるとか、品質が下がるとかが常套文句だが、中進国から発展途上国の人にとっては、携帯や自動車やテレビそのものがまだ憧れだから、その中で更に品質の高い上位機種なんてのは、殆どの人にとっては手が届かない、超高級ブランドである。そんな稀少なブランドイメージを追求するのは、マスの商売をしている以上あんまり意味が無い。中進国や発展途上国でマスを取るには、これまでの様にある程度均一な先進国市場を前提に定義された高級とか大衆向けとかの商品ラインアップとは違う、成長によって毎年大量に発生するエントリーユーザーに焦点を当てた、コスト競争力のある商品ラインアップが必要になるはずだ。そして、そこで(も)勝負するNOKIAとかSamsungのブランドイメージが低下したなんて事は寡聞にして聞かないのである。
squeeze
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • アルコール乏しきイスラム国家の一番搾り。

 多くの人にとってエントリーモデルですら憧れであり、その憧れを維持するには、その国の成長に沿って先進国向けラインアップから適切な上級ラインを出せば良いだけの話だと僕は思う。今後の世界市場の成長は、人口が多く、成長余力のある中進国や発展途上国が中心であり、世界シェアの変動の多くは、そこでの勝ち負けによって起きるだろう。という事は、自動車においても、この違う勝負の行方が将来の帰趨を決めるという事である。
Pink history
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • 優雅な時代の美しい建物だった。でも、1階は使われていなかった。

 そんな事を、2000年代のトヨタカローラのタクシーに乗り、道行く1970年代のフィアットプジョーが吐き出す排ガスにまみれながら考えつつ、空港に向かった。カイロの空港は、出ると前近代的だが、中に入ればそれなりに近代的な空港で、トランジットの間バーガーキングとスタバ位しか無くて呆然とするLAより、時間潰しには向いていると感じた。ただ、えらい値段が高くて、カイロ市内では一泊できたんだけどなー、というお金が、ランチですっ飛んでいく。こういう所は国際化しなくていいんだけど、最も競争原理を働かせなくて良い場所だから、資本主義の原理からすれば致し方無いのかもしれない。スーダンの首都、ハルツームまでのキャリアはエジプト航空である。日本にも就航しているが、僕は初めてこの航空会社に乗った。日本からカイロ発のものをウェブで予約して、Eチケットである。スターアライアンスなのに、ANAマイレージカードはリジェクトされた。僻地じゃなくてホームグラウンドなんだから、もう少しグラホの教育を徹底して欲しいもんである。
rush
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • コロッケが揚がると我先に男どもが群がった。こういう国はいい国だ。しかし、一番右の少年は、少年にして既に灰色のおやじ達の雰囲気を身につけていますな。

 乾燥地帯のフライトである。フライト中、殆ど雲は無かった。但し、乾燥地帯ゆえの砂塵が舞って、地上はずっとぼやけてクリアには見えなかった。ただ、ぼやけて曖昧に広がる眼下の茶色の世界の中で、緑のベルトはくっきりといつも見えていた。ナイル川である。この不毛な荒れ地にナイルだけが緑をもたらしている。エジプトはナイルの賜物というが、ナイルが無ければエジプトは存在しなかった、というのは間違いないだろう。ナイルっつーのは本当に凄い川である。川一つで国家というか、文明が出来たのである。しかも、それは世界で一番古い人類の黎明たる文明である。カイロはそのナイルのほとりの街だったが、スーダンの首都ハルツームも同じで、白ナイルと青ナイルの合流地点に出来た川っぺりの街だ。100分の1スケールで例えれば、利根川渡良瀬川の合流地点に出来た古河市の仲間と言えなくも無い。古河市には日本のハルツームとこれから呼ぶことにしよう。
Nile makes green
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • 茶色の世界を貫く一筋の緑のナイル。

 到着すると、ブラックアフリカ諸国にありがちな、古びてのんびりとした空港の雰囲気である。多少の緊張を孕みながらも無事入国審査は通過した。書類さえ整ってれば良いといった風情である。スーダンのビザの申請様式も、ビザに書かれている内容も、本来訪れるには現地ホストが必要な国であることを指し示しており、今は宿泊先ホテルを現地ホストとして見なす事でビザを許可しているという立て付けに見える。従って、多少良いホテルを書いておかないとビザや入国で揉めるかなと思い、アッパーミドルクラスでガイドブックに老舗でかつ対官庁対応が良いと絶賛されていたAcropole Hotelというホテルを宿泊先として書き込んでおいた。そんな所もスムーズな入国に資したかもしれない。
X
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • なぜか入国でカメラバックにチョークで×を描かれた。日本なら訴えられるよ。しかし、どういう意味なのだろう。ヒットマンに狙われても嫌なので、こっそり宿に着いたら水で消した。

 入国直後にハッスルしないといけない国は多々あるが、ブラックアフリカ諸国は、その経済レベルにしては、余り空港でバトルにならない。スーダンもその余りハッスルしない空港の部類であった。ウェブ上で手に入る情報源では、総じてスーダンの人は凄く良いと絶賛されていたが、それは間違いないと思われる。見知らぬ国に着いたらまずは両替だが、空港内のUAE系の両替屋で、米ドルとあとアブダビで交換しすぎたUAEディルハムスーダン・ポンドに換えた。ドバイでもアブダビでも、出会う黒人は結構な割合でスーダン人の出稼ぎである。スーダンの人口は4200万人でブラックアフリカ第7位だが、おそらくナイジェリアに次ぐ第2位のイスラム教人口を抱える。イスラム教人口が多い上に、北部のスーダン人はアラビア語を話す。顔は全く違うが、言語と宗教においては、スーダンと湾岸諸国は同じなのである。よってUAEにはスーダン人が溢れ、その人達が持ち帰ったUAEディルハムを空港でスーダン・ポンドに換える商売が成立しているのである。
Dusty Sudan
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • ナイルの合流点たるハルツームは緑の世界かと思いきや、やはり茶色の世界が続いていた。西アフリカのサヘルに似た、埃っぽい街が広がっている。

 空港を出ると、スーダンは初めてか、と心配そうに聞いてきたヒッピー風白人が、市内まではマックス25ポンドだと言っていたが、日が暮れてタクシーに全く競争環境がなく、結局30ポンドで妥結して、市内に向かった。スーダンLonely Planetが発刊されておらず、ガイドブックはよりハードコアな国を対象としたBradt Travel Guidesのみである。Bradtは、なんと北朝鮮イラクのガイドブックを出版している位のハードコアさというか、むしろイカレポンチだが、このハードコアなトラベルガイドをして、ハルツームは安宿は有るが衛生面でお奨めできないと書かれている。
chef
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • スーダンのレストランは、エジプトと同じく男の世界であった。

 Lonely Planetの"Very basic"という宿もちょっと敬遠したくなる質の事があるから、更にハードコアなBradtが悪く書いている宿に泊まる勇気は僕にはなかった。そこで、中級ホテルのページを見ると、幾つかのホテルが挙げられていたが、総じて値段は安いが、質も低いと書いてある。うーむ。スーダンは、下調べした限りでは人が良く、かつ治安が良いというのが共通した評価だったが、見知らぬ国で、しかも日は暮れてしまっており、宿探しに闇の中を歩き回るのはなるべく避け、一発で決めたかった。なので、大事を取って更にクラスを上げ、アッパーミドルクラスのホテルに泊まる事を決断した。入国書類に宿泊先と書いたAcropole Hotelが丁度アッパーミドルクラスだったので、ここを目指す。なんと一泊一人85USドル。カイロの安宿が嗤う値段であった。でも、このクラスのホテルに泊まるなら75ドルは見ておかなければ、というのがBradtのコメントであったから致し方無い。
Sudanese comfort
[Panasonic LUMIX LX3 24-60mm f/2.0-2.8]

  • お値段にしては、実にベーシックなお部屋の内装。広いけど、まぁ質は東横インという感じだ。

 さて、宿に着くと、85ドルとは思えぬしょぼい外見である。僕のアフリカ経験からすれば、ブラックアフリカはアジアと比べると信じられない位宿が高いのを差し引いても、外見フェアバリューは30ドルといった所だろうか。首を傾げながら3階建てのおんぼろなビルに入り、2階フロントに向かったが、そこは正しく一泊85ドルの求めていたAcropole Hotelであった。心情的にはこれは費用に見合わなそうだとは思ったが、日が暮れた見知らぬ国で新しい宿を探す事にリスクはあること、無線LANがロビーでバリバリ入り、既に日本は正月明けで仕事が始まっているから、仕事メールをしっかりとしたネットインフラの所でチェックしたかったこと、後は書類上このホテルがホストと書いてしまったので、一泊はしておいた方が出国時に無用なリスクを呼ばず、セーフかと思ったこと、以上3つの言い訳を速やかに自分で思い付き、無理繰り納得させた上で宿泊を決めた。
Southern Christmas
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 色遣い的にクリスマスツリーなのだと思うが、サボテン様の現地の木を無理無理赤いリボンで飾り付け、ツリーに仕立て上げている。熱帯のグリーンクリスマスならではだが、プレゼント下げたらトゲが刺さりそうだ。

 かく長考の末に、泊まるよとオーナーのギリシャ人に伝えると、宿泊人台帳を書けと大きなノートを渡された。そのノートに自分の名前とかパスポート番号を書き込みながら、自分の名前の直ぐ上に書かれている同宿人をちらっと見ると、職業欄に“CNN”“AP”“YOMIURI”等とマスコミの名前が並んでいた。どうやらここは、紛争地に必ずある、マスコミの拠点ホテルの様である。サラエヴォならホリデイイン、カブールならインターコンチネンタル、バグダードはアル・ラシード・ホテル、トビリシならホテル・イベリア。ハルツームにおける、そんな伝説のホテル的存在が、どうやらこのアクロポールホテルの様である。
travel with CNN and AP
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • 著名メディアに世銀と、ただならぬ雰囲気の宿泊者台帳。

 上記の中では、ホリデイインとホテル・イベリアには行ったことが有るが、行った時にはとうに紛争は終わっていたけど、紛争時の喧噪と興奮と恐怖が未だに壁に焼き付けられている様な独特な雰囲気があって、ちょっとこちらも躁状態になったものである。ただ、別に今回は旅行にそういうものを求めていた訳ではなく、このスーダンに期待していたのは、全く逆の「人が良く」「治安も良く」「余り旅人が訪れないて人がスレていない」国という事だった。遺跡と自然を見に行ったエジプトに対して、スーダンには人を見に行った積もりだったのだ。
Sudan basic
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • エジプトとはまた違う荒々しい料理。パンはイギリス風の余り美味しくないもの。脂っこいのはイスラム圏という感じがする。

 たまたま南スーダンの独立選挙期間と旅程が一日だけかぶってしまったけど、その日は帰国するだけだし、これまでの経験上、軍隊がしっかりしている治安の良い国は、突発的な事が起きても安定している事が多い。また、デモの類は、憎しみが外国人に向けられていなければ旅行のリスクは低い。なので、選挙の影響は、入国さえできてしまえば余り無いと見ていた。入国さえすれば、ここは観光国じゃないから、溢れる客引きとハッスルする事無くのんびり旅行できる筈だったのである。でも、ロビーでカタカタと真剣にキーボードを打つ、マスコミの人らしい白人達を見ていると、徐々にその興奮が自分にも移ってくる。僕は、自分がやや緊張してきているのを感じていた。旅行者が語る、市井のスーダン人の人の良さとはかけ離れた、政治的で血なまぐさい物語を隣でマスコミの人は語っているのだろう。そしてそれは決して虚像ではなく、一面の真実の筈なのである。明日、日が昇ってから見るスーダンは、一体どちらの顔を僕に見せるのだろうか。
Old Japan
[NIKON D90 + TAMRON B008 18-270mm f/3.5-6.3 VC PZD]

  • ハルツームの街角の安レストランでひっそり何十年か日本をアピールし続けたパナソニック製コンポであった。