ソフトバンクの勝算、ファンド的視点


SOFTBANKが、Vodafone, k.k.(以下ボーダフォンジャパン)をLBO(レバレッジド・バイアウト)で買収する模様である。

ボーダフォン日本法人をソフトバンク買収 1.75兆円

 国内で固定通信3位のソフトバンクは17日、携帯電話3位のボーダフォン日本法人を買収することで親会社の英ボーダフォングループと合意した、と正式に発表した。買収額は1兆7500億円と日本企業による買収では初めて1兆円を超え、過去最大となる。今後、国内の通信業界は、固定電話、携帯電話のいずれものサービスを提供するNTT、KDDIソフトバンクの3大陣営が競い合う形になる。

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SOFTBANKのこの動きに対して、サーベラス等が対抗BIDを入れる事も報道されていた。

ボーダフォン買収、サーベラス名乗り 米欧メディア報道

 米投資会社サーベラスソフトバンクに対抗し、英携帯電話大手ボーダフォン日本法人の買収に名乗りを上げると15日、米欧メディアが相次いで報じた。米ブルームバーグ・ニュースなどによると、サーベラスは通信業界を得意とする米投資会社プロビデンス・エクイティ・パートナーズと組み、約1兆8000億円での買収を提案するという。

 ソフトバンクは1兆5000億〜2兆円と、日本企業間では過去最大規模の買収を検討しているとみられている。サーベラスが参入すれば、当事者が日米欧をまたぐ大型の買収合戦に発展する可能性が出てきた。

 ただ、ボーダフォンが日本法人売却を急いでいることから、ロイター通信は、早くから交渉しているソフトバンクが有利になりやすいとの見方も紹介している。

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金額は、1兆7500億から1兆8000億と同じ様なものだが、このサーベラスプロヴィデンスの対抗BIDには、買収ファンド村の人々はやや冷笑気味だった。要は、買収したからにはファンドはどこかに売らないとリターンが出ないのだが、買収後、唯一の売却先になりそうな所と競り合ってどうするの、という事と、そもそもソフトバンクシナジーバイヤーで高値を付けがちなプレイヤーなので、ソフトバンクより高値という事自体がどうなのよ、という事から、

  • IRRよりもIR

的なトロフィーディールを目指しているのでは無いか、と言われていた。

しかし、常識にも常に疑いの目で見るのが、賢い投資家の態度であるが、手元でささっと調べてみると、なかなかどうして面白いものなのである。まぁ、この手のM&Aディールに関する報道は、記者も素人なので仕方が無いが、必ずと言っていいほど間違っているし、自分の担当した案件の報道など、「この真相とかけ離れた数字は一体どこから?」という状況が日経レベルでもしばしばなので、なかなか公開情報を基に実態を知るのは難しいのだが、今回はソフトバンク自体が結構な開示を行っているので参考になる。

結論的には、今後のボーダフォンジャパンのビジネスがステイブルだという前提であれば、ファンドが1.75兆円で買ってもリターンは回る。M&A報道の「買収総額」は一般にEV(企業価値)の場合が多いが、今回はプレスリリースを読む限り株式価値なので、その外枠に2,500億円前後のネットデットが有り、EVはどうも株式価値+ネットデットで2兆円らしい。EV=2兆円、EBITDA=3,949億円なので、EBITDAマルチプルは5.06倍。これは安い。今時5倍なんてディールはめったに見ない。

ただし、通信業界は設備投資が重く、結果減価償却費も大きいので、営業利益に比べてEBITDAが膨らみがちであり、EBITDAがCFを代表する指標と言い切れない部分がある。なので、フリーキャッシュフローを調べると、これが2,666億円も有ったりするのだが、数字を良く見ると、売上減等を主因とした運転資金要因によるCF増が699億円、3G等の過去の投資が重く、前期は設備投資一巡した事による減価償却費−設備投資差異が701億円有り、これらは一時的要因で永続しえないので、これを差し引いたプロフォーマベースFCFで考えると1,265億である。EV/FCFマルチプルは15.81倍。裏を返せば割引率が6.33%という事である。この所のM&Aマーケットだと割引率は5%前後が相場なので、6.33%ということは2割以上相場より割安なEVという事になる。

M&Aの相場より安いことと、バイアウトファンドの世界でリターンが回ることは必ずしもイコールでは無いので、そこんとこもざっと簡単なスプレッドシートを作ってまわしてみると、3年IRR25%という欧米での「成功したファンド」の一般的なハードルレートはクリアしそうだ。詳しい計算は省くが、要はエクイティを投資するファンドは、3年後に同じ企業価値で売却出来れば、その間のキャッシュの創出だけで元本が2倍弱になるという事である。ただし、成熟市場で今後新規参入がある携帯市場で、3年後に今と同じ企業価値で売却できるというのは、やや楽観的かもしれない。僕がこの案件やりたいかと言われると、少人数で大きな金額を動かせば、ファンドとしての絶対収益は大きいという事で一定の意義は有るが、3年もサチュったマーケットではらはらしながらホールドして、たった2倍?というのが実感だ。

その後発表された報道資料でも、シニアデットは、1.1〜1.2兆円、メザニンが4,000億円、後はソフトバンクとヤフージャパンから3,200億円のエクイティとのことなので、自分がこの時手元で想像ベースで計算した数字と殆ど同じである。こういうのは大体「相場」が有るので、同じにならないと困るのだが。ただ、一つ感心したのが、メザニンが所謂セラーズファイナンス(Seller's Finance)と呼ばれるスキームで、VODAFONE本社が出す事になっている事だ。

自分が手元で計算した時は、財務指標上はこれ位外部調達できるという数字を置いてみたが、実際にこの金額をファイナンスしようとすると、シニアデットはシンジケートできても、数千億オーダーのメザニンは、相当きついだろうな思っていた。理由は、幾ら過剰流動性下にある日本でもメザニンを出せる金融機関がそれ程多くは無く、かつ一金融機関あたりの上限も高くはないからである。当該ディールでは、この日本におけるメザニン資金の不足を、売り手であり、資金余力のあるVODAFONE本社が出す事で解決している。

これはどういう意味があるかというと、VODAFONE本社に取ってみると、ソフトバンクとヤフーからのエクイティ出資の金額には限界が有るので、メザニンを付けた分だけ買収金額が上がったという事になる。勿論この様なセラーズファイナンス無しにこのEV2兆円という値段が付けば一番良いのだが、現実にはソフトバンクはそんな金額を交渉段階では調達出来なかったのだろう。そうすると、VODAFONE本社は、シニアデット1.2兆円+エクイティ3,200億円=計1兆5200億円という現状ソフトバンクが調達できる金額で満足するか、VODAFONEとして4,000億リスクをテイクしてメザニンをソフトバンクに出す事によって、1兆9200億という金額を実現するかというチョイスとなる。最終的に、このメザニンが償還されればこの1兆9200億円フルに取れるが、途中でボーダフォンジャパンがコケると4,000億パーになる可能性もある。但し、その場合でも、もともと1兆5200億円でdoneしたのと行って来いで同じ結果になる。従って、VODAFONE本社としては、リスクを取っても4,000億出資し、最終的なトータルリターンで1兆9200億を狙いに行くのが合理的判断だという事になる。

今後だが、メザニンはシニアデットよりも返済順位が低い為、メザニンから償還というのは有り得ない。従って、数年間事業をまわして、上がってくるキャッシュフローでシニアを返済し、メザニン+シニアが現在のシニアと同程度の水準になった所で、まとめて再度シニアでリファイナンス(=借り換え)を行い、その資金でメザニンも償還するというのが現実的なシナリオだろう。プロフォーマベースFCFが1,265億という事なら、VODAFONE本社は、4年位は我慢してリファイナンスを待ち、リスクを取る事になる。

今回の件でも投資銀行が勿論関与していたと思うのだが、このスキームをひねり出して、かつVODAFONE本社に呑ませたのは、なかなか付加価値が高い仕事をしたと思われる。資金調達などを含めて、みずほ・GS・ドイチェがアドバイザーの様だが、バイサイドに立てば、大体EVの1%がアドバイザリーフィーの相場だから、3社で200億位にはなるだろうか。不動産の売買よりも企業の売買の方が遥かに複雑性が高いが、不動産の標準的な売買手数料は片道3%なので、僕はこのアドバイザリーフィーが不当だとは思わないが。

このアドバイザー3社がどう役割分担をしているかは伺い知れないが、想像するにGSが所謂アドバイザー業務をして、みずほとドイチェがそれぞれ国内投資家と海外投資家向けの資金調達のアレンジャーをやる、というのがファームの特徴としても自然の様に思われる。また、Vodafone本社はボーダフォンジャパンがかつて上場していた事の遺産として、ボーダフォンジャパンの株式を97%超しか持っておらず、少数株主が僅かに残っている。今回これはスクイーズアウトする様なので、TOBするなら、そこはグループにリテールのアームがあるみずほグループで行うのだろう。こういったLBOのスキームの時にはスクイーズアウトは必須条件で、これまで色々なスキームが考えられてきたが、これからは新会社法の恩恵で、原理的には67%以上持っていればキャッシュアウトマージャーと呼ばれる現金を対価とした強制買収が可能である。日本の法制度もM&A向きに整備されたものだ。

あと、ファンドの仕事は、こういった金融面でのエンジニアリングと、事業面での分析・予測・施策の立案実行が両輪だが、事業上のインサイトについては、土日に考えてみることとしたい。ただし、一つ言えるのは、1.1〜1.2兆円もシニアデットがついてしまったら、キャッシュアウトである設備投資や研究開発投資は相当抑制されるだろうから、今後数年間はボーダフォンジャパンから他社を圧倒するようなイノベーションが起きる可能性が低そうだということ。

ユーザーとしては余りよろしくない。

○後日談

このソフトバンクによるボーダフォンジャパン買収記者会見の速記録を掲載しているblogが有った。R30さんのである。下記アドレスの前後のエントリに入っている。

日本史上最大のディールについての簡単な感想

これによると、更に興味深いのが、将来的にメザニンを提供するVODAFONE本社と、ヤフージャパン(どうもYahooはエクイティでなくメザニンを出すらしい)は、それぞれボーダフォンジャパンの普通株式新株予約権を持つ様である。これは、7年間の累積EBITDAが3.35兆円を越えた時に発生するワンタイムコーラブルとのこと。

前期のEBITDAは、上述の通り3,949億円だから、単純に7倍すると2.8兆円弱。3.35兆円というのは、これから前記の2割増のEBITDA実績を平均的に叩き出す事を前提としているから、この条件が揃って、VODAFONE本社が普通株を持つのは容易ではない。

なかなか意味合いがぱっと見判り難いが、この条件の本質は、売却後のボーダフォンジャパンが想定以上にうまくいった場合に、その利益をVODAFONE本社に還流させるという事にある。いわゆるアップサイドシェアである。これはVODAFONE本社が将来ボーダフォンジャパンの株式を象徴的に10%持つ事に意味があるのでは無く、10%の株式を将来再度ソフトバンクに売る事で、今回得たキャッシュに更に追加でリターンを得る事が本当の目的と考えるべきだろう。

M&A的には、この様なexoticな条件を最初から出して交渉するのはレアなので、

  • 通常の価格交渉でお互いのbid/offer価格が離れていてブレーク寸前

  ↓

  ↓

という経過を辿って今の形に行き着いたものと考えるのが自然だ。
この条件一つを見るだけで、相当の時間を掛けて交渉し、練り上げられたスキームだという事が一目で感じられる。

想定200億円のアドバイザリーコストは、このディールを成立させる為の必要経費という観点では十分に安いと言えると思う。なお、この後日談を書いている段階で、やはりGSがFAで、みずほとドイチェファイナンスのリードアレンジャーだという事が判明した。という事は、EVの1%=想定200億円のアドバイザリーフィーは全てGSの懐に入り、1.1〜1.2兆円のシニアデットの数%がアップフロントフィーとしてみずほとドイチェが分け合う図式になる。1ディールで数百億の儲け。なかなか効率の良い商売だ。金融ビジネスはロットを稼ぐに限る。